2008年2月25日月曜日

適正人口3:日本の人口爆発


適正人口3:日本の人口爆発
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 「国土審議会」の「静止人口について」という資料を見てみましょう。
 2005年のものでグラフ構成でわかりやすいです。
 そのグラフを解説してみます。

★ 「静止人口」について(資料1)
☆ http://www.mlit.go.jp/singikai/kokudosin/keikaku/lifestyle/3/shiryou3-2.pdf

 中国は2030年頃ピークを迎え、その人口は「14億5000万人」ほどである。
 その後減り始め、2050年には「14億人」を切るという。
 つまり、人口減少が発生しうる、頭打ちになる、ということである。
 インドはひたすら右上がりで膨張し続ける。
 2000年に「10億人」の人口が、2050年には「16億人」に達する。
 2030年で中国とインドは同数となるが、その後は中国は減少し、インドは拡大を続けるという。
 よって以後、世界で最も人口の大きい国はインドになる。

 世界で3番目に大きな人口を持つ国はアメリカである。
 今は「3億人」だが、2050年には「4億人」となる。
 アメリカが騒がれないのは、人口に対する国土の広さによって人口密度が小さいからである。
 2050年に4億人にあってもその密度は日本の1/6に過ぎない。

 ちなみに、今、インドは中国の2.3倍の人口密度であるが、これが2050年には3.3倍になる。

 ヨーロッパを見てみる。
 イギリスは2010年に「6,050万人」、これが2050年では「6,710万人」と10%ほど増加する。
 フランスは2010年に「6,150万人」、これが2050年では「6,310万人」とほぼ変わらない。
 ドイツは2010年に 「8,270万人」、これが2050年では「7,880万人」と5%ほど減少する。
 イタリアは2010年に「5,820万人」、これが2050年では「5,090万人」と15%ほど減少する。
 イタリアの人口減少は15%と大きいが、他の3国は±10%ほどの範囲の中で、増加する国、減少する国、横ばいの国という形になっている。

 そして日本だが、2050年にはほぼ「1億人」になっているという。
 このときの人口密度でイギリスとほぼ同じとなり、ドイツより2割ほど多くなる。
 フランスは国土が大きいので遠く及ばない。
 さらに2070年には「8,250万人」で今のドイツと同じほどになり、2100年にはフランスなみの「6,400万人」になるという。
 ちなみに、現在の日本は驚かれるかもしれないが、「インドとほぼ同じ人口密度」です。
 シンガポールとかモナコといったような都市国家を除けば、最貧国のバングラデッシュが1位、2位が韓国で、3位、4位をインドと日本が争っていることになります。
 そのインドとは中国の2.3倍の人口密度を持つ国なのです。

 これで、日本の人口のイメージがつかめたと思う。
 つまり、簡単にいうと狭い国土に、「とてつもない人口」を抱え込んでいる国家ということになる。


 載せられている有識者の意見を2,3見てみよう。

梅棹忠夫:国立民族学博物館顧問
 日本の人口の適切な規模は、「1億人」前後ではないかと思います。
 そのくらいまでなら人口が減少することもかまわないと思います。
 外国人の移民を受け入れることについてですが、日本では当面考える必要はないと思います。
 むしろ、日本からオーストラリアやカナダといった移民を受け入れている国に出て行っても良いくらいだと考えます。

神田玲子:総合研究開発機構総括主任研究員
 出生率が2015年までに「1.6」となり、その後2050年に「人口置換水準」である「2.07」まで回復すると、人口を長期的に「9千万人」で安定させることができる。
 こうした姿を実現させるための戦略的な取り組みが求められている。

寺島実郎:(財)日本総合研究所理事長
 2050年には1億人を割るといわれているが、余程のことがないかぎりこの予想は当たってしまうであろう。
 私見だが、「1億人」程度で「静止人口」にする努力をはじめないと、日本の民族は急速に衰亡のサイクルに入っていくのではないだろうか。

森本哲朗:評論家
 日本の人口、1億2000万人以上が仮に半分になったとしても、6,000万人いるわけです。
 日本の国土規模を考えても、西欧の国々と比較して、6,000万人ならひけをとらない。
 広い視野を持って見ると、いくら「人為的に干渉」してみたところでどうにもならない一つのエコロジカルなシステムがあるのです。
 すでに若い人たちは、本能的にそれを感じとって、選択していっているのでしょう。
 人口は増えないと思いますよ。

 なを、各年次の「日本の人口ピラミッドの変化」もグラフで載っていますので、年齢別構造の変化が視覚的に理解できてすこぶる参考になります。


 次に「参議院」の「立法と調査 2007.9」の「我が国の人口減少はいつまで続くのか」を見てみたいと思います。
 これは[PDF]でちょっと読みにくいですので、一部を抜粋し、構成を変えタイピングしながら見ていきます。

★ 我が国の人口減少はいつまで続くのか(資料2)
☆ http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/kounyu/20070907/20070907087.pdf

 国立社会保障人口問題研究会が平成18年12月(2006年)に公表した「日本の将来推定人口」によると、我が国の総人口は平成17年(2005)の「1億2777万人」から、平成67年(2055)には中位推計で「8,993万人」に減少する。
 人口が1億人を突破したのは昭和41年(1967)年のことであり、8,993万人というのは昭和30年(1955)の人口規模とほぼ等しく、2055年時点での人口規模は100年前の1955年の水準に戻したことになる。

 さらに、中位推計において2055年の「合計特殊出生率:TFR(以降:出生率)」は「1.26」と仮定されているが、以後この率が変わらないとすると、2105年の総人口は「4,459万人」まで減少する。
 明治34年(1901)の人口は「4,436万人」であるから、22世紀初頭の人口規模は20世紀初頭の水準まで縮小することになる。


 ということは、今は左右50年の裾野を持つ、人口カーブのほぼピークにいることになる。
 つまり、失われた10年とは、人口ウエーブの真ん中に当たっている、ということになる。


 出生率の性格上、出生率に目標値を設けることはなじまないといえるが、その一方で出生率が「人口置換水準:2.07」を下回り続ければ、人口減少は続くことになる。

 現在の我が国の人口は過剰であり、ある程度の人口減少は望ましいとの議論もあるが、長期的な際限のない人口減少が続き、人口がゼロに近づいていくことは、社会の存続にとって好ましいことではない。

 したがって、

①.出生率は人口置換水準まで回復し、結果的に人口減少は止まるのか、
②.その時点での総人口の規模はどの程度か、
③.我が国の「適正人口規模」はどの程度か

という議論が必要となる。


 過去のデータを見てみましょう。


 今世紀前半を通じて日本の人口は減少を続けていく見通しであり、いつ人口が下げ止まるのかについても、現状では見通しがたっていないが、そもそも我が国の「適正人口規模」はどの程度なのであろうか。

 現時点ではこれについては定説はないのが現状と言えるが、ここでは考えるための一助として、過去2世紀の人口規模を、フランス、ドイツ、英国(イングランド・ウエールズ)と比較してみることにする。

<略>

 過去2世紀の日仏独英の人口推移をまとめると表のようになる。
 明治初期の1872年の日本とフランスはほぼ同じであり、ドイツをやや下回る程度であった。
 その後、日本の人口は1945年までに2倍以上の急増を示す。
 戦後も1970年までは高い伸びを示している。

 1872年から1990年までの各国の人口増加率を見ると、日本「3.55倍」、フランス「1.57倍」、ドイツ「1.93倍」、英国「2.20倍」であり、日本が他の先進国と較べて著しい人口増を示しきたことがわかる。
 日本の場合、人口増加の規模は欧州先進各国に増して大きかったといえる。

 現在の日本の「少子化」と「人口減少」には、過去1世紀余にわたる人口急増と都市部等への集中が、急速かつ大規模に発生したことに対する反動という側面があるのではないだろうか。

 将来の「人口下げ止まり」と「適正人口規模」を考えるさいの一つの目安として、かって日本と人口規模が同じ程度であった「欧州先進国」程度(6,000万人から8,000万人)を考慮する必要があるのではないだろうか。


 つまり、この一世紀に日本では世界に先駆けて人口爆発が起こった。
 今、そのゆり戻し、あるいは沈静化が来ており、それが少子化ということのようである。

 人口爆発の対極として人口減少が進行している。
 これは分かった。ではどこまで、人口減少は進んでいくのだろうか。


 どのような規模であれ、日本の人口が一定規模で「安定する」ためには、その前提として「出生率が人口置換水準を回復」しなければならない。


 資料ではここから人口推計システムその他を用いて試算しているが、誰かに説明してもらわないと文章だけでは、ひじょうに分かりづらい。
 「エイヤー」で間違いを承知で簡単にまとめてみる(詳細を知りたい方はホームページを見てください)。

 出生率は2000年の「1.36」を採用する。
 人口置換率水準「2.07」をどの時点で採用するかで分かれるようである。

1.「2050年」に出生率が人口置換水準に回復していくケース
2.「2100年」に出生率が人口置換水準に回復していくケース
3.「2150年」に出生率が人口置換水準に回復していくケース
4.「2040年」に出生率が「1.75」に回復していくケース

 このいずれであっても、2050年の人口は、9500万人少々から1億人少々の中に収まる。
 そして、1億人を大きく超えるケースは諸般を検討してみると、可能性が低いと見積もられている。


 今世紀前半を通し、人口減少は続く見通しであり、1億人を割り込み、今世紀末までには少なくとも現在の欧州先進国なみにまで減少していく可能性が高い。

 今世紀予想される人口減は深刻であるが、過去2世紀の日本の人口増加が急激であったことも事実である。
超長期的にり、一本調子に減少し、限りなくゼロに近づいていくという見方もまた極論であり、一定のレベルで下げ止る可能性も考えられる。


 とすると2100年の日本の人口は、2050年のドイツの約「8000万人」、イギリスの約「7000万人」というのが、とりあえずの目安となる。人口ジャスト半減ならフランスの約「6400万人」になる。

 では何故、欧州先進国にあっては人口の増加減少の幅が狭く、安定しているのか。
 この理由については前に書いたことがある。
 欧州先進国の主食はパンではない、「肉」であることにある。

 肉とは牛である。
 牛の数はその放牧地の有無に左右される。
 牧草地というものは「稲作の北限」が海峡を渡るようには増えない。
 牛は動物である。
 さほど適応力はない。

 「人口数」とは「牛頭数」の従属変数なのある。
 よって、絶対に「人口爆発が発生しない食糧構造システム」を持っている。
 それゆえに、人口が安定している。
 また、肉に依存しているかぎり、そのカロリー依存率は国内生産80%の高率に維持したいと思うのは当然である。
 もし肉を輸入に依存して、それが絶えたらというのは恐怖に近い。
 牛が動物であるかぎり、その飼育はすぐに対応できるものではない。

 ところが、日本は米が主食である。
 稲は植物である。
 環境適応種を作り出すに研究の進歩によって急激な増産が可能であった。
 それゆえに、人口爆発が発生しえた。
 米は日本でなくても生産できる。
 日本産「コシヒカリ」でなければ食わない、といって餓死する人はいない。
 米は牛と比べて、差の少ない汎用の食糧なのである。
 保存食にもなりうるし、牛より臨機応変の効く食糧なのである。

 では、日本がとりうる今後のシナリオを見てみよう。


 人口の半減、ないしそれに近い水準にまでへの減少は、人口1億人の水準になれた現在から見ると衝撃的な事態に見えるが、それでも現在の欧州主要先進国なみの規模にあるともいえる。

 日本の「適正人口規模」については、日本の「自画像」をどのようにイメージするかという問題にかかっわている。

①.人口1億人規模の「経済大国」である現状を将来においても目指す
②.「中規模先進国」として自らを規定する
③.北欧諸国のように「小規模先進国」として、国民一人当たりの所得の高さを目指す


①.については、出生率の回復状態からみて、実現困難であろう。
③.については、確かに経済規模より質を重視する観点は重要だが、同時に我が国が「主要先進国」の中から姿を消すというような事態を、一部の国民は了解しても、一般の多くの国民は望んでいないであろう。
 民族的プライドをすててまで、個人の豊かさだけを求めるという思想は、日本人の思想にはそぐわないであろうと思われる。
とすると残るは、②.の欧州主要国なみの「主要国・中規模国家」の経済維持を目指すべきである、ということになる。

 よって、このレポートの「結論」はこうなっています。

 今世紀末に、「欧州主要先進国なみの水準で人口が安定する」というのが、望ましいシナリオではないだろうか。



 現在の1億2800万人がこの40年間ほどで1億人に減るということは「22%」の減少になる。
 単純にいうと、今の5人が4人になる、ということになる。近所周りを見渡してみると、相当に透いていることになるだろうと思われる。
 2050年に1億人からの減少を、その時代の国民がどう受け止めるかであろう。
 「過密が過密を呼ぶ」ように、「透きは透きを呼ぶ」ことになるでしょう。
 とすると、「まだ、多いよ」となれば、次の50年間で同じ22%減を実行すると「7800万人」になる。
 「少し、多いかな」となれば、次の50年間でその半分ほどの11%減を実行すると「8900万人」になる。

 先の「静止人口」では、識者の多くが「9000万人から1億人」あたりではなかろうか、といった意見が多いようですので、現時点での目安としては下限の「9000万人」くらいが静止人口となりうるのではなかろうかと見込んでおくのが無難なようです。
 それは、今の人口の7割くらいになる、ということです。
 回りを見て10人いるべきところが、7人になっている、そんな感じですね。
 それを多いと思うか、少ないと思うか、その環境になってみないと分からない、というのが正解でしょう。

 この数値を決めるのは、現在生存中の国民ではなく、将来に生まれてくる国民であり、我々は彼らを拘束できるなんらの手段ももたないということをわきまえておかねばならないでしょう。


 世界人口が爆発するまえに、そのテストケースとして日本人口が爆発した。
 そして今、急激に縮みつつある。
 世界人口は「突発的破局」を迎えるのか、その破局を迎えることなく、自らの手で日本と同じような「縮みのプロセス」をたどっていくのだろうか。


 最後にお隣の韓国を見てみましょう。

 先の国土審議会の「静止人口について」の最終ページに「世界人口に関する記事」というのが載っています。これをタイピングしてみます。

 少子化・高齢化で「2020年」には労働力不足
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 2005年3月1日:「朝鮮日報ホームページ」より

 2005年現在の4,800万人程度が韓国の適正人口水準であるという研究結果がまとまった。

 しかし、このような規模の人口を維持しても、2020年頃には老人人口が急増し、「労働力不足」に直面するなど、人口の質は大きく低下するという憂慮も声が上がっている。
 韓国人口学会は、保険福祉部の依頼で昨年10月から行ってきた「韓国適正人口推計研究」の結果を3月1日、発表した。

 この研究によると、経済・福祉・環境の面をすべて考慮した韓国の「適正人口成長率」は「-0.5%~+0.5%」、「適正人口規模」は「4,500万人~5,100万人」となった。

 すなわち、韓国の社会や環境を勘案すると、現在の人口から「±250万人」を維持するのが適正規模だということだ。
 しかし、人口専門家らは「2003年現在、1.19で史上最低となっている出産率を最大限引き上げるとしても、妊娠可能な女性が大きく足りない。
 このままだと、老人人口の増加と労働力の不足によって、10年以内に韓国の経済構造が崩壊してしまう」と警告した。

 統計庁によれば現在、韓国では15歳~64歳の労働人口8人が65歳以上の老人1人を扶養している。ところが2050年には「労働人口:1.4人」が「老人1人」を扶養しなければならない。
 人口学会の関係者は「低出産国家である英国、フランス、ドイツなどの場合、総人口に占める老人人口の割合が15%~17%の時、経済的・社会的に最も安定していた。韓国もそのような構造が望ましい」と指摘した。
 「老人人口比率:15%~17%」は、韓国では2010年~2020年に到達するとみられる。

 これに関連して、保健社会研究院の社会政策研究室長は「現在のところでは、若い人材を海外からもらってくる以外対策はない。
 人口対策がない限り、韓国は2050年までに世界の高齢国家になるだろう」と述べた。
 福祉部は「今回の研究は急激な少子化と高齢化の対策づくりのための基礎資料だ。
 適正人口規模を維持しながら、労働人口を確保するために、社会全般のコンセンサスと努力が求められる」とした。
 韓国人口学会は本年4月末、「北朝鮮人口推計研究」の結果を総合した「韓半島適正人口」をまとめる予定である。


 韓国は先日、5,000万人を超えました。
 日本は韓国の2.5倍ほどの国土をもっており、そこでの1億2800万人に対して大半の人が多いと感じているのに対して、最貧国のバングラデシュの次に人口密度が多い韓国では、それが適正人口であるとしているのは、何とも解せないことです。

 韓国人特有の心理である「背伸び現象」とも思われるのですが。
 しかし、その適正人口もそろそろ上限に近づきつつあります。

 日本の政府機関は「適正人口規模」という言葉は使っても、決して「適正人口」という表現を使いません。
 それは国家管理された国民といった負のイメージを喚起させてしまうためです。
 「生めよ増やせよ」というスローガンで、最終的に国家侵略の道具にされ、結果として敗戦という苦い経験が国民に根強いためだと思われます。
 子どもを作るか作らないかは「個人の問題」であって、「国家が介入すべきではない」というのが一般論です。

 韓国はおそらく「5,100万人」辺りが上限人口で、そこから日本と同じように減少期に入っていくのではないでしょうか。
 それが2015年頃になるのではないでしょうか。
 この資料の推定では「2050年:4,460万人」としていますが、これは韓国でいうところの適正人口のほぼ下限にあたります。
 しかし、2065年あたりで「4,000万人」くらいになることもありえます。

 もしそうなると、静止人口は「3,600万人」くらいが見込まれますが、ここまで落ちると国力が急激に減退する懸念が生じてきますので、おそらく「4,000万人前後」あたりが下げ止まりになり、静止人口は適正人口の下限を大きく下回るのではないかと想像されます。
 これは試料として日本をモデルケースにした場合の比較です。


 なを、適正人口に関して「労働力不足」というのが、説得力ある論理のように聞こえますが、これはほとんど問題になりません。
 現代にあって、「労働力不足を人間力で補う」というのは、検討に値するテーマではありません。
 そのために、科学の進歩があり、技術の発展があるわけで、人の持つ2本の腕と2本の足をして労働量を測ろうというは、100馬力の車が買えないから、100頭の馬を持ってこないといけないといったレベルの発想によるものと同じになります。
 日本では、そのところの認識は浸透しているようで、「人間がいないなら機械にやらせればいい。そのための機械である。でなければ機械の意味がない」ということでロボットをはじめとする、人間力の様々な形での置き換えが研究され実行されています。

 「労働力不足」というのは「心配する必要のないもの」と言い切っていいと思います。
 「大きな労働力と大きな資本で、多大の製品を作り出す」という「インフレ経済」に対して、世界で始めてのこととして、日本が突入した新経済の「デフレ経済」とは、「僅かの労働力で多大の製品を作り出す」環境が整っていることをベースにしたものであり、問題はそれによって発生した「余った労働力」をどうするか、というのがテーマになってきます。

 失業者にしてしまうのか、パート・季節労働者にしてしまうか、ニートにしてしまうか、引きこもりにしてしまうか、要は余った労働力に「いかに仕事を与えるか」、それが政治のメインテーマとなってくるように思えます。

 余った労働力にいかにして職を与えて「消費力」に転化させるか。
 「労働力不足」より「購買力不足」の方が深刻な問題になってきます。
 「生産力」より「消費力」の方が経済を規定していくことになります。



 <おわり>




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2008年2月21日木曜日

適正人口2:80億人突然の破局


適正人口2:80億人突然の破局
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 同じ「地球の適正人口」のタイトルで下記のウエブがありました。
 総務省や環境庁、国連のデータなどを使って説得力のある論理を展開しています。
 そこから、一部を構成を変えてコピーさせていただきます。

★ 地球の適正人口(1)(2) 2006/02/04
☆ http://plaza.rakuten.co.jp/mkworld/diary/200602040000/

 政府の見通しよりも1年ほど前倒しで、2005年から日本の人口が減少し始めたようです。
 不思議に思えることは、団塊世代の子供たち、いわゆる第2次ベビーブーマーが結婚適齢期を迎えている今、本来、人口が増加すべき時期にありながら、増加するどころか減少に向かいつつあることです。
 第1次および第2次ベビーブーマーは人口の構成比においてグラフ上にはっきりそれと分かる大きな山を形成していますが、第3次ベビーブーマーの山は見当たりません。

 何故、彼らは子供をもうけないのでしょうか?

 そんなことを考えながら、地球の適正人口って、一体どのくらいなのだろうという素朴な疑問が浮かんできました。
 環境問題が今グローバルな課題となってのしかかってきていますが、結局、突き詰めると環境問題=人口問題ということに帰着します。


 まずは農業生産の比較をしています。


 この地球は何億人の人類を養えるか?

1).地球はどのくらいの食料を産出できるか?
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<データ略>

 上記の事柄から、ここ40~50年の農業に関する進歩の具合は、だいたい以下のようにまとめられます。

●.人口は約2倍に増加している。
●.穀物生産量は3倍近くになっている。
●.よって、一人あたりの生産量は30%ほど増加している。
●.農地は約2割ほど増加している。
●.よって、一人当たりの農地は約半分程度に「減少」している。
●.単位あたりの収穫量は約2倍ほどに増加している。
●.しかし、この10年間については、そのペースが急速に鈍ってきている。
  特に1980年以降は、横ばい状態である。

 <略>

 アメリカ農務省の見解によると、2050年の世界人口はおおよそ100億人と推定されています。
 よって、単位あたりの収穫量を飛躍的にアップさせることができるかどうかが、21世紀の人類の食糧問題のカギを握っているといわれています。


 つまり、いまは順調だが「食料生産」は2050年には「人口増加」に追いつかなくなる、そういう可能性が大きい、というわけです。

 レポートは2)「森林と二酸化炭素」を調査して、「地球温暖化」について言及していますが、ここでは省略させてもらい、続きを見てみます。


3).地球のエネルギーバランスからみた適正人口
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 地球は閉鎖系なので、エネルギーの収支バランスが崩れれば、いずれ破局を避けることはできません。
 あるスレシオレベル(しきい値)までは一定期間、許容状態が継続されたとしても、そのレベルを超えた時、突然の破局が訪れることになります。

<略>

 UNICEF(ユニセフ:国連児童基金)の「世界子供白書1995年」は、世界に衝撃を与えました。
 それによりますと、世界の将来について、人類の前には、次の2つのビジョンが提示されており、その決定因子の最大のものは、まさに「人口」であるということでした。

●ビジョン1:
 世界人口が120億人を超えてさらに増加を続ける。
 人口増加、貧困、環境悪化が悪循環を繰り返し、人類は破局を迎える。

●ビジョン2:
 世界人口が80億人程度でピークを打ち、徐々に減少に転じる。
 国際協力が成立すれば、健康、栄養、教育、軍事、環境などの面で、より良い道を見出せるかもしれない。

 ここで、現在の60億人という人口があり、増加スピードに慣性の法則が働くことを考慮すれば、その増加スピードを容易には変えられないのは明らかである。
 「80億人」を許容レベルにするのは避けられないとして、その増加を放置すれば、破局が待ち受けていることは間違いないということを人類が理解しつつあるということです。

 そして、何とかうまい方法を考えて、人口増加にブレーキがかかったとしても、それは一つの前提条件が変わったに過ぎず、さらに別の面で対応を誤れば、すぐに奈落の底に落ちかねないということです。
 人類は今まさに「危機の瀬戸際」にいるのです。


 そして結論は。


4)結言
─────
 現在の「地球システム」は、これ以上の「人口増加には耐えられない」と結論せざるを得ません。
 これは、「人類社会の明るい未来は、・・・・・地球環境を消耗することと引き換えに物質的な繁栄を追及する現代文明の単純な延長線上には見つからない」(環境白書2000年)という帰結と一致するものです。

 地球システム全体としては圧倒的に「人口爆発」ということが問題であり、その解決の処方箋はまだみつかっていません。
 しかし、その処方箋が書けない以上、人類の継続的な繁栄もまたあり得ないことなのです。


 つまり、こういうことです。
 「人口80億人」を超えると、「ある日、突然、破局を迎える。」
 
 その破局とは、下記のようなものが「理由もなく」「前触れもなく」「突然、発生する」となるでしょうか。

 1.食糧がなくなる
 2.エネルギーがなくなる
 3.地球環境がくずれる(温暖化による洪水など)
 4.未知のスパー病原体(スパーエイズなど)の発生、あるいは遺伝子レベルでの異変
 5.人間の社会的不適応(増殖しすぎたネズミが海に向かうように)
 
 対策は、「その処方箋が書けない以上、人類の継続的な繁栄もまたあり得ない」ということで、「なし」です。
 要は「あきらめなさい」ということになります。

 過去の歴史の中にも数々の恐竜が「突然の破局」で姿を消していきました。
 恐竜も生物、人間も生物、「生物の法則」から逃げることはできないということでもあります。
 いわく「形あるものは滅する」ということなのでしょう。

 【 質問 】

 破局とは、80億人の大半が滅びることでしょうか、それとも過半は生き残るということでしょうか。

 破局を回避するために、80億人を50億人に減らすとし、その30億人にアナタが選ばれたらどうします。

 「80億人、皆で滅びりゃ怖くない」の方が精神衛生的にベターだと思いますか。

 適正人口化よりも、破局の向こうに一抹の希望をみた方が心理的安定感があることは確かです。


 Yahoo知恵袋の中で若干でも先を見通した答えがこれ。

 (日本は)本来は経済的にも国際社会の中で主要になるような国じゃありません。
 出生率低下っていうのも長い目で見れば増えすぎた人口を適正状態に戻すべく、言ってみれば人間の本能的な部分での調整がされているだけと思います。
 50年くらいは厳しいかもしれませんが、100年後200年後を考えれば人口減少というのはごく自然な話です。


 もし、人類の歴史の裏側で「破局のシナリオ」が進行しているとすれば、それに反応しているのが「人口減少」すなわち「少子化」であるということになる。
 もちろん、日本人が意識して地球の人口過剰への対策をしているわけではない。

 日本では戦後十数年で突然、長いこの国の歴史にまったくなかった国民のすべてが「銀シャリ」を食える時代がきた。
 それから高度成長期がきて、あっという間に終末のバブルが来た。
 そこでガラリと様相が変わって、次の時代に突入した。
 世の人はこの頂上期を「失われた10年」という。

 この10年に、これまでの「インフレ経済成長」に基盤を置く近代経済学にまったく見られなかった、「デフレ経済安定」が生まれてきた。
 100円ショップが生活に根付いた経済である。
 低賃金、物価安値安定の「非成長型経済」である。
 大きな国から小さな国への移行であり、右上がり国家から水平国家への移行である。

 その背景にあるのは、今地球上で進行している人口爆発の前例テストケースもどきの、日本人の「人口爆発」の片鱗と、終了である。
 ゼロから頂上までを半世紀ほどで、「近代経済学のすべてを経験してしまった」のが日本である。

 インフレ経済とは「生産」に基本をおく経済であり、その根底には「生産」がすべての基礎であるという基本認識がある。
 その究極が社会主義・共産主義であり「国家が生産手段を独占する」というドグマである。

 しかし、デフレ経済では、機械をちょっと動かせば大量の物が瞬く間に生産できるバックグランドがあって、絶えず社会の動きをみて管理していないと「過剰生産」あるいは「在庫過剰」に陥り、廃棄処分をしないといけなくなる環境に立脚している。
 「生産が消費を規定する」経済社会から「消費が生産を規定する」経済社会に移行しはじめているということである。

 すなわち、「物を作る」というのは、「いつでも作れる」というレベルに達してしまった経済である。
 よってここでの主眼は、消費者は何を望んでいるのかを見極める目を持たねばならないことになる。
 でないと「売れない物あふれ」が発生してしまうことにもなりかねないのである。

 「作る側」ではなく「使う側」に主導権が移ってしまった経済である。
 そして、その先に見えたものが「デフレ安定」と「人口減少」である。
 いいかえれば、日本という海に囲まれた領域のなかで、地球人口爆発のコンパクトモデルが実験された、ということである。

 なを、現在の経済の主導権を握っているのはアメリカであるが、アメリカ経済は今後とも「インレ成長」を主眼にしていく経済である。
 というのは、この先さらに1億人の人口増加が見込まれている、からである。
 ということは、日本は世界の主流でない、新デフレ経済の曲面を単独の判断と舵取りで進んでいかねばならない運命を背負い込んでいるということになる。

 「適正人口」とは社会主義のようにオカミが人為的に操作するような感じに捉えられることが多い。
 そのため人口爆発の場合はその頂点を「上限人口」、減少傾向の場合は「静止人口」と言うことが多いようである。
 静止人口とは下限人口ではなく、安定人口といった意味が強い。

 日本は「1億2780万人」でピークを迎えた。
 次回は減少に入った今、どこで静止するのか見ていこう。


 なを、「世界の食糧事情」については、下記の農林水産省のホームページが図解でわかりやすいです。それによると、現在トウモロコシ生産量の20%がエタノールガソリンに使われているそうです。

★ [PDF]世界の食料需給の現状
☆ http://www.jaicaf.or.jp/news/lecture_6_2007-1.pdf



<つづく>



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2008年2月15日金曜日

適正人口1:世界の人口増加


適正人口1:世界の人口増加
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 「海水淡水化」を見てきましたが、この背景には世界の人口増加という問題が厳然と控えています。

 日本では人口頭打ちから減少傾向にむかい「少子亡国論」がでたり、「少子化担当大臣」が設けられたりしてていますが、一方の中国では「一人っ子政策」が実行されたりしている。
 それぞれの国内事情で反応が違うようです。
 人口増加というものが好ましいものなのか、慎むべきものなのか論が様々にあって一定していません。

 国ではなく、世界・地球というレベルで見てみるとどうでしょう。
 人口増加が発生するのは基本的に増加した分、貧しくとも「食っていかれる」からでしょう。
 もし、食べていかれなかったら、増えるはずがありません。

 生存可能だから増えるのです。
 生存できなければ増えません。

 人間とて生物の一種に過ぎません。
 動物とは違った種類の生き物ではありません。
 よって生物法則にのっとってその数が上下するのは当然のことです。
 過去に人類の数が少なかったのは、食べられなかったからであり、現在その数が爆発的に増大しているのは、爆発的に食糧事情、すなわち農業生産が増えたからにほかなりません。

 人間が一般動物と異なっているのは、耕作して食べ物を作りだすという技術を身につけているからです。
 一般生物は自然から与えられた食料に依存しています。
 人間はそれに若干の手を加え、食料を計画的に生産し、かつ貯蓄することができる生物になっています。

 「エタノール・ガソリン」というのがあります。
 トウモロコシからとったオイルをガソリンに使っています。
 つまり、本来なら人の口に入るべきものが、食料としてではなく別の製品に使われているということです。
 それだけ農産物が余っているのです。
 ですから人口が増えているのです。
 あたりまえの事ですが増大を可能にする条件があるからこそ、可能になっているのです。

 では何故、日本の人口は減少に向かっているのでしょう。
 生物法則からいうと、きっと「食えない人間が多数発生したため」である、ということになります。
 戦後の混乱期には餓死者が多数でました。
 「遺伝子組み換え食品」で書きましたが、それが十数年で突如、日本の歴史の過去に全く存在しなかった事態、すなわち国民全体が「銀シャリの食える時代」が到来したのです。
 そして人口はどんどん増え続け、今では1億2800万人弱になりました。

 それが、2,3年前から少しづつですが、減りはじめています。
 そして、なんと食料自足率はカロリー比較で40%にまで落ちてきています。
 となれば結論は一つしかありません。
 「国民が飢えて食えなくなってきている」。
 ほんとうでしょうか。

 どうも違うような気がするのですが。
 きっと「メタボリック・シンドローム」などというのは、マスコミが作った幻影で、実際にはありはしない。
 あるとしたら「キガボリック・シンドローム」にちがいない、ということになるのですが。
 「飽食の時代」は間違いで、「飢餓の時代」が近づきつつあるらしい、となるのですが。


 いったい、人間というのはこの地球という「限界のある面積」の中でどのくらい生存可能なのか。
 一般生物としてではなく、食料を自ら作り出す能力を持った生物として、すなわち自然的生物としてではなく「社会的生物」として、どれほどの数が生存できるのだろうか。

 「地球適正人口」で検索すると50万件、「世界適正人口」で検索すると96万件、単に「適正人口」で検索すると200万件も出てきます。
 もちろんこんな数の内容をチェックなどできません。
 最初の20、30をチェックする程度です。
 頭に出てくる十件を取り上げても実にドラマチックです。

 たとえば、トップサイトはこんな感じ。

適正人口の管理
1.許容人口の決定
  資源からの許容人口と環境許容人口を総合評価。
  地球上の許容人口を地域別などに細分化して決定。
2.出生コントロール
  人口のコントロールはもっぱら出生によって行う。
  地域別、人種別などの格差を是正しつつ管理する。
3.終末管理
  人口減少のための殺人や中絶などを厳禁する。
  終末では延命よりも生存の内容を重視する。

 「おいおい、やめてくれ」と言いたくなります。
 怖いです。
 この方、きっとショック療法を考えているのではないかと思うのですが。

 次は「地球の適正人口は何億人か」という問いに対する答え。

 地球の人口とエコロジカル・フットプリント(地球個数表現)を図に示す。
 図は人口とエコロジカル・フットプリントの原点を一致させてプロットするとほぼ傾きが同じとなる。
 これから何がわかるかというと、地球1個に対しての適正人口は約50億人という。

 現在、オーバーしている十数億人はどうなるのだろう。

 どれを取り上げても、「現在人口65億人は多い」と出てきます。
 「どうもおかしいと思うのです。」
 なぜなら、いま実際に65億人が住んでおり、これから80億人ぐらいまで増えようとしているのです。
 食料が石油の替わりにガソリンに使われているのです。
 それで「多い」と言っているのです。

 まずはじめに「適正人口」ありき、で進んでいるように思えるのですが。
 適正人口を決めて、それにあわせて食糧生産をし、適正人口以上の人口は抑制すべきである、といった論理に聞こえるのです。

 人口論的社会主義というより、はじめ神サマがいて、神サマが人間を作り、その人間に合わせて自然を作った、いま人は神サマが作った以上に増えている、これは神への冒涜だ、といった宗教感覚に聞こえてくるのですが。

 適正人口のバックデータを探していきたいと思います。


 「Yahoo知恵袋」にもいろいろな質問が寄せられています。
 まずは、地球の適正人口について。


質問(2006/08/13):
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 地球の人口は、全世界で毎年1億人増加しているそうですが、地球の適正人口は、何人ぐらいなんでしょうか?。
 仮に、すべての医療行為・薬品の使用を中止すると、「大自然の摂理」によって適正人口になりますか?

ベストアンサーに選ばれた回答
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 現在の地球には65億の人がいますが、穀物の生産は、品種改良と灌漑(かんがい)、肥料や農薬の利用で50年間に2.5倍にも増えましたが、農地の4割が劣化(れっか)してしまい、穀物生産をこれ以上増やすのは難しくなりました。
 穀物は年に20億トン生産され、動物のエサでなく人が直接食べれば、100億人が食べていけます。
 ですから「大自然の摂理」にまかせるのがどういうことだと貴方が判断されているか分かりませんが、地球上に餓死する人がいる現在の状態は自然の摂理に反しているのかもしれませんね。

ベストアンサー以外の回答
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 適正規模の概念で異なります。
 簡単に言えば、「生活水準」で異なり、米国並・日本並・東南アジア並などです。
 すべての医療行為・薬品の使用を中止するだけで、大自然の摂理による適正人口ということになりますか?
 恐らく、その可能性は10%以下でしょう。
 江戸時代の日本は、最高で3千万人ほど。
 同じ国土にいまは1億2500万人。
 人が 生存するだけと、健康で文化的生活をすること、は違うでしょうし、なにが適正か難しいところ。
 「自然の摂理」といっても、現代はアメリカのように、食糧を戦略物資と位置づけ、タネは輸出しないなど いわば自然を管理下に置いてますから。
 まぁ、地球の気候に偏重をきたすほど人間が増えている「人口爆発」の今は明らかに適正人口を超えている、とはいえるでしょう。


 次は、日本の適正人口について。


質問(2007/01/03):
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 日本の人口1億2千万人は多すぎないですか?
 食料自給率が低く輸入に頼っているから成り立つのではないでしょうか?

ベストアンサーに選ばれた回答
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 私も多すぎると考えますね。 
 やはり、国土の居住可能面積に対する適正人口というのがあるだろうから、食料自給自足の要する面積も考えると、人口が増えすぎるのは問題がありますね。
 食糧の点については、輸入に頼る現在の形式は問題があって、仮に世界全体の食糧自給不足の状況になったときに、日本の場合は自給率がカロリーベースで約40%ということだから、一気に大事件になる。
 そのときに慌てて作ろうとしてもできることではないだろう。
 そのように考えると、日本の人口は多すぎるんじゃないかな、というのは同感です。
 関連ですが、食糧の輸入自由化には当然に反対です。
 これは、日本の食糧の自給部分を潰しかねない。
 そうなると前言通り、世界食糧不足が発生したときの深刻度合いが大きくなるからです。

ベストアンサー以外の回答
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1.
 私も多いと思うし、本来は経済的にも国際社会の中で主要になるような国じゃありません。
 出生率低下っていうのも長い目で見れば増えすぎた人口を適正状態に戻すべく、言ってみれば人間の本能的な部分での調整がされているだけと思います。
 50年くらいは厳しいかもしれませんが、100年後200年後を考えれば人口の減少というのはごく自然な話です。
2.
 多すぎはしないと思いますよ。
 集中しすぎているとは思いますが。
3.
 食料自給率が高いと推測される1900年の人口が約9000千万人であったのだから、人口が多すぎるということはないと思います。
 人口よりも少子高齢化のほうが問題ですね。日本の力が減少していきます。


 ちょっと踏み込んだ内容の質問がこれ。


質問(2007/10/20):
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 なぜ日本だけが、食料自給率が少ない国として人口大国でありうるのでしょうか?
 日本より人口が多い国は全て食料自給率は80%以上です。

ベストアンサーに選ばれた回答
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 今の所、大規模な国際的な不作や冷戦後に大規模な国際紛争が発生していないから。
 戦後直後は食糧購入の金も無く、備蓄も使い果たしていたので、現実大量の餓死者や栄養失調を排出しました。
 地球温暖化による地球規模の天候不純が発生しており、今後、世界的な規模の不作が発生する可能性が在ります。
 このような状況で他国が自分の国の分を削ってまで日本に売ってくれるでしょうか?
 今まで、偶然と冷戦構造が重なって売って貰えていただけですし、少し前まで日本の自給率は70%を超えていましたから問題では在りませんでしたし、日本は備蓄米を持ち、米は保存穀物としては優れた性質の食糧です。
 今だけの経済状況で楽観視していても必ず将来ひどい目にあいます。

 現実、日本食ブームでマグロが高騰しています。
 10年前、日本人以外でまぐろをここまで外国人が食べるようになると誰か予想出来たでしようか?
 日本人が食べるマグロはどんどん無くなりつつ在ります。
 海外からの輸入に頼るのは非常に危険な事です。
 魚は以前程、たくさんとれません。
 にしん・いわし・たらetc。

 自給率下げたらただでさえ、老人人口が圧迫している米農家は採算性と価格競争から破綻します。
 ブランド米ではない地方の農家は廃業し、農地から波及して地方地価は下落、地方経済は担保資産を失います。
 こうして、地域格差、特に東北と中国・四国は壊滅的な打撃を受けます。

 アメリカや中国の米との競争が決定的に違う点は農作地価と規模です。
 また、日本の山村風景や里山環境等弥生時代から続いて来た米作の風景と環境は徹底破壊されます。
 玄米を食べ様にも地方の農村共同体が破綻しますから、米は一部でしか作られなくなり、全体には回らなくなります。
 米の完全輸入フリーは日本を壊滅させます。
 無論、そこで直に餓死はおきませんが、自給率をさげたまま輸入に依存すれば、世界的な凶作の時に餓死者は間違い無く出ます。

 いざと言う時に第一次産業をやれと言ってもそんな簡単な物で無い事は第二次大戦後の飢饉がその事を良く証明しています。
 米が余っているのは今現在の話で、米農家が壊滅した後では在りません。
 米農家が壊滅すれば生産料は落ち込みますからすぐに備蓄も底をつきます。
 日本は山間産地が多い為、無論大規模農法には適しませんしね。

ベストアンサー以外の回答
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1.
 買う金があり、売ってくれるから。
 これが金がなくなり、売ってくれていた国が食料不足になったら・・・・。
 日本人は何人飢え死にするかわかりません。
 これは、現実の未来かも知れません。
 他にもいろんな食料危機のシナリオがあります。
 まだまだ楽観主義の方がおられますね。
 いざとなったとき一番国を批判する輩になるんでしょう。
 悲しいです。
 最終的に危機の時は自分事は自分で守ると云うことを肝に銘じています。
2.
 貧困富裕の差だとおもいます。
 貧困の国は、自給せざるえない環境・・・
 富裕の国は、金の力があるので・・自給しなくてもよくなった。
 日本はこれからは、自給しないといけないでしょう。
3.
 一番多く買っている食物は、飼料穀物です。
 次が、海老や贅沢な食品です。
 贅沢食品と、飼料を買わなければ、今でも自給率は60%位有ります。
 即ち、飼料で作る肉と、グルメ食を食べなければ、輸入金額は激減します。
 「餓死」などはしませんよ。
 米は余っているのですから、、また生産余力が充分ありますから「餓死」なんてしませんよ。
 肉と、グルメ食は続けられないかも、、、、涙! 
 玄米、お新香ウ、お野菜、魚、たら腹食べられますよ、、、
 これ等の食品で、自給率を90%に持って行くのは簡単な事です。
 貧乏になったら、玄米を食いなさい!!!!!
4.
 我が国の主食である「コメ」が単位面積当たりの収穫率が高いことがあげられます。
 これがパン食だったとして小麦畑を作るとしたら到底まかなえようはずがありません。
5.
 人口密度が非常に高く、しかも生活水準が高いからです。
 現在の食生活の水準を維持しながら、約1億の全員を国産だけで食わせていくことは始めから不可能です。
 鎖国状態、即ち自給自足状態が維持されていた、江戸時代の人口は約3,000万人でした。
 技術の進歩を考えても、多くを輸入に頼らざるを得ません。


 なるほど。
 いろいろな意見があります。
 ざっと検索しただけで、これほどのデータを集められるのが電子網のスゴさ、というより恐ろしい。

 でも、ちょっと考えると分かる矛盾があります。
 例えば、食糧危機が来たとき、一番安心していられるのは「自前で食糧を生産してところ」とは、考え易いですが果たしてそうでしょうか。

 なぜなら、「食糧危機」というのは「生産地を最も強烈に直撃する」ものなのです。
 消費地はその危機を分散できます。
 でも生産地はそれができません。
 もろ、そのままダメージになります。
 リスクを回避する手段がありません。
 ために、食糧危機がきたときは、食糧消費地は食糧生産地に対して、手持ちの食糧の一部を割いて食糧援助をすることを強いられるはずなのです。
 経済学のやさしい法則です。

 ここは数年来の干ばつ。
 政府の手厚い保護支援政策にもかかわらず、農業を離れる人は後を絶たない。
 しかし、街のショッピングセンターにはあふれるばかりの食料品が売られている。
 干ばつなんのその。

 アジア、北米、南米から、世界中から食品が集まってきている。
 果物はすべてアメリカ産である。
 農業国でありながら地元のものを探すのに苦労する。

 壮年以上の半分は「肥満」。

 干ばつ何処吹く風である。
 苦しんでいるのは生産者である。
 貨物に改造されたジャンボのおなかにたらふく抱え込まれた食糧が、売り先を求めて世界中を飛び回っている。

 その他にも、「そうだろうか」という説もありますが、人それぞれの考え方によります。


 もう少し詳しく、見ていきましょう。



<つづく>



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