2008年8月9日土曜日

パパママ文化(メモ)

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 パパママ文化(メモ)
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 昨年、日本に行った。
 ひさしぶりに新宿を見て回った。
 この近くで育ったので、よく知っている街のつもりである。

 その、東京・新宿は断末魔の悲鳴を上げていた。

 沈みゆく豪華船に定員オーバーが乗っているみたいなもの。
 海の藻屑と消えるときを待って、その恐怖を紛らわすために、浮かれて船上でパーテイーをしているみたいなもの。
 アリ塚のバベルの塔。

 孤独を紛らわすために集まり、集まれば集まるほど逆に孤独が深まり、人が人を呼び、呼べば呼ぶほど寂しさの淵へ落ち込んでいく、そんな雰囲気。

 学生のときだが、デビット・リースマンの「孤独な大衆」という本を読んだことがある。
 その頃はとりたてて、印象にも残らなかったが、昨今はモービルフォンという媒体を繋がないと人間関係が維持できない人種が多いようで、それが先鋭的に具体化している。

 以前は「***殺人事件」といったストーリーだけの斜め読みできる文庫本やマンガや週刊誌で、到着駅までのヒマつぶしをしていた人がたくさんいた。

 いつでもそうだが、文庫本を車内で読む人の顔は、寂しさに満ちている。
 精気を失っている。
 おのれと会話できないため、文章の間にもぐりこみ、時間の恐怖から逃れようとしている。
 「空白の時」に耐えられない人種なのかもしれない。

 それが携帯電話に代った。
 リースマンのいうように、都会人は常に孤独の想を背負っている。
 現代人は「モービルフォン版 孤独な大衆」なのかも。

 フェース・ツー・フェースで顔を合わせても、別にしゃべることもない。
 シラケルだけの人間関係しか構築できない。
 でもモービルフォンを手にして繋がると、途端に饒舌になる。
 なぜだろう。

 「パパママ文化」だろうか。

 人間関係とはつらいもの。
 責任と責任のぶつかり合いになってしまう。
 生身で人がぶつかったらどちらも傷つく。

 「友情が大切」とは、キズつくことが大切ということである。
 つまり「傷つく」こと、「痛さ」を説く。
 人は最後まで孤独である。
 孤独を基礎にして、その向こうにどういう人間関係を築くかが友情である。

 先生は「友情」の崇高さを説くが、傷つくことは説かない。
 友だちを説くが、孤独を説かない。
 先生自体が知らない。

 先生自体がパパママ文化の落とし子なのだろう。

 先生という役割だけを担っている。
 それでいい。
 父母もパパママ文化でありながら、勝手に生身を先生に要求する。
 先生は絶対に担えない。

 「親しいオトモダチ」はパパママ文化である。
 しかし、友情はパパママ文化ではない。
 友は自分ではない。
 友は友、自分は自分。
 明らかに別もの。
 孤独と孤独のぶつかり合い。
 でも、ステージ上の同じ役割なら演じられる。

 電話という媒体を通して役割を上手に演じる。
 媒体の向こうにいる、観客にパフォーマンスを披露するのが、パパママ文化なのだろう。
 決まった枠の舞台で演じるのが仕事。
 そのつながりで成り立っているのが現代。
 舞台がないと、演じられない。
 生身になってしまう。
 生身になるとは、怖すぎる。

 電話の向こうに大衆がいる。
 演技でしかむきあわない。
 軽いタッチ。
 パフォーマンスが人を呼ぶ。
 それがまた人を呼ぶ。

 自分の役割をネットワークに押し込めないと、孤独な大衆からも弾き飛ばされる。
 パパママ文化の中にすら身のおきどころがなくなる。
 でも、パパママ文化しか知らない。
 それ以外の文化を教えてもらってはいない。
 「傷つく文化」を教えられていない。

 孤独を教えられていない。
 ならば、閉じこもるだけ。
 孤独は精神的なもの。
 閉じこもりは肉体的なもの。

 人は常に孤独なもの。
 孤独を教えないと、教えられる側は自分が世にそぐわないものと感じてしまう。
 自分と世が合わないなら、閉じこもるしかない。

 「パパママ文化は孤独を教えない」
 パパママ文化は「優等生育成マニアル」
 なぜなら、「パパとママが劣等生だった」から。
 なら「子どもは優等生に」

 そのマニアルがあるかぎり、パパママは傷つかない。
 パパママは悪くない、「マニアルが悪い」
 「パパママ文化」は責任を他人に転嫁する文化。

 北京オリンピックマラソンのワンジルは言った。
 「日本でガマンを学んだ」、と。
 パパママ文化は「ガマンともったいない」を教えない。
 「ガマン」はパパママ文化のマニアルにはない。

 人は傷ついて成長する。
 傷つかないで済む方法、「パパママ文化」に逃げ込め。
 パパママ文化は「仮面文化」
 傷つくのはパパママという仮面だけ。
 中身は傷つかない。
 至極安全。
 人間の役割を放棄して、仮面の役割を優先する。
 でも、成長が止まる。
 固定した役割だけ。

 「そして、みんな大きくなった」

 いい年をした老人が「パパ」と呼び、「ママ」と呼ぶ。
 パパママ文化は老人まで浸透した。
 いや、パパママ文化を創出したのは今の老人世代だ。
 「ハイカラ文化」をあこがれて育った世代だ。

 老人は若き日に企業戦士になった。
 彼らは日本を作った。
 傷つく自己を捧げた。
 その分、内はパパママ文化というマニアルにまかせた。
 人はマルチ能力はもっていない。

 「パパママ老人」が都心に帰ってきているという。
 理由は。
 いい医療を求めて。
 最先端医療がないと生きていけないほど日本の「人間は脆くなった」のか。
 ハイカラは人間を脆くしたのか。
 働き過ぎたのかもしれない。

 でも、いい医療を求めて帰ってきた都心「タイタニック号」は沈没を待っている。
 超高層「バベルの塔」は崩壊を待っている。
 人が人を呼び、増殖していく。
 そして最後は、増えすぎたネズミと同じ運命をたどるのであろうか。

 思考は長生きを目指す。
 だが、自然の本性は知らぬ間にネズミと同じ行動をとらせているかも。
 未来は分からない。
 わかれば苦労しない。

 長生きを目指し、長生きをすればめっけもの。
 逆もありえる。
 一分先は闇。
 舞台の上の演技ではない。
 パパママ文化では、ちょっとばかり心もとない。
 台本があり、ストーリーがあるわけではない。

 「未来にマニアルはない」
 「未来にシナリオはない」


★:これは「メモ」です。
  適時に削除されます。



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2008年3月26日水曜日

三途の川3:死後の世界




三途の川3:死後の世界
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 没頭の「冥土への旅路」に「死んだらどうなる」という問の答えが4つ載っています。

 ①.真っ暗、なんにもない:::無神論
 ②.浄土へ(修行に)行く、往生、成仏:::浄土系、キリスト教
 ③.永遠の天国か、地獄へ行く:::イスラム教
 ④.六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)をめぐる:::インド教

 後ろの宗派は大まかな分類です。
 最後にこれを見ていきましょう。


 日本以外の国での「死後の世界」に関する調査データを見てみてみます。
 下記のウエブから抜粋します。
 ちょっと国名が多くわずらわしいですが、そのままコピーします。
 詳しくはホームページに直接どうぞ。

★ 神の存在、死後の世界に対する各国国民の見方
☆ http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9520.html

 世界数十カ国の大学・研究機関の研究グループが参加し、共通の調査票で各国国民の意識を調べ相互に比較する「世界価値観調査」が1981年から、また1990 年からは5年ごとに行われている。
 各国毎に全国の18歳以上の男女1,000サンプル程度の回収を基本とした個人単位の意識調査である。

 ここでは、神の存在、死後の世界に対する各国国民の見方を図録にした。
 対象国は、55カ国であり、存在していると考えている人の比率別の内訳は、以下の通りである。

①.「神の存在」を信じている人の比率別の国数と国名
──────────────────────────

「信じている」90%以上 (24ケ国)
-----------------------------------
 エジプト、ヨルダン、ナイジェリア、インドネシア、マルタ、バングラデシュ、フィリピン、イラン、ウガンダ、ジンバブエ、プエルトリコ、タンザニア、ペルー、南アフリカ、メキシコ、トルコ、ポーランド、チリ、アルゼンチン、アイルランド、米国、インド、ポルトガル、ルーマニア

「信じている」50~90%未満(26ケ国)
------------------------------------
クロアチア、カナダ、イタリア、北アイルランド、ギリシャ、オーストリア、スペイン、アイスランド、スロバキア、セルビア・モンテネグロ、フィンランド、ベラルーシ、ウクライナ、ラトビア、リトアニア、ルクセンブルク、ベルギー、ハンガリー、スロベニア、デンマーク、ドイツ、英国、ロシア、オランダ、ブルガリア、フランス

「信じている」50%未満(5ケ国)
-----------------------------------
 スウェーデン、エストニア、日本、チェコ、ベトナム


②.「死後の世界」が存在していると考えている人の比率別の国数と国名
──────────────────────────────────

「存在している」90%以上(4ケ国)
------------------------------------
 エジプト、インドネシア、ヨルダン、イラン

「存在している」50~90%未満(26ケ国)
------------------------------------
 ナイジェリア、トルコ、ウガンダ、フィリピン、タンザニア、マルタ、チリ、米国、南アフリカ、プエルトリコ、アイルランド、ポーランド、ジンバブエ、アイスランド、メキシコ、カナダ、ペルー、イタリア、クロアチア、インド、北アイルランド、スロバキア、アルゼンチン、バングラデシュ、ルーマニア、オーストリア

「存在している」50%未満(25ケ国)
------------------------------------
 リトアニア、ギリシャ、オランダ、スペイン、ルクセンブルク、英国、フィンランド、ポルトガル、ベルギー、スウェーデン、フランス、ドイツ、デンマーク、日本、ラトビア、ベラルーシ、チェコ、スロベニア、ウクライナ、ハンガリー、ブルガリア、エストニア、ロシア、セルビア・モンテネグロ、ベトナム


 神の存在と死後の世界を比べると、「神の存在」の方が一般的に信じられている。

 神の存在は24カ国で90%以上の人が信じており、50%未満の人しか信じていない国は5カ国に過ぎないのに対して、死後の世界は、90%以上の人が信じている国は4カ国しかなく、50%未満の人しか信じていない国は25カ国もある。

 エジプト人は、神の存在、死後の世界ともに、100%の人が信じている。
 ヨルダン、インドネシア、フィリピンといった諸国も、エジプトと同様の見方を示している。

 ”
逆に、ベトナムは、神の存在も死後の世界も信じていない者が多い点で目立っている。

 日本は、ベトナム、チェコと並んで、神の存在を信じない人の多い国であるが、死後の世界については、信じない人が多いが、その比率は、ドイツ、デンマークと同程度であり、それほど目立っているわけではない。


 また、日本人の解答だけを見てみます。


 日本人の回答結果(%)
-------------------------
______________: 存在する___存在しない__わからない__無回答
A)神の存在__:____35.0_______31.6________33.4_______-
B)死後の世界:____31.6________30.5________37.9_______-

 日本人の特長は、「わからない」の比率が多い点にある。
 神の存在については、世界各国の中でも、「わからない」の比率は圧倒的であるし、死後の世界についても、「わからない」の比率は世界一高い。
 日本人は、神の存在や死後の世界に対して、存在するともいえるし、存在しないともいえるという立場をとっているように見える。
 悪く言えば、どっちつかずの見方で他国から理解不能な民族ととらえられる傾向があるともいえるし、よく言えば、「
存在を証明できない」以上、「どっちでも良い」ではないかと「哲学的に考えている民族」であるともいえる。



 さらに、その続編のウエブがありますので、抜粋で見てみます。
 詳しくはホームページへどうぞ。

★ 神の存在・死後の世界を信じるものの割合の推移(ヨーロッパ6カ国)
☆ http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9522.html

 先に神の存在・死後の世界に対する見方(2000年)を掲げ、多くの人の関心を呼んだ。
 次には、宗教心、信仰心の変化と言うことで、この点に関しての時系列変化が気になるところである。

 実は、少なくともヨーロッパの主要国に関しては、世界価値観調査以前に、ギャラップ調査で同様の質問で調査が行われていたことが分かった。
 神の存在に関しては1968年以降、死後の世界については1948年以降のデータが得られるので、グラフにした。
 対象国としては、年次的に多くのデータを得られるフランス、英国(北アイルランドを除く)、ドイツ、オランダ、スウェーデン、フィンランドを掲げた。

 死後の世界、及び神の存在を信じるかどうかについては、総じていえば、戦後、大きく信仰心が衰えたが、近年は、横ばい傾向にある。

 死後の世界を信じるかについては、戦後1948年から20年後の1968年にかけて、いずれの国でも信じるものが減少している。
 フランスでは33%ポイント、英国では11%ポイント、オランダでは18%ポイント、フィンランドでは14%ポイントとかなりの減少であり、最初から低かったドイツ、スエーデンでも、それぞれ、2%ポイント、11%ポイントの減少となっている。
 1968年以降は、オランダ、フィンランドはさらに減少したが、それ以外の国では、横ばい、ないしやや上昇のところもある。

 神の存在を信じるかに関しては、1968年から1981年にかけては、いずれの国でも減少であるが、1981年以降については、回復の国もあればなお減少の国もある。



 通常、「神の存在」を信じている人は、あたりまえだが「一神教」の信者に多い。
 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教である。
 この3つの宗教はご存知のように同じ「神」を信仰している。

 聖書の主眼は「神が人を作った」ということにあり、故に「神を信ぜよ」ということになる。
 スウェーデン、エストニア、チェコはキリスト教のはずだが、それが50%と以下だという。

 バイブルが「天地・人間の創生」に関する書なら、コーランは「最後の審判」の書である。
 バイブルには天国地獄の描写はリアルにはなかったように思う。
 コーランにはそれがあり、地獄に行きたくなければ「神を信ぜよ」ということになる。
 天国がいかにすばらしいところかを描いている。

 コーランの神は常にサタンと綱引きをしており、人々をこちら側に引き込もうとする。
 それがコーランの主たる内容である。

 繰り返し繰り返しよく出てくる言葉が下記のようなもの(世界の名著「コーラン」より)。

 主を畏れかしこむ者には、下に河川が流れる楽園があり、神の饗応として、そこに永遠にとどまれる。
 神の身許にある者は、敬虔なる者にとって最良のもの。


 神とその使徒に服従する者は誰でも、下を河川が流れる楽園に入れられ、そこに永遠にとどまれることになろう。これこそ大きな成功である。


 これが、コーランでいう「死後のよき世界」である。
 「下に河川が流れる楽園」
 日本ではどこにでも普通にある風景だが、砂漠の宗教では「水」を湛えた河川は羨望の的になる。それが豊かさ、幸福の表現となる。
 ここに入れるよう「神を信ぜよ」となり、イスラムでは死後の世界と神の存在は一致している。

 コーランは聖書とは違って読む機会も少ないでしょうから、参考に極楽と地獄を引き抜いてみます。

 このような者は、近くに召され至福の楽園に入る。
 錦織の寝台の上にむかいあって寄りかかる。
 永遠の少年たちが、そのまわりを酒杯と水差しと、泉から汲んだ満杯の杯などを献上して回る。
 頭痛を訴えることも、泥酔することもない。
 彼らは好みどおりの果物を選び、鳥肉も望みどおりのものを得る。
 目の大きな色白の乙女もいる。
 彼女たちはまるで所業に対する褒章というもの。
 ------
 実が重なり合っているタルフの木と、広々とした日陰と、湧きでる泉のそばにあって、果物は多く絶えることもなく、食べるのを禁じられることもない。
 高くしつらえた寝台が、彼らのためにある。
 われらは、この乙女たちを造っておいた。
 けがれない処女を造りあげておいた。
 同じ年頃のかわいい乙女にしておいた。
 これらは、ひとえに「右がわの者」にあてがうためである。
 -------
 「左がわの者」とはだれか、左がわの者とは。
 業火の炎と、煮えたぎる熱湯と、黒煙の影のもとにあって、涼しさもたのしさも、まったくない。
 -------
 おまえたちは、ザックルームの木の実を食べ、胃袋はいっぱいにふくれ、そのうえに、煮えたぎる熱湯を飲むのだ。渇き病に取りつかれたラクダのように飲むのだ。
 これが、審判の日に彼らが受けるもてなしである。
 --------
 彼が神の近くに召されるものであれば、休息と、おいしい食べ物と、至福の楽園がある。
 もし、右がわの仲間なら「おまえに平安あれ、左がわの者よ」。
 もし嘘つきで、迷う者の仲間であれば、煮えたぎる熱湯のもてなしがある。
 業火の炎で焼かれるのだ。
 これは、全部、明々白々たる真理だ。
 よって、偉大な何時の主の御名を讃えよ。


 「酒はうまいし、ねえちゃんはキレイ」、それがコーランの天国極楽。
 ついでに、「美少年」もいる。
 それがコーランの天国極楽。
 イメージとしては、わかりやすくていい。
 あの世もこの世と同じ欲望で動いている。


 比較のために、キリスト教の「死後の世界」についてWikipediaで見てみます。
 まず「地獄」について。

 地獄は、キリスト教においては、聖書の内容から存在が導き出されている。
 旧約聖書や新約聖書まで地獄に関する内容が数十箇所に現れる為、これらの記述により地獄説が存在する。

 しかし、天国とはどこかと言われる説明はイエスによって説明されるが、地獄についてはいったいどんな所なのか聖書上一切説明されてない。
 こういったことによりアメリカで始まった新しい教会(現在異端視されている)エホバの証人などは地獄を一切否定する。

 カトリック教徒である14世紀イタリアの詩人ダンテ・アリギエーリは、その大著『神曲』の中で、九圏から成る地獄界を描き、地獄のイメージを決定づけた。


 次に「煉獄」について。

 煉獄とは、古くは「浄罪界」とも訳され、主にカトリック教会の教義において、死後地獄へ至るほどの罪はないが、すぐに天国に行けるほどにも清くない魂が、その小罪を清めるため赴くとされる場所である。
 ただ、第二バチカン公会議以降の教会の現代化の流れにより、現代のカトリック教会で煉獄について言及されることはほとんどない。

 地獄は救いの無い場所、天国は罪の一切無い場所と定義されるが、煉獄はキリスト者として罪の贖いを受けて救済を約束されていながら、小罪および罰の償いが残っているため、浄化を必要とする者のためにある場所と考えられている。

 カトリック教会ではこのような煉獄の死者のために祈りなどを行う伝統があったが、教皇の免償の権威が死者にも及ぶのかという問いをマルティン・ルターが投げかけたことが宗教改革の発端となったという歴史的経緯から、プロテスタントの諸教派は煉獄の概念を否定した。

 また、正教会にも死者のために祈るパニヒダという伝統があるが、聖伝に記述が無いとする理由から、また、陰府と天国の間には大きな淵があるという見解から、正教会ではそもそも煉獄の存在を認めていない。


 上記の「地獄・煉獄」については、ダンテの「神曲」に勝るものはない。
 Wikipediaから検索してみます。

 神曲は、
* 地獄篇(インフェルノ)(Inferno)
* 煉獄篇(プルガトリオ)(Purgatorio)
* 天国篇(パラディソ)(Paradiso)
 で構成される。

 長くなりますので、興味をお持ちの方は「Wikipedia」で検索できます。


 話を戻します。
 上記の調査で、「ベトナム」は、神の存在も死後の世界も信じていない者が多い点で目立っている、と言っています。
 ベトナムの宗教は錯綜してわかりにくいようです。

★ ベトナムの宗教
☆ http://www5c.biglobe.ne.jp/~vdg/book_religion.html

 でも、一概に死後の世界を信じていない国に分類されているというのは解せません。
 錯綜はしているということは、言い方をかえるとダイナミックで、盛んであるということもできます。
 調査結果としては、そういう答えが出てきた、ということなのでしょう。

 例えば、司馬遼太郎の「人間の集団について」から抜書きしてみよう。

 ベトナム人の抗戦力の強さは、ひとつには輪廻転生を信じていることにもよる。

 「私がこの世でおそれているものは何もない。ただ仏さまだけがおそろしい」、ということをサイゴン大学の女子学生の口からきかされたときには、私は骨の痛むほどの感動を覚えた。

 ベトナム人の精神の世界には、三界六道に死んでは生まれ、生まれては死に、生と死が轟々と旋回してかぎりなく継続していくという古代インドの生命思想が、ぎらぎらと生きているのである。

 ベトナム人の八割までが仏教徒である。

 カトリックや回教には、死ねばもう一度、この世にうまれかわっていくという思想はないのである。

 日本人は仏教の伝統を持つくせに、もう何世紀も前から輪廻転生を信じなくなっている。
 ベトナムにあっては仏教とは輪廻転生の信仰のことだと言い切ってしまえるほどに、この考えは鮮烈であり、普遍的である。

 すべての生命は三界六道を轟々とまわっているのである。

 個人としては、これほど死後にゆたかさを感じているひとびともすくないのではないか。


 「あとがき」にこうある。


 幸い、私がサイゴンの空港についた4月1日(1973年)の前日までに、アメリカ兵がひきあげてしまい、ついに制服のかれらを見ることなく滞留することができた。-----
 私の半生の中で、このベトナムにおける短い期間ほど楽しい時間はなかったように思える。


 よってこが書かれたのは「35年前」というはるか昔になりますが、民衆の宗教心が一世代でガラリと変わるとは思えないので、もし司馬遼太郎の論が大きく間違っていないとすると、どう考えても「ベトナム人は、神の存在も死後の世界も信じていないという人が多い」というのは、ちょっと信じにくいことなります。

 共産党政権下のため、表面的には無神教的装いをしているということもありますでしょうから、あまり適切なデータがとれないということも関係しているかもしれません。

 まあ、統計というのは世界中を「同じ視点で計れるものではない」とを、理解しておくだけでも価値があると思います。


 最後に日本の「地獄」について、Wikipediaを見てみます。

 日本の仏教で信じられている処に拠れば、死後、人間は三途の川を渡り、7日ごとに閻魔をはじめとする十王の7回の裁きを受け、最終的に最も罪の重いものは地獄に落とされる。
 地獄にはその罪の重さによって服役すべき場所が決まっており、焦熱地獄、極寒地獄、賽の河原、阿鼻地獄、叫喚地獄などがあるという。
 そして服役期間を終えたものは輪廻転生によって、再びこの世界に生まれ変わるとされる。

 こうした地獄の構造は、イタリアのダンテの『神曲』地獄篇に記された九圏からなる地獄界とも共通することがたびたび指摘される。
 たとえば、ダンテの地獄には、三途の川に相当するアケローン川が流れ、この川を渡ることで地獄に行き着くのである。



 衆生が住む閻浮提の下、4万由旬を過ぎて、最下層に無間地獄(むけんじごく)があり、その縦・広さ・深さは各2万由旬ある。 この無間地獄は阿鼻地獄と同意で、阿鼻はサンスクリットaviciを音写したものとされ、意味は共に「絶え間なく続く(地獄)」である。

 その上の1万9千由旬の中に、大焦熱・焦熱・大叫喚・叫喚・衆合・黒縄・等活の7つの地獄が重層しているという。
 これを総称して「八大(八熱)地獄」という。これらの地獄にはそれぞれ性質があり、そこにいる衆生の寿命もまた異なるとされる。

 また、この八熱地獄の四面に四門があり、門外に各4つの小地獄があり、これを合して「十六遊増地獄」という。
 八熱地獄と合せば「百三十六地獄」となる。
 また八熱地獄の周囲に、横に「八寒地獄」があるともいわれる。

 また、山間廣野などに散在する地獄を「孤独地獄」という。

 地獄のこの世と異なる点の一つに、「自然」が無いということがある。
 自然環境破壊に対する関心が高まっている現在においてこのことは示唆的であろう。


 これでわかることは一つ。
 地獄は坊主にとってマニヤックな対象。
 これでもか、これでもかというほどに想像力を流し込む。
 そして、あまりにも広げすぎ、一般人にはほとんど理解できないものにしてしまった。
 たんなる物知りの世界となる。

 「バカの一つ覚え」に沈んでしまった。

 こうなるともう先の統計調査ではないが「あるかも知れなし、ないかも知れない」になってしまう。
 そして、つまるところ「どっちでもいい」「どうでもいい」に落ち着いてしまう。

 坊主の大失敗。

 「地獄には自然がない」。
 すばらしい視点ですね。

 天国は木々が生い茂り、果物が豊富で「下に河川が流れる楽園」、自然そのもの。
 つまり、現世の延長上にある至高の楽園が「天国」。
 「オラは死んじまっただ、オラは死んじまっただ、天国に行っちまただ」
 「天国よいとこ、一度はおいで」
 「酒はウマイし、ねえちゃんはキレイ」

 現世とはブツリと切り離された、現世的想像では不可能な場所が「地獄」となる。
 よって地獄の表現は言語ではできない。
 だからこそ、坊主には垂涎の対象になる。
 しかし、どうやっても「人間の視点」「人間の考え」が入ってくる。

 「地獄には自然がない」、これがもっともいい表現かも。
 とすると、結果は「どうでもいい」に落ち着いてしまう。



<おわり>



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2008年3月20日木曜日

三途の川2:閻魔の大失敗


● 冥土の旅の物語:地図
<クリックすると大きくなります>


三途の川2:閻魔の大失敗
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 新宿に太宗寺というお寺があります。

 縁日などに行った覚えがありますが、ここには閻魔堂があって、中央に閻魔様が、左に「奪衣婆(だつえば)」の像があります。
 「奪衣婆」などというカッコいい名前ではありませんでした。
 いわく「舌抜きババア」です。

 閻魔の横に馬鹿でかい「釘抜き」があります。
 下記のサイトで写真でみられます。
 「釘抜き」というのをご存知ですか。
 今はペンチになったり、プライヤーになったりして形が変わっていますが、昔はこの「釘抜き」を使ったものです。
 我が家にもありました。

★ 探索 内藤新宿・太宗寺(閻魔像と奪衣婆)
☆ http://www.geocities.jp/sakuragaoka5364/html/enma.html

 余談ですが、ここのハードウエアショップにはありません。
 ところが、この釘抜きを先日見つけました。
 場所は、中国からの輸入品を売っている店です。
 中国ではまだ作っているのですね。
 すぐに買ってきて使ってみました。
 でもちょっと弱い。
 焼きが甘いのですね。
 先がすぐに欠けてしまいました。
 まるで、歯抜けババアになってしまいました。
 昔、わがやにあった釘抜きは実に硬くて使いやすかった。

 「ウソをつくと、閻魔様に舌抜かれるぞ」とずいぶんと脅されたものです。
 閻魔帳に書かれていないようなウソをいうと、あのでかい釘抜きを使って、舌を「グイ」と引っこ抜かれます。
 ババアが右手にもっているのがその抜いた舌です。
 その舌がベローンと長いのです。
 ちょっと長すぎるとは思っていたが、きっと「ウソつき」の舌は、引きに抜かれるとああいう具合に長くなるのだろうと思い込んでいた。
 なんという気持ちの悪さ。

 ところが、今回この記事を書くにあたってウエブを見たら、右手にもっているのは舌ではなく、亡者から剥ぎ取った衣とあります。
 「え、そんなこと」。

 ということは、このババア、単なる「追い剥ぎ」ではないか。
 絶対に閻魔庁が追い剥ぎをやるわけはない。
 今の今まであれは「引き抜いた舌」だとばかり思っていたのですから。
 親からもそう教わったと思いますが。
 どこでまちがえたのでしょう。
 衣より「舌」の方が絶対に迫力があります。


 三途川とは此岸(現世)と彼岸(あの世)を分ける境目にあるとされる川です。
 とすれば、三途の川で「天国・地獄への行き先が決まる」はずだと思うのが、本筋だと思います。

①. 極楽へいく人は「金銀七宝で造られた橋を渡る」。
②. 地獄へいく人は「強深瀬」または「江深淵」をいく。
③. 「山水瀬」をいく罪の軽い人は「四道」へいき、そこでの修行で極楽へ行くか、地獄へいくかが決まる、というのが納得のいく論理でしょう。

注).「四道」というのは、「六道」が「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天」ですから、このうち地獄と天国(極楽)を除いたものをいいます。

 これが「普通の判断」でしょう。
 ところが先の「冥土への旅路」などでは、三途の川を渡ったあとで判断が下されるという。
 これだと「金銀七宝で造られた橋を渡」った死者が、裁きで地獄にいくこともありうるということで、もしそうなったら、ひじょうにおかしなことになる。
 同じように「江深淵」を渡ったものが極楽にいくことになったら、これもひどく矛盾している。

 三途の川は平安時代にはちゃんと、3つの渡し方を持つ川としてあった。
 そのころのパースペクテイブはこうだ。
 三途の川の手前に、「閻魔宮」があった。
 そこに閻魔大王がいた。
 閻魔宮の前を「賽の河原」といった。
 ここで死者は閻魔大王の判断を待つことになった。
 その期間が四十九日である。
 よってこの間、魂はこの世にあって、あの世には行っていない。

 閻魔大王の裁きで、極楽へいくか、地獄へいくかがきまる。

 極楽へいくとされた死者は橋を渡ることができ、渡った後はその道が極楽へ通じているというわけである。
 だからこそ「金銀七宝で造られた橋」であるわけです。
 いわゆる「極楽橋」です。

 地獄へいくものは強深瀬をいき、そこには「川の流は速く、波は山のように高く、川上から岩石が流れてきます。
 そして川底には大蛇が潜むという最悪の場所です」。
 いわゆる「地獄の渡し」です。

 「四道」へいくものは、水はひざ下までしかない浅瀬の山水瀬をわたることになります。

 これで、論理はすっきりします。
 つまり、閻魔宮・閻魔庁はこの世側の賽の河原にあった、そこで閻魔の裁きが行われた、ということです。

 それが、ニセ物お経「十王経」で作りかえられた。

 三途の道がなくなった。
 橋が取り壊された。
 浅瀬もなくなった。
 何とか歩いて渡れる強深瀬も消えた。
 そして導入されたのが、「三途の渡し舟」。
 ここではこの世での罪の軽重は問われない。
 なぜか。
 それは、十王経にみるように「閻魔宮」があの世側に引っ越してしまったためである。
 渡し賃の「六文」を払えば誰でも死者は渡し舟に乗れ、通称三途の川を渡れることになった。

 もし、渡し賃がないほど貧しいということであれば、この世では「思いやり」という温情があるが、ここではそれがない。
 「奪衣婆」という追いはぎが衣服を剥ぐ。
 もし、裸でいったら、衣服のかわりに「皮を剥ぐ」。
 いくらこの世で徳を積んでも、何もならない。

 「あの世もこの世もカネ次第」
とこのお経の「ウラ言葉」はそう言っている。

 「貧乏人は決して極楽へはいけない」
というのがお経の「根本精神」。

 「人生ゼニや、生きているうちにカネをためろ」
これがお経の「教え」。

 「そのために努力せい」、坊主は叱咤激励する。
 人生とは「努力・忍耐・根性」の総集。
 なんとも「ありがたい」お経だ。
 これで明日への活力が湧く。

 三途の道がなくなり、渡し舟にかわったということは、三途の川に何か大きな変革があったからだろう。
 もし、それがないならなにも舟など使わずに、歩いて渡れるはずである。
 何があったのか。
 それがこの稿のテーマ「三途の川 大改修の謎」。

 ところがだ。
 それに関する資料がどこにもない。
 これはどうしたことか。
 「何かおかしい」

 「冥土の旅の物語」は「生前の罪により、三通りの渡り方がある。
 別説には「渡し船」があり、船頭に「六文銭」をわたして、川向こうへ」である。
 「三途の川 渡り方」では「平安時代の末期頃までは前記のように橋を渡ったのですが、「室町時代以降」からは「船」になります」とあるだけ。
 Wikipediaでは「平安時代の末期に、「橋を渡る(場合がある)」という考え方が消え、その後は全員が渡舟によって渡河するという考え方にシフトする」とあるだけ。

 なぜそうなったか、肝心なところがどこにも見えてこない。
 「あの世この世の仕組み」を根本から替えてしまうほどの大事、それがスンとも見当たらない。
 少なくとも、これまでに読んだ書物の中には、これに対する解答に近いものはなかったといっていい。
 おそらく、「誰も知らない」。
 「なぜ」。
 だから「謎?」。


 でもあったのですね、ズーと昔に読んだ「マンガ」に、この答えが。

 古い昔のこととてタイトルも作者も忘れていますが、「弘法大師物語」といったたぐいのマンガではなかったかと思います。
 つまり、弘法大師は死んで(ちなみに、弘法大師死んではいないというのが真言宗の提要)「あの世でなにをやったか」、というのをマンガにしたものです。

 おそらく、弘法大師の映画が作られて、けっこう観客を動員した頃のマンガではないかとおもうのですが。

 もしかしたら見た人もおられると思いますが、どんな内容であったか、覚えている限りで、簡単にかつ過剰装飾でドラマチックにまとめてみます。
 マンガなどというとバカにされるとおもいますので、このあとは興味のあるかただけで覗いてください。
 これは作者の想像のお話と思いますので、お奨めしませんので。


 三途の川というのは、橋がかかっており、行き来の自由の川。
 また別に橋を使わなくても辛いが歩いて渡れる川である。
 ということは。
 そう、あの世から簡単に「この世に来られる川」ということになる。
 やってきたのです。
 「地獄からの脱走者」「四道からの逃亡者」が、わんさかと。
 もちろん、人間の肉体をもっているわけではない。

 地獄からの脱走者を「魑魅魍魎」といい、四道からの逃亡者を「妖怪変化」という。
 これがあの世からの侵入者だというのが、このマンガの著者の説なわけです。

 困ったのが責任者の閻魔大王、「管理不行き届き」「勤務怠慢」ということになる。
 この世とあの世を厳格に別け、それを保持するのが閻魔のお仕事。
 それがうまくいっていない、ということになる。

 対策としてまずは橋をとっぱらって、かわりに「渡し舟」にした。
 また、管理を厳しくして地獄からの脱走者はなんとか食い止めた。
 しかし、四道からの逃亡者はその数が多く、防ぎきれない。

 三途の川は苦しいが歩いて渡れる川。
 橋が渡し舟に換わっただけでは根本的解決にはならない。
 何とかしないといけない。

 「なんとかせねば」と閻魔が頭を悩ました。
 そして、下した結論、「三途の川の廃止」を決めた。
 やることがすごい。

 ①.三途の川を大河に改修し、この世とあの世を完全に絶つ。
   渡し舟のみにし、それ以外の渡河はできないようにする。
 ②.閻魔宮をあの世側に引越しさせる。
   よって、この世側では罪状の判断はしない。
 ③.これまでこの世側に渡った、魑魅魍魎・妖怪変化のヤカラを根絶やしにする。

 ②は閻魔大王単独の決定でできる。
 だが、①と③はできない。
 どうしたか。
 それようの適任者を二人この世に送り込むことにした。

 それが、織田信長といわゆる豊臣秀吉である。
 そして仕事を終えたら「同時に」あの世に召喚して、災いを絶つ、というのが閻魔の目算であった、とマンガ家は考えたらしい。
 すばらしい着想。

 まず織田信長の仕事とは「魑魅魍魎・妖怪変化」を平らげること。
 彼らは一般の手出しのできないところに隠れ逃げ込んでいた。
 それが「比叡山延暦寺」と「石山本願寺」。

 信長は閻魔の意にそって精力的にこの2つの力を殺いでいく。
 閻魔の希望通りにことは運んだ。
 一通り終わったところで、閻魔は巧みに信長を消した。
 信長への報償として妹の娘の子を「天下人」にする。
 それが三代将軍「徳川家光」。

 次は秀吉。
 彼の仕事は何だと思いますか。
 そう、三途の川の大改修に必要な専門職人集団を養成して、あの世に送り込むことである。
 彼は数万とも十万とも言われる「黒鍬衆」という土木建設集団をつくりあげた。
 秀吉には軍事の才能はない。
 でも土木事業の才能は実に豊かである。
 それは閻魔が秀吉に与えたもの。
 彼の出世も閻魔が仕組んだもの。
 でなければ、「軍事の才もない」どこの馬の骨かわからない水飲み百姓が、一軍の将になれるはずがない。

 ところが、閻魔の上手の手から水がこぼれてしまった。
 秀吉は得意の土木工事の水攻めで毛利の高松城を囲んだ。
 ついに高松城は降伏する。
 そこえ、ご存知「信長、本能寺で死す」の報。

 閻魔の演出はすばらしい。
 タイミングがピッタリ。
 しかし、閻魔は自分の才におぼれた。
 閻魔の予定では、ここで毛利が秀吉を打ち、信長と同時にあの世へ召喚し、そして毛利が天下をとらせるというものであった。

 しかし、その上をいっていたのが秀吉。
 「大逃げ」を敢行する。
 歴史上では「大返し」というが、内実は大逃げである。
 あっという間に毛利の目の前から消えてしまった。
 山陽路を逃げて逃げて逃げまくる。
 ひたすら逃げまくる。
 出だしをしくじった毛利は追えない。
 あっという間に距離が開く。
 もうあとの祭り。
 秀吉の「大逃げ」は毛利からであるが、本当は「閻魔の手から」である。

 「閻魔、今生の大失敗」(閻魔に今生があるかどうかは知らないが)である。

 こうなるともう閻魔は秀吉には手はだせない。
 なぜなら、秀吉とは「閻魔の手からすり抜けた人間」だから。
 秀吉は天下をとり、もうろくジイサンとなるほど長生きをして消えていくことになる。
 怒り狂った閻魔は秀吉の子孫縁者を皆殺しにして、その胤を絶つ。

 信長は天下をとれなかったが、血縁者が天下をとる。
 秀吉は閻魔から逃げた運で天下をとったが、子孫はすべて根絶やしにされてしまう。

 閻魔大王は次の政権は毛利と思っていたがヘソをまげた。
 徳川に与え、そこで信長の子孫を繁栄させる。
 よって毛利が天下をとれるのはそれから三百年後になる。

 しかし、実際困ったのは閻魔大王。
 予定が大幅に狂ってしまった。
 土木工事人がいない。
 折角、信長が根絶やしにした魑魅魍魎妖怪変化もこのままだと、また増え始める。
 閻魔が悩みぬいた。

 そして考え出した苦肉の策、それが「弘法大師」の呼び出しである。
 日本歴史上「最高の天才」といわれる人物、それが弘法大師である。
 それに彼には土木の才がある。
 人々も付き従う。
 これ以上の人物はどこをどう探してもいない。

 だが、その弘法大師は「ウン」とはいわない。
 当然のこと、三途の川の改修工事など彼のかかわるところのものではない。
 閻魔も必死、ウンと言わないなら、次は脅し。

 「高野山焼き討ち」をほのめかす。
 これは効いた。
 比叡山焼き討ちの前例がある。
 信仰上、弘法大師は「入定」している。
 入定とは「死」ではない。
 復活までのお休みである。
 もし、高野山が焼き討ちされ、弘法大師のミイラが焼けてしまったら、復活はない。
 「大師信仰」は地に落ちてしまう。

 弘法大師はついに引き受ける。
 条件をつける。
 絶対に「三途の川大改修は公表しない」こと。
 もし風聞でも広まれば、弘法大師は死んだことになってしまい、大師復活説が消滅してしまう。
 もちろん閻魔はこれを受け入れる。
 閻魔にとっては願ったりの条件。
 なぜなら、閻魔の失敗を隠蔽できる。

 これにより、なぜいつの間に理由もなく「三途の渡河」が「渡し舟」に変わったかが、理解できる。
 「三途の川大改修」が終了した時点で、そのデータ資料の一切が、閻魔の手によって闇に葬られたのである。
 弘法大師の要望を入れてというのは名目、本当は閻魔の大失敗を隠すために。

 水源の調査から始まる。
 マンガではどうだったろうか。
 弘法大師は3回くらい「冥界山脈」に分け入っている。
 この冥界山脈の頂に尽きぬ水を湛えている「黄泉湖」があるといわれている。
 これを探しに出かけるのである。
 弘法大師の冒険探検談、この辺のストーリーがマンガでは面白かったように思ったのだが、ここでは飛ばします。
 艱難辛苦の末、ついに黄泉湖を見つける。

 三途の川の大改修が始まる。
 工事はこの黄泉湖の水を三途の川へ流し込むことにある。
 戦国乱世の時代の膨大な死者が動員されついに、黄泉湖の一部が切り崩され、湖の水が新たな川筋を刻みながら流れ落ち、三途の川に落とし込まれた。
 三途の川は尽きせぬ流れの大河に姿を変え、満々の水を湛え、百倍の大きさになったという。
 黄泉湖の水は美しい至福の水だが、いったん湖を流れ出すと、すべてのものの生気を抜く水に変わるといわれている。
 三途の川は、泳いでは渡れなくなる。


 てなところが、マンガの内容なのですが。

 まあ、よく考えるものです。
 著者の想像力に感心してしまいます。
 本当にSFの世界です。

 なを、閻魔宮があの世側に引っ越してからの情報は「ない」、と言われています。
 閻魔が「大失敗」以降のすべての情報を封印したためである。

 よって「十王経」の内容は、これも坊主の作ったSFと思ってさしつかえないと思います。
 そのためか、やはり他の仏典のスケールのでかさから見ると、ちょっと内容に品がないように感じられる。
 このマンガ、いとも鮮やかに、三途の川の渡しが、舟に代わった理由を説明しているとおもいませんか。
 実際に、徳川の時代には「化け物・幽霊」はいても、「魑魅魍魎・妖怪変化」はいないはずです。

 これが「三途の川 大改修」の謎解きの概略である。
 いかがでしたか。


 折角入った「あの世」ですので、もうちょっと"おまけ"で散策してみましょう。

 「六道」は度々出てきましたが、「六道輪廻」思想というのがあります。
 人の命というものは生を受けたが最後、「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天」をグルグル廻るという恐ろしい思想です。

 私は「天」が最後の到達点でそこに至るまで「五道を廻る」ものとばかり思っていました。
 なぜなら「天」に至った高成にして清浄な魂が、また地獄に落ちるなどというのはどう考えてもおかしいし、もしそういう要素を含んでいるなら、はじめから「天」には入れるはずがない。
 よって五道輪廻と最高到達点としての天をあわせて六道輪廻というものとばかり思っていました。
 ところが、これがちがうのです。

 Wikipediaを見てみました。するとこうある。

 たとえ「天道」であっても、苦しみの輪廻する世界を脱することは出来ない。
 諸行無常の原則により、どの世界に生まれ変わろうとも、何時かは死に絶え、別の世界(或いは同一世界)へ転生する宿命。上記六種の世界は、須弥山世界観等においては、しばしば空間的領域として捉えられる。
 この輪廻の道から外れたものを俗に「外道(魔縁)」という。


 ちょっと、これサギだと思いませんか。
 絶対にサギだと思います。
 サギ坊主のしたたかなやり口のように思えます。

 では、天道からどうして没落してしまうのか、続けてみます。

 天道
─────
 天道には天人が住まう。
 天人は人間よりも優れた存在とされ、寿命は非常に長く、また苦しみも人間に比べてほとんどないとされる。また、「空を飛ぶ」ことができ「享楽」のうちに生涯を過ごすといわれる。
 しかしながら煩悩から解き放たれては居ない。
 天人が死を迎えるときは五つの変化が現れる。
 これを「五衰(天人五衰)」と称し、体が垢に塗れて悪臭を放ち、脇から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の花が萎む。


 まったく、「いい加減にしろ」と言いたくなります。
 といいながら、「うんうん、なるほど」といって楽しんでいる。
 悪い性格である。
 まちがいなく地獄行き。
 なるほど口先坊主とはうまいことを考えるものだと感心してしまいます。

 ちなみに、残りの五道も載せておきましょう。

 人間道
──────
人間道は文字通り人間が住む世界である。
四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、苦しみが続くばかりではなく楽しみもあるとされる。また、仏になりうるという救いもある。

 修羅道
──────
 修羅道は修羅の住まう世界で、修羅は終始戦い、争うとされる。
 苦しみや怒りが絶えないが地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界である。

 畜生道
──────
 畜生道は牛馬などの世界である。
 殆ど「本能ばかり」で生きており、人間に使役され殆どなされるがままという点は自らの力で仏の教えを得ることの出来ない状態であり、救いの少ない世界とされる。

 餓鬼道
──────
 餓鬼道は餓鬼の世界である。
 餓鬼は腹が膨れた姿の鬼で、食べ物を口に入れようとすると灰となってしまい餓えと渇きに悩まされる。
 前世において他人を慮らなかったために落とされた例がある。
 旧暦7月15日の施餓鬼会はこの餓鬼を救うために行われる。

 地獄道
──────
 地獄道は生前の罪を償わせるための世界である。
 詳細は地獄を参照のこと。


 まさに、死後の世界とは「SF」の世界ですね。
 いかようにでも解釈できるようになっている。
 つまるところ「声の大きいヤツが勝ち」の世のようです。



 <つづく>



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2008年3月13日木曜日

三途の川1:大改修の謎


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三途の川1:大改修の謎
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 法事の時にもらったビラがある。

 これが面白い。
 A4版1枚で「冥土の旅の物語」とあります。
 「四十九日忌によせて 冥土の旅路をたどる 昔の人はこう考えた」とある。
 裏は「死出から三回忌までの地図」がのっかっています。
 仏教もしち面倒くさい説教風でなく、今風の映像・漫画表現になってきたようです。
 以下にその文をコピーします。


 冥土の旅の物語
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 四十九日忌によせて 冥土の旅路をたどる 昔の人はこう考えた

 「死」んだら輪廻を脱する。
  ①.真っ暗、なんにもない
  ②.浄土へ(修行に)行く、往生、成仏
  ③.永遠の天国か、地獄へ行く
  ④.六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)をめぐる

 さて、お話はここから始まる。
 死んだら、たった一人で冥土へ旅立たねばなりません。
 気がついたらそこは「死出で山路の入り口」であります。
 (裏面のイメージ図をご参照ください)

 うすぐらやみの中、7日間にわたって一人で歩く。
 (尚、冥土の旅の間、死者は仏前に供えるお香の「香り」を食物としています)
 「十王経」によれば、七日ごとに裁判をうけ、「七七(四十九日間)」に最終判決を受けます。

 「初七日(秦広王)」にやっと、賽の河原につく。
 そこは、三途の川が横たわっている。
 生前の罪により、三通り(山水瀬、江深瀬、有橋渡)の渡り方がある。
 別説には、「渡し船」があり、船頭に「六文銭」をわたして、川向こうへ。

 やっとの思いで渡り終えると、そこは「衣領樹(えりょうじゅ)」という木があり、着ているものを奪い取る「奪衣婆(だつえば)」と、罪の重さをはかる「懸衣翁(けんねおう)」がいる。

 そしてまた、7日目「二七日(初江王)」に「業関(ごうぜき)」を通り、さらに7日目「三七日(宋帝王)」を経て、山猫や大蛇におそわれ、食われながら、「業江(ごうえ)」を身ひとつでわたる。
 また7日「四七日(五宮王)」に至り、「業秤(ごうひょう)」でさらに己が罪をはかられる。

 薄暗い荒野をとぼとぼ歩きつづけること7日、「五七日(閻魔大王)」のところで、「浄玻璃(じょうはり)」で生前の己が姿をみせられ、さらに「鉄丸処の河原」を通り、「六七日(変成王)」の山を越すと、「三ッ辻(善道、悪道、中の道)」。
 そして「七七日(秦王山)」を経て、殺伐とした山野にくると、六つの鳥居(六道)が見える。
 そのうちのどれかを「自分でえらぶ」。

 昔の人は、この「七七日、四十九日忌」をもって、後生が決まると考え、のこされた者は、追善供養し、早く安処にいってほしいと願ったのである。

 驚かし、恐怖させるのが目的ではなく、生きているうちに、これでもかこれでもか、よいことをしろよ、よい人になれよ!と、考えさとしてくれているのである。


 死後の世界がこんなに「死者にムチ打つ」ように出来上がっているとはひどいものである。
 死んだときは、この世のことはサラリと「水に流す」というのがしかるべき姿であろう。

 それをムチ打つとは、「坊主とはとんでもない生き物」である。


 それならば、というので電子網で調べてみた。
 ありました。
 最近の坊主は本当にマニヤが多いようです。
 面白いのがこのサイト。
 目次を抜粋してみます。

★ 空飛ぶお不動さま Flying Deity Tobifudo
☆ http://www.tctv.ne.jp/tobifudo/index.html

 縁  起
─────────────
〇 飛不動尊の由来
 
 やさしく説く仏教入門
─────────────
〇 やさしい仏教入門
〇 極楽への Navigator
〇 今夜わかるお経のすべて
〇 お守りの作り方
〇 仏様の人相  種類 

<略>

 系列サイト
─────────────
□ 仏様の世界     ::仏像「350体」収録
 ☆ http://www.tctv.ne.jp/tobifudo/index2.html
□ 形から引く梵字字典 ::国外からも注目されているサイト
 ☆ http://www.tctv.ne.jp/tobifudo/bonzisyo/bindex.html
□ 陰陽道の世界    ::Yahoo サングラス付のサイト


 「仏様「350体」収録」これはイケます。
 次に気になるのが「陰陽道の世界」。
 そう「安倍清明の世界」。
 占い好きの方はどうぞ。


 やさしく説く仏教入門の「極楽への Navigator」に入ってみます。

★ 極楽へのNavigator
☆ http://www.tctv.ne.jp/tobifudo/newmon/betusekai/sanzu.html

 極楽へのNavigator 此岸と彼岸の境界線 三途の川
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

三途の川 information counter 渡航手続
─────────────────────
該当するボタンを押してきださい。
 1.お済みのお方
 2.まだのお方
 3.送迎のお方

三途の川 渡り方
─────────────────────
route1:善人は橋を渡る。
route2:罪の軽い悪人は浅瀬を渡る。
route3:罪の重い悪人は深瀬を渡る。

■上記のように川を渡るのに、三つの途みちがあるので三途の川( さんずのかわ) といいます。

route1:橋は金銀七宝で造られています。
route2:浅瀬は「山水瀬」といいます。水はひざ下までです。
route3:深瀬は「強深瀬」または「江深淵」といいます。
     川の流は速く、波は山のように高く、川上から岩石が流れてきます。
     そして川底には大蛇が潜むという最悪の場所です。

 また、ここの河原が、「賽の河原(さいのかわら)」です。

 平安時代の末期頃までは前記のように橋を渡ったのですが、「室町時代以降」からは「船」になります。
 渡し賃は当時から六文と決まっていて、ありがたいことに、現在まで一度も値上げされたことはございません。

 この「六文」を「六道銭」といいます。
 ところが、この世では六文銭が消えてしまっているので、現在では印刷した代用品を棺に納めています。

 三途の川という呼び方は俗称で、「葬頭河(そうずか)」といいます。「三瀬川(みつせかわ)」「 渡り川」とも呼ばれることがあります。


 次の三途の川 渡航手続の「1.お済みのお方」のボタンを押したら、「極楽行き」になってしまった。
 ちなみに、「地獄行き」はないようだ。

★ 極  楽
☆ http://www.tctv.ne.jp/tobifudo/newmon/betusekai/gokuraku.html

 極楽浄土までは少し長旅となります
──────────────────
 この世とあの世の間に「中陰(ちゅういん)」という世界があります。
 この世界を抜けるのに49日間かかります。

 この間、七日ごとに仏さまが順次入れ代わり、一人前の仏となれるように必要なことを教えて下さいます。
 また、これと平行して「
閻魔大王」を座長とする、極楽行か地獄行かの判定会議も七日ごとに開かれます。

 そして「49日目」に、極楽行か地獄行かの判定が出るので、七七日忌(四十九日)は初七日に次ぐ大事な供養の日となっています。

 また無事極楽行が決定しても、勉強はまだ終わりません。
 仏の世界で一人前になるまで33年の長い時間がかかります。
 初七日から「33回忌」までの導師を「十三仏」といいます。

■ 尚 極まれなケースですが、超善人と超悪人は、審査なしに相応する世界へワープすることになります。


 ついでに「閻魔大王」の文字をクリックしてみた。

★ 閻魔王 えんまおう
☆ http://www.tctv.ne.jp/tobifudo/butuzo/emma.html

 閻魔王はもとはヒンドゥー教の神様で、死後の世界の王様でした。
 王様は国全体を司るところから、地獄行、極楽行、それぞれのパスポート発行者となりました。

 服装が中国風なのは、仏教が中国を経由するとき、道教の影響を受けた為です。

 閻魔王は恐ろしい顔をしていますが、仏教ではお地蔵さまの化身です。
 再び罪をつくらせない為に恐ろしい顔で叱咤しているのです。

 35日の判定担当は閻魔王
──────────────
 極楽行か地獄行かの判定会議のメンバーは次の10名で、「十王」といいます。

 判定は人が生前中に行った行為によって行われます。
 五七日(35日)は閻魔大王自らが審査する日で、七七忌(49日)についで五七日は大切な供養の日となっています。

十王名
 初七日  秦広王 しんこうおう   不動明王
 二七日  初江王 しょこうおう   釈迦如来
 三七日  宋帝王 そうたいおう   文殊菩薩
 四七日  五官王 ごかんおう    普賢菩薩
 五七日  [35日]閻魔王 えんまおう  地蔵菩薩
 六七日  変成王 へんじょうおう    弥勒菩薩
 七七日  [49日]泰山王 たいざんおう 薬師菩薩
 百カ日  平等王 びょうどうおう  観世音菩薩
 一周忌  都市王 としおう     勢至菩薩
 三回忌  五道転輪王 ごどうてんりんおう 阿弥陀如来


 なんだか「空飛ぶお不動さま」の宣伝をやっているような感じになってしまいました。
 本題は「三途の川 大改修の謎」なのです。
 まるでそのテーマに入っていません。
 好きなんですね、こういうSFものが。
 坊主をクソみそに貶しながら、一方であの世に胸をときめかしている。

 Wikipediaを検索してみます。

 三途川とは此岸(現世)と彼岸(あの世)を分ける境目にあるとされる川。

 仏教概念。
 仏説「地蔵菩薩発心因縁十王経」(十王信仰 閻魔大王は十王のうちのひとり)が出典とされるが、この十王経は中国で成立したものであり、オリジナルの仏教の教義にはなく中国で変容した際に付け加えられたものである。
 この経典の日本への渡来は飛鳥時代と思われるが、信仰として広まったのは平安時代末期とされる。
 正式には葬頭河といい、また三途の川・三途河(しょうずか、正塚)・三瀬川・渡り川などとも呼ばれる。

 しかしながら、平安時代の末期に、「橋を渡る(場合がある)」という考え方が消え、その後は全員が渡舟によって渡河するという考え方にシフトする。
 渡船の料金は六文と定められており、仏教様式の葬儀の際には六文銭を持たせるという習俗が以来ずっと続いており、現在では「文」という貨幣単位がないことや火葬における副葬品制限が強まっていることから、紙に印刷した六文銭(→冥銭)が使われることが多い。

 また、三途川には十王の配下に位置づけられる「懸衣翁・奪衣婆」という老夫婦の係員がおり、六文銭を持たない死者が来た場合に渡し賃のかわりに衣類をはぎとることになっていた。
 この二人の係員のうち「奪衣婆」は江戸時代末期に民衆信仰の対象としてブームとなった。

 三途川の河原は「賽の河原」と呼ばれる。
 賽の河原は親に先立って死亡した子供がその親不孝の報いで苦を受ける場とされる。
 そのような子供たちが賽の河原で、親の供養のために積み石による塔を築くと、鬼が塔を破壊し、再度や再々度塔を築いてもその繰り返しになる。
 このことから「賽の河原」の語は、「報われない努力」「徒労」の意でも使用される。
 しかしその子供たちは、最終的には地蔵菩薩により救済されるとされる。

 日本仏教においては後に閻魔の本地とされる地蔵菩薩が奈良時代には『地蔵十輪経』によって伝来していた。
 しかし、現世利益優先の当時の世相のもとでは普及しなかった。
 平安時代になって末法思想が蔓延するにしたがい、源信らによって平安初期には貴族、平安後期には一般民衆と広く布教されるようになる。

 鎌倉初期には預修十王生七経から更なる「偽経」の『地蔵菩薩発心因縁十王経』(略して『地蔵十王経』、あるいは『十王経』)が生み出された。


 「十王経」とは「偽経」という。
 つまり「ニセモノのお経」ということ。

 簡単にいうと世のヒマな坊主が有り余った想像力で作りあげたものが、基礎になっている信仰ということのようである。
 よって、常に坊主側にいいようにしつらえられていて、死者側には不利な構成になっているということである。

 うーん、やっと「カラクリ」が分かってきた。
 うまく出来すぎているとは思っていたが。


 「十王信仰(じゅうおうしんこう)」とは、地獄を統べる10人の裁判官に対して慈悲を乞う信心の一種である。生前は十王を祭り、死して後の罪を軽減してもらうという意図があった。
 十王は死者の罪の多寡を鑑み、地獄へ送ったり、六道への輪廻を司るなど畏怖の対象であった。

 なお、一般においては主に閻魔に対する信仰ととる向きもある。
 これは、閻魔以外の裁判官が知名度が低いせいである。


 本物と信じ込んでいる純真無垢な庶民を「ニセのお経」で騙すとは本当に坊主とはとんでもないヤツです。
 だましのテクニックは「オレオレ」詐欺と同じです。

 といいながら、もうちょっと見てみます。

 『預修十王生七経』が、一般的な漢訳仏典と際立って異なっている点は、その巻首に「成都府大聖慈寺沙門蔵川述」と記している点である。

 「漢訳仏典」という用語の通り、たとえ偽経であったとしても、建て前として「○○代翻経三蔵△△訳」のように記すのが、「漢訳仏典の常識」である。
 しかし、こと「十王経」に限っては、この当たり前の点を無視しているのである。
 この点が、「十王経」類の特徴である。

 と言うのは、後述の日本で撰せられたと考えられる『地蔵十王経』の巻首にも、同様の記述がある。
 それ故、中国で撰述されたものと、長く信じられてきたという経緯がある。

 ただ、これは、『地蔵十王経』の撰者が、自作の経典の権威づけをしようとして、先達の『預修十王生七経』の撰述者に仮託したものと考えられている。

 また、訳経の体裁を借りなかった点に関しては、本来の本経が、経典の体裁をとっておらず、はじめ、礼讃文や儀軌の類として制作された経緯に拠るものと考えられている。


 単純には閻魔様の前にいって、この世でやったことを正直に言えばそれで、判定が下るというものである。
 なぜなら、閻魔大王は「閻魔帳」をもっていて、それにこの世での行状はすべて書かれていて、言ったことが正しいかどうかを付き合わせるだけである。

 絶対に閻魔帳が間違っているということなどありえない。
 この閻魔帳がある限り、「ウソをいう」とすぐにバレてしまう仕組みになっていたはずである。

 また、閻魔様は「浄玻璃」(じょうはり)という水晶でできた鏡をもっており、これで生前の悪業がすべて映し出されるので、進路判断をするに十分な根拠をもっており、死者をムチ打つようなことはしなかったはずなのである。

 と、私は素直に思うのだが。
 どうも坊主には「それが気に入らない」らしい。


 なを、閻魔庁については下記のサイトでイメージできます。

★ 閻魔参り
☆ http://kkubota.cool.ne.jp/enmamairi.html



 <つづく>



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2008年3月6日木曜日

台湾3:「中華国」復帰への可能性




台湾3:「中華国」復帰への可能性
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 「日本人は永遠に中国人を理解できない」という「不思議な本」がある。
 文庫本にもなっていますので読まれた方も多いでしょう。

 迅速性と明快性がもとめられる情報化社会にあって、中国人の気の毒ぐらいに下手な対応を、あたかも美点のごとく述べたてている。
 この著者は心配になるほど世界の流れが見えておらず、「中華の世界」を至上と思い込んでいる。
 中華とは「自らをかえりみることのない思想」であるが、その簡易版のショーウインドウみたいな内容である。

 「孔健」という方が書かれたものだが、この方は孔子の「第75代直系子孫」だという。
 読んでみればわかるのだが、われわれからみると、中国人の欠点短所というものを臆面もなくさらけ出し、それを誇こらしげに自慢しているのである。
 日本人なら反省点としてあげて、それを恥とし、克服する努力を強いるものをである。

 昔、林芙美子の小説を「台所のゴミをひっくり返したような作品」だ、と言った人がいた。
 この言葉を借りるなら、この本はひっくり返したゴミの臭を、「至宝の香ばしさ」であると強調しているような内容である。
 その香りを味わえない「かわいそうな日本人」といっているように聞こえる。

 孔子といえば、日本に与えた影響も大きく、「仁・義・忠・考」といった日本人の思想のバックボーンにはその色合いが濃く反映されている。
 ところがその直系の方が論じているのは、「この世はゼニや」ということである。「ゼニこそすべて」といっている。

 孔子様の本にはそんなことひとつも載っていないのだが。
 もしかしたら、「ゼニこそすべて」という中国思想に絶望した孔子が、人間としての理想のあり方を「空想的」に論述したのが「論語」だったのかもしれないが。

 欲望のままに生きるなら動物と何ら変わらない。
 それをどう制御するかが「倫理」である。
 論語は倫理の束である。
 その束の大きさをもって価値とするのが思想である。

 日本風倫理の行き過ぎが「武士は食わねど高楊枝」というポーズになっている。
 そこには自制心が強烈に息づいている。
 プロテスタンチズムというのは、「労働とは神が人に与えた罪科」とするカソリックに対して、「働く」ということに人間の意義を見出したものであり、その結果としての「経済」であるが、この本は人間の生きる意味は「オカネ」をもってして価値を計るものだとしている。

 日本人から見てみると、『永遠に中国人を理解したくない』でしょう、出来れば避けたいでしょう、ということを広く宣伝しているような本である。

 あるいは、別の面から見ると、使ってはいけない言葉であるのだが、「中国人自ら」が如何に「傲慢にして劣等民族」であるか、そんなことを行間に書き連ねている本である。
 人口という圧倒的ファクターを除けば、「箸にも棒にもかからない民族」であると言っているのと同じである。

 「決して日本人と中国人は理解しあえることはない」と、喜々として歌い上げている。
 そして「決して日本人と中国人は親しくお付き合いできることはない」ということを、声高く宣言している実に不思議な本である。
 果たして、そんな偏った「負のイメージの中国人」を日本人の中に宣伝してもいいものなのであろうか。

 中国人とは誠心をもたない「お金ロボット民族」である、というプロパガンダなのかも知れない。
 そのお金ロボットと親しくお付き合いの出来ないかわいそうな「日本人の悲劇」を教えてくれているのかもしれない。




 考え方はいろいろであるが、本当に世の中にはいろいろと変わった人がいるものである。
 そういう変わった人の意見というものが、既成概念をうち砕いて、次の世界への展望へいざなっていくのかもしれない。
 「お金ロボット」というのは普遍性を持つ。
 普遍性とは合理主義ということでもある。

 私にとって中国は、「宮城谷昌光の世界」で十分楽しい。


 今度は台湾から離れて、中国本土の歴史を見てみましう。

 Wikipediaから検索します。

 1949年に共産主義政党による一党独裁国家である中華人民共和国を樹立、翌年までに台湾および福建省の一部島嶼を除く中華民国の統治国土を制圧した。
 なお、その後中華民国政府は台湾島に遷都し、その後台湾島とこれらの島嶼地域は現在中華民国の統治下にある。

 中華人民共和国は、国家指導者の指導理論や政策などによって、毛沢東時代(1949年 - 1978年)と鄧小平時代(1978年 - )の二つの時代に分類する事ができる。


 一時代を作った毛沢東、「毛沢東は何をしたのか」。
 現在では文化大革命の負のイメージが強い。
 合理的歴史主義者、司馬遼太郎の「長安から北京へ」から任意に抜書きする。


 かっての中国のあいさつ言葉が「めしを食ったか」、という言葉だったことはよく知られている。
 私のように戦前にすこしだけ中国語を習った者は「チー、ファン、ラマ」という言葉を最初に習い、この言葉の発音だけは自信がある。

 「いまの中国は」、はるかな紀元前から続いているこの文明圏にあって、そして紀元前から絶えることなく飢餓が続いてきた政治の歴史の中にあって、「最初に全人民を食わせることのできた国家」である。

 この一点でも驚嘆すべきだし、さらにいえばこの点一つからすべてのことを類推しても、大きく誤るということはない。

 中国の歴史は四捨五入していえば流民(あるいは農民暴動)の歴史として見ることができる。
 人民は生きるために村をすてて流浪する。流民群はまたたくまに膨れ上がり、自分たちを食わしてくれる大将を求めて動く。

 「英雄」には大小があるであろう。
 「大小の基準」はどれほどの数の「流民を食わせる」ことができるかということにかかっている。
 五万人の流民を食わせる能力の者は五万人だけの勢力を張るが、流民が十万人までになると、その英雄の能力が破綻する。
 英雄は「夜逃げ」をするか、あるいは百万人を養いうる大英雄のもとに流民ごと行って、その傘下に入れてもらわねばならない。

 要するに歴史時代の中国の為政者は、人民が飢えることを最もおそれねばならず、それをおそれぬ政権はやがてほろびた。

 中国官僚や読書人のようなのは、建設の害であり、そういう種類のひとびとはプロレタリア文化大革命で一掃された。
 人民に飯を食わしてゆくことができなければなにもならないのである。

 私の念頭を占めている感想は一つしかない。
 「中国はすみずみまで人民を食わせてゆくことをゆるがぬ大綱にしている」、ということである。


 すごいですね。
 「銀シャリ」の比ではありません。
 続けます。


 「まず、人民と軍隊にメシを食わせよ」というのは、「毛思想」のなかでもっとも「凄味のある言葉」といっていい。

 彼は中国の正史やひ史に通じ、さらにはその豊富な農村との接触によって中国人の誰よりも中国人を知っているし、それについての自信もゆるがぬものがあるののにちがいない。
 「人民・軍隊にメシを」食わせねば中国というものがどうなってしまうのかということについては、党の秀才たちがどう言おうとも、はっきりそれを予言できる人物である。

 解放前、中国における小作人というのは奴隷に等しかったが、それが農民の70%にまで増えていたといわれる。

 そして

 新中国を歩いていて思うのは、たしかに人民がこの大陸のすみずみまでよみがえったということである。

 中国を歩いていて、中国人がこのひろい国土のすみずみに至るまで生き返ったという大事実だけはゆるぎもないことである。
 誰もがメシを食っていて、誰もが血色のいい顔をして働いている。


 「毛沢東は何をしたのか」という問いに対する答え。
 毛沢東は「人民にメシを食わせた」。
 もうこれだけで、北京の人民大会堂に飾られる価値があるということなのです。

 この印象記は1975年5月に中国に行ったものをベースにして書かれています。
 その1年4ケ月後に毛沢東は死亡している。
 つまり、司馬遼太郎は「毛沢東の成果」としての中国を見て回ったことになる。

 このメシの食えるようになった中国、政争相手も毛沢東がきれいにしてくれた中国を、そっくり引き継いだのが「鄧小平」。
 よほどの無能力者でなければ、そこそこやっていける基盤を与えられた幸運な老人。
 老人には時間がない。
 自力でやっていくには時がかかりすぎる。
 「経済特区」という共産党理念にはそぐわない不可解なものを持ち込んで外国の資本に頼ろうとする。
 彼の政策は「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」という「白猫黒猫論」。

 単なる老人のアセリ。
 共産党理念、どこ吹く風。
 反対するヤツはいない。
 毛沢東がすべて粛清してくれた。

 つまるところ、商業資本主義への回帰。
 それが可能であったのは、毛沢東が中国人民をメシを食えるようにしてくれたから。
 これからはその上の段階、すなわち豊かさの追求へと進まざるを得ない。
 そのためには、農村共産主義ではダメ。

 こいつが成功した。
 中国には、やっとメシの食えるようになった「低賃金労働者」が底なしのように存在していた。
 外国資本と自国の低賃金労働者で物を作り、それを外国に売りさばく際のパーセンテージで利益を吸い上げる。
 一党独裁ならそれも自由に可能。

 「国家資本主義」。
 中国共産主義によれば悪の典型。
 昔の発想でいうなら「走資派に自己反省」を、「自己総括」を、といったところになる。
 外国資本にタダに近い労賃を提供し、それで作らせたものを、外国資本が世界に売りさばいてくれる。
 国家の前に共産党がある。
 共産党のふところへそのカスリとしての「カネ」がうなるようにころげこむ。
 ヤクザのテラ銭みたいなものだ。

 Wikipediaを続けます。

 鄧小平時代の中華人民共和国は、政治体制は中国共産党による一党独裁体制を堅持しつつも、市場経済導入などの経済開放政策を取り、中華人民共和国の近代化を進めた。
 その結果、経済の改革開放が進み、「世界の工場」と呼ばれるほど経済は急成長をした。

 一方、急激な経済成長とともに貧富差の拡大や環境破壊が問題となっている。

 また、政府は、中華人民共和国の分裂を促すような動きや、共産党の一党体制を維持する上で脅威となる動きに対しては強硬な姿勢をとり続けている。
 1989年の六四天安門事件や2005年の反国家分裂法成立などはその一例である。


 中国は軍隊を持っていない。
 国軍はない。
 「中国陸軍」という言葉も、「中国海軍」という言葉も正式には聞いたことがない。
 軍隊をもっていない国といってもいい。
 その点からいうと珍しい国である。

 Wikipediaを続けます。

「中国人民解放軍」は、中国共産党中央軍事委員会(主席:胡錦濤)の指揮下にある「中国共産党の軍事部門」であり、「国家の軍隊(国軍)ではない」。

 国務院の管轄下にない解放軍はあくまで党の軍隊であり、国家の軍隊ではないとする。
 党と軍の関係については、明確な法規や規定に基づく法治体制は存在せず(ただし軍事委員会主席は別)、人(党主席)と人(軍幹部)との関係に基づく人治体制となっており、党主席の立場では軍を完全に掌握するのは難しい。
 そのため、毛沢東など歴代の最高指導者は軍事委員会主席を兼任している。

 人民解放軍が国家の軍でなく党の軍であるという立場をとるのは、「国家の軍隊」が国家による人民を抑圧・搾取する手段であり、侵略・植民地支配の手段であると規定されるからであり、最大の暴力装置である軍隊を国家を指導する立場である党が管理するのは当然であると考えられたからである。
 建前上、人民解放軍は人民の軍隊であり革命を遂行・防衛するための軍隊であるとされている。

 しかし、ソビエト連邦でもこのような理論は現実的でないとして第二次世界大戦後の1946年に赤軍を「国家の軍隊」である「ソビエト連邦軍」に改組している。


 すなわち、ソビエト連邦は「国軍」を持っていた。
 しかし、中国の人民解放軍は今なを国軍ではない。
 さらに、続けます。


 第二次天安門事件が発生した時に、人民解放軍が、民主化勢力(民主化運動に理解を示していた一部の政府中枢を含む)と共産党保守派のどちらかに付くかを、全世界が注視したが、中央軍事委員会主席の命令について民主化勢力の弾圧を行った。
 人民解放を冠した軍隊が人民を弾圧した光景は第一次天安門事件の時に四人組からの命令を最後まで無視した姿とは余りにも、対照的であったが(四人組は最終的には民兵を動員した)、
 「人民解放軍の行動は中央軍事委員会主席の一言に左右されている」
ことを知らしめた。この弾圧によって、国際社会の人民解放軍を見る目がいっそう厳しくなり、中国人の中にも「人民を抑圧している軍隊」という印象を持ち、人民解放軍に失望した。


 このように理論上でも中国人民解放軍は「共産党軍」であって、「国軍」ではない。
 「司馬遼風」に言うと、英雄がメシを食わせてくれたために、そこに集まった軍ということになる。
 その英雄が、一時は毛沢東であり、今は英雄不在なので「共産党」となる。
 メシを食わせてくれる「英雄共産党」の軍が「中国人民解放軍」である。

 中国人民を解放する軍であるが、「解放」とは他の「英雄党軍」を叩きつぶすことである。
 そして英雄を共産党一党にするための軍である。
 中国に、他の英雄がいなくなった今、人民解放軍は「中国国軍」にならねばならないのだが、それはWikipediaで述べているように、「国軍とは人民を抑圧・搾取する機関」としているためにできない。

 「中国人民」とは共産党軍下でメシを食わせてもらっている「党人民衆」の略。
 「中国国民」とは国家保全に参画している「国家民衆」の略。いかなる英雄党軍下であるかは問わない。
 中国人民を中国国民にすることは、他の英雄の出現を将来させてしまうことになる。
 よって人民解放軍を「国軍にすることはできない」、というわけである。

 この「弱点」は致命的でもある。
 つまり「国軍でない」ということは、理論的に「他の英雄軍の出現がありうることを認めている」ことであり、そちらの英雄軍が「もっとうまいメシを食わせてくれる」となると、そちらが中国を支配することが可能ですよ、ということを自ら認めている、ということになるからである。

 「永遠に国軍になれない」というやりきれない十字架を背負っているのが人民解放軍である。
 家康風にいうなら「降ろすことのできない大きな荷物を担いで、坂を上り続けること」である。
 やめたら、転げ落ちるのである。

 ソビエトはこの弱点を克服するために、赤軍を国軍にした。

 ということは、いつまでたっても共産党とは蛮勇割拠する英雄の一人に過ぎず、今は「たまたま」中国の支配者になっていますよ、ということである。
 人民解放軍とはそのことを物語っている軍である。
 共産党とは中国のにおける「一時の支配者」であり、人民解放軍とは中国軍ではなく、その一時の支配者の私軍である、そういうことを「認める論理」の上に成立しているという背反を含んでしまっている。

 簡単にいうと、こういうこと。
 「誰が中国を支配しても、中国という国家を犯すことはない。
 なぜなら今の中国に「中国という国」は存在していないから。
 あるのは党という英雄の作った「私国家」であり、国民国家・民族国家ではないから。
 よって常にこの私国家の前に党という英雄がいる」。

 よってご自由に、中国は「切り取り自由です」。

 まるで孔健のいうように「ゼニや」の世界です。
 強いやつ・英雄が私軍力で支配する。
 いまはたまたま共産党とその党軍が支配しているだけ。
 いつひっくり返るかわからない。
 よって、その時「ゼニを握っていたヤツが勝ち」の世界である。
 「財布の重みで価値が決まる社会」なのです。

 民主主義の浸透した倫理観の強過ぎる日本人にはとても入っていけそうにない世界です。
 やはり「日本人は永遠に中国人を理解できない」のでしょう。


 2010年に「上海万国博覧会」があります。
 ここまでは、中国は安定していると言われている。
 というのは、党をあげてこの博覧会の乗り切りにかかりきるだろうから。
 では「2011年以降」はどうなるのか。
 見えてこない。

 わずかにたった「3年先のことが見えてこない」。
 さほどにダイナミックなのが中国。
 どうなるのか誰にもわからない。

 「中国四千年の歴史、その大地のようにゆっくりと動く」といったことはまるでありえない。
 四百年分が四十年で動く国、四十年分が四年で動く社会、それがいまの中国。

 いずれの時にせよ、時間の近い遠いは別にして、共産党は崩壊する。
 貧しければ英雄がメシを食わせてくれる。
 そこへいけばいい。
 毛沢東がメシを食わしてくれた。
 それがこれまでの中国。

 次は。
 メシが食えるとイエが欲しくなる。
 「国家」というイエが欲しくなる。
 国家ナシでは「豊かさという重荷」を背負いきれるものではない。
 歴史は動いていく。

 今度は「メシを食わせてくれるヤツ」から、「うまいメシをくわせてくれて、国というイエを作ってくれるヤツ」が中国を支配することになる。

 腹の中にしこたまゼニを抱え込んだ共産党がどういう動きをするのか。
 「カネ冷え」で共産党組織がゲリを起こすこともある。
 「ゼニの重さ」に耐え切れずシンドロームを誘発し、底が抜ける可能性もある。

 それがいかほどのものかは下記でみれます。
 日本の1.5倍、ロシアの3.5倍で世界トップ。
 これすべて、人民を安く使って得たもの。
 一人儲け。
 「搾取」ではなく「極搾」である。
 すべて共産党のフトコロへ。
 まさに金が「うなって」いる。

★ ロイター
☆ http://jp.reuters.com/article/economicNews/idJPnTK002336920071001

 外貨準備高の世界トップ5カ国(単位:億ドル)
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  2007年8月 2006年末
────────────────────
 中国 _ $14,000 $10,660
 日本 __$9,320 $8,950
 ロシア _ $4,160 $3,040
 台湾 __$2,610 $2,660
 韓国 __$2,550 $2,390


 「都市戸籍」と「農村戸籍」を作って、あからさまに党人民を差別して、理念を踏みにじっている共産党に対して、農民が「おいしい豊かなメシ」を求めて、動き出すことも考えられる。
 共産党ではない、「新たな英雄」を求めるかもしれない。
 それは様々豊富に実験済みの中国である。

 としたとき、その矛先を変え目先をそらすために、台湾問題を持ち出してきて、軍事力行使というパフォーマンスを実演する可能性もある。


 台湾へ戻ろう。

 共産党がゲリをしパンクすること、農民が英雄を求めて、「イエを求めて」動き出すこと、これは独立拒否の台湾にとっては当然のことに朗報になる。

 中国の台湾侵攻はどうか。これも朗報になる。
 いつかはやらねばならないプロセスであったとあきらめれば、台湾人の結束が強固になる。通常軍事力では、中国が台湾侵攻に成功するとは思えない。
 それになんと言っても世界世論が「判官びいき」で台湾に見方する。

 逆に言えば、台湾はそれを望んでいるかもしれない。
 それをうまく利用して台湾の中国侵攻が実現するかもしれない。
 もし台湾が独立国ならそれはできない。
 台湾が中国の一部であるからこそできる芸当である。

 もし、大陸の一部に、ほんの僅かでも台湾軍が侵攻すれば、「英雄共産党神話」はもろくも崩れて、共産党の内部崩壊を招くおそれもある。

 蒋一族の独裁からの解放、指導者の民選という政治プロセスを経験してきた「台湾の政治キャリア」は、共産党崩壊後の中国にとって貴重なものとなる。
 「イエ」を造るための下図になる。


 まとめると、こういう社会心理構図になる。

 共産党支配の中国にあっては、台湾人はタイワニーズでありたい。
 しかし、中国が「イエ」としての中国になったら、台湾人もまたチャイニーズでありたい。


 いつでも独立できる今、それを実行すべきか、否か、ハムレットの心境ともいえる。


 今もなを、日本の一般国民にとって台湾は、フリッピン、インドネシアと同じくらい情報のすくない「遠い国」である。
 台湾が日本にその姿を知ってもらおうという意志がないのに、日本がその片棒を担ぐ必要もない。
 「やる気がない」ならそのまま放っておけばよい。

 日本にとって台湾があることによって中国への牽制になり、石油輸送のシーレーンを保全するに格好の足場であるなら、その方向で台湾を利用すればよいということである。
 やる気のない台湾は、日本にとってあくまで「道具にすぎない」。
 それもしかたあるまい。台湾が選んだことだ。


 今月22日には「総統選挙日」である。
 一般用語でいうと台湾「大統領選挙」。
 タイワニーズを選ぶか、チャイニーズを選ぶか。
 どちらに転んだところで、日本にとって蚊に刺された程度の痛みも感じない。


 最後はこのニュースで閉じます。

★ ロイター
☆ http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-30656120080305

 台湾、台湾企業による中国への投資規制を緩和へ  2008年 03月 5日
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 台湾行政院は5日、台湾企業による中国への投資に関する規制を緩和すると発表した。

 台湾企業は1990年代初め以来、「1000億米ドル以上(約10兆円)」を中国に投資してきたが、投資の上限が純資産の40%に抑えられていた。

 新たな規制では、40%の上限は純資産と連結ベースの純資産のうち多い方を用いて計算されることになる。
 台湾企業は以前から、この投資規制や他の規制措置により、中国に進出する他国の企業に比べ競争上不利になっているとして、不満を訴えてきた。
 台湾当局は3月22日の総統選挙を控え、与党の民進党が有権者の支持を得るため、40%の投資上限や他の規制を緩和する方針を示していた。

 実施日は明らかにされていない。
 』


 「欧クン」は寒い新潟で日本を楽しんでいるだろうか。
 「住んでみたニッポン」、日本の印象はどうだろ。



<おわり>



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2008年3月3日月曜日

台湾2:「台湾国」独立拒否


 ● 台湾


台湾2:「台湾国」独立拒否
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 50年間にわたり日本の支配を受けた元々の台湾人を「本省人」といい、毛沢東に敗れて中国本土から移住してきた蒋介石と国民党関係の中国人を「外省人」という。
 台湾の現代史はこの2つの「省族」と、台湾・中国という2つの「国家」の関係に集約される。

 員数的には1949年に蒋介石が台湾に渡った時には,国民党の軍人・役人の数は20数万人といわれ、その他の民間人を含む人数は「約200万人」といわれているが、正確なところは不明で、その半分の「100万人くらい」だろうという説もある。
 もし仮にその平均の150万人としても、当時の台湾の人口は六百数十万人ぐらいだろうと言われていますので、簡単にいうと650万人の人口が800万人に一気に膨れ上がり、「4人住まいの家に、5人目が押し入り、そいつが、元いた人をアゴで使い始めた」ということになる。


 毛沢東の侵攻に怯えた蒋介石は、戒厳令を敷き、以降「38年」の長きにわたり、この戒厳令は維持される。
 中国は朝鮮に攻め入り、アメリカはこれを押し返して何とか38度線で休戦にこぎつける。
 この戦争のありようが蒋介石の脳裏からはなれなかった。
 毛沢東としては過去に中国が実効支配したことのない台湾に政敵をおいやったことだけで十分で、口先で「台湾解放」を唱えても実行する気などさらさらなかったようである。
 ときどき、思い出したように砲弾を撃ち込んで、緊張感を高揚させる程度で十分だったのだろう。
 その砲弾に怯えきったのが蒋介石ということになる。

 朴正煕は中国に対抗するため、日本からカネを引き出し、南朝鮮を韓国として工業国家にする構想に取り組む。
 これにより日本の高度技術が大挙して韓国に流れ込み、いまの韓国の隆盛が築きあげられる。

 台湾はどうか。
 毛沢東に怯えた台湾は軍事国家としてのアメリカによりかかる。
 アメリカにとっての台湾は中国に対する軍事利用がメインで、産業促進などは二の次である。
 そんな中、アメリカに留学した帰国組みが次々産業を立ち上げるが、彼らは外省人であり、日本との関係を深くもっていた本省人は隅においやられ、結局日本との関係を希薄にしてしまった。
 戒厳令下には投資できない。
 民間レベルでは限界がある。
 そのため、日本からのオカネの引き出しに失敗する、というよりそういう取り組みをまるでしない。
 それはいまも同じである。
 せいぜいのところ総統候補が表敬訪問する程度である。

 昔、社会インフラを整え、それをそっくり残してきた日本人から「やる気のない台湾」といわれる由縁である。

 それに対して中国共産党は日本への宣伝に積極的で、「約1兆円」ともいわれる援助を引き出し、それによって中国が根付きはじめる。

 1975年蒋介石が死亡、戒厳令が解除された翌年の1988年息子の蒋経国が死去し、蒋一族の支配が消え、李登輝副総統が本省人として初めて総統に就任する。
 そして8年後の「1996年」に国民の直接選挙による総統選が実施され、李登輝が当選する。
 すなわち「民選総統」が誕生したことになる。
 これで「国民党一党独裁体制」が事実上消滅する。

 1999年に李登輝総統は中国と台湾を「特殊な国と国の関係」と定義する。
 さらに次の2000年の総統選挙では本省人党派の「民主進歩党」の陳水扁が総統に選出され、中国国民党が初めて野党となる。
 その流れをうけ、2003年には李登輝前総統が「“台湾”を国名に」と発言する。

 となると、「台湾独立」ということになるのだが、そうはいかないのである。
 もう一つ、やっておかねばならないことが残っていたのである。

 政治指導部の交代はあっても「憲法」はいまだ、蒋介石時代のものなのである。

 その内容とは
 【 現中国(中華人民共和国)が支配している地域は、中華民国(現台湾政府)の領土である 】
というものなのである。

 陳水扁総統が2006年に「新憲法制定」を掲げることになる。
 そして、陳水扁総統は任期期間である2008年までに憲法改正を実施する考えを明らかにしている。

 問題はここに収斂されてくる。
 すなわち、台湾は新憲法を制定して「台湾国」として独立するのか、それとも現行憲法を保持して、いつの日にか、大陸へ戻って「中華国」になるのか、なのである。
 それが「タイワニーズ」になるか、「チャイニーズ」になるか、なのである。

 「民主進歩党」の陳水扁総統は本省人で、タイワニーズを目指している。
 一歩一歩ステップを刻みながら、台湾独立に向かっている。

 まずは「中華民国」で国連加盟の申請をしてツバをつけ、次は「台湾国」で同じく加盟申請して形を整える。
 この経過をもって、新憲法制定を国民に問うため、台湾国を台湾島に限定した国家という住民投票を実行する。
 そして仕上げに「台湾国」としての国民総意の形で、国連加盟を申請する、というわけである。


 もしこのステップが実行されればまず間違いなく、台湾は独立国として国連加盟が承認される。
 いくら中国が反対しても、過去に台湾を実効支配したことのない中国には阻止するカードがないといっていい。
 コソボのロシアと同じで、口で非難する以外の手段がとれないはずである。
 セルビアから独立宣言した「コソボ」よりも高い確率で、国家として承認されるだろう。

 コソボ独立の各国の様子を挙げておく。

コソボ独立、約20カ国が承認へ=関係強化で一致-EU
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(時事通信 2008/02/19)

 欧州連合(EU)は18日、当地で開いた外相理事会で、独立を宣言したセルビア南部のコソボ自治州をめぐり協議、将来のEU加盟も視野に入れ、政治・経済両面での関係強化を図ることで一致した。
 国家承認に関しては加盟各国の判断に委ねたが、英独仏伊をはじめ加盟27カ国中、20カ国近くが承認の方針を表明。
 これに対しスペイン、キプロスなど一部加盟国は反対の立場を崩さなかった。



<コソボ>::中国が独立宣言に「深い憂慮」を表明
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(毎日新聞 2008年2月18日)

 中国外務省の劉建超報道局長は18日、コソボの独立宣言について「深い憂慮」を表明した。
 中国は台湾の陳水扁政権が国連加盟を問う住民投票に踏み切ることを強く警戒しており、コソボが一方的に独立宣言した影響を懸念している。

 また、劉局長は台湾当局がコソボ独立を「承認」すると伝えられていることについて、「台湾は中国の一部分であり、承認する権利も資格もない」とクギを刺した。

 さらに「バルカン地域の安全と安定を擁護するため、セルビアとコソボの双方に国際法の枠組み内で交渉を続け、適切な解決方法を模索するよう呼び掛ける」と述べた。



 台湾独立の上記の手続きはすでに、「二段目まで終了している」。

 つまり、「その気になれば」、「台湾はいつでも独立できる」のである。

 回りがなんといおうと、「2,300万人」の人口をもち、自前の軍隊を抱え、民主的選挙で選ばれた議員で構成された国会を持っているのである。中国が実効支配している大陸を「おのが領土」という空想を持ち出さなければ、誰がなんといおうと独立を世界から承認されうる、のである。
 これに文句をつけられるのは、現中国一国を除いてどこにもいないのである。

 ところがである。
 台湾国民はこの1月の立法院選挙で圧倒的多数で「台湾独立」を拒否する解答を示した。
 すなわち、憲法改正推進派である陳水扁総統の民進党に「ノー」の結果をつきつけたのである。
 記事ですので、構成を変えて載せてみます。


台湾立法院選挙:野党・国民党が圧勝 陳総統が党主席辞任
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(毎日新聞 2008年1月13日)

 台湾総統選(3月22日)の前哨戦となる立法院(国会、定数113)選挙が1月12日、投開票された。

 中央選管の最終確定結果によると、最大野党・中国国民党が81議席を獲得し圧勝した。
 「総統罷免案」採択に必要な3分の2以上の議席を握った。
 
 一方、陳水扁総統(56)率いる与党・民主進歩党は27議席と大幅に議席を減らし惨敗した。
 陳総統は敗北宣言し、党主席の引責辞任を表明。総統選候補に謝長廷・元行政院長(61)を立てる民進党は態勢立て直しを迫られる。
 陳総統は対中協調路線の国民党を批判し「台湾か中国かの選択」と危機感をあおって有権者の「台湾人意識」を刺激したが、浸透しなかった。45議席を勝敗ラインとしたが、これを大きく割り込んだ。陳総統は「全党の力を結集し有権者の支持を獲得しなければならない」と総統選での巻き返しを呼び掛けた。

 一方、総統選候補の馬英九・前主席(57)を擁して8年ぶりに政権奪還を目指す国民党は、総統選に向け大きく弾みをつけそうだ。
 国民党は陳水扁政権下の「経済不振」に対する責任を追及。国民党政権時代に築いた固い地方組織を生かし、地盤の北部以外にも支持を広げ、戦いを優位に進めた。
 12日夜、勝利宣言した馬氏は「改革の時が来た。総統選でも勝利したい」と意欲を見せた。

 一方、親民党は1議席と大幅に減らし、李登輝前総統(84)が主導する「台湾団結連盟」(台連)は前回12議席から議席を失った。

 今回の選挙は、中選挙区比例代表並立制から小選挙区比例代表並立制に変更された。
 定数は225からほぼ半減され、任期も3年から4年に延長された。


 これに対する中国の反応も載せてみます。


台湾立法院選挙:中国が国民党勝利を歓迎 独立派封じ込め
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(毎日新聞 2008年1月13日)

 中国当局は対中協調派の国民党の圧勝を歓迎している。
 北京五輪、上海万博に向けて国際的地位を高める中国は、選挙結果を「台湾の民意」として独立派封じ込めに最大限利用していくとみられる。

 中国の胡錦濤国家主席は1日の年頭談話で「(中台)平和統一への努力を放棄せず、台湾住民に希望を寄せる方針を決して変えない」と述べ、台湾住民の民意に期待。国民党優勢が伝えられた立法院選でも、選挙情勢への論評を避け、冷静な対応を演出した。過去の強硬姿勢が台湾独立派を勢いづかせてきた反省があるからだ。

 一方、陳水扁政権が総統選と同時に台湾名義で国連加盟申請の是非を問う住民投票の実施を最も警戒する。
 「『一つの中国』の現状を変えようとする企て」(孫亜夫・国務院台湾事務弁公室副主任)とみるからで、日米など台湾に影響を持つ国々を通じ、国際的圧力を強める方針だ。


 なぜ、台湾人は「独立を拒否」したのか。
 「中国の軍事侵攻」などは空論であることは分かっている。
 それなのに何故。

 これについてのニュースの解説が見当たりません。
 強いていえば、どうも選挙制度を変えたことによるしわ寄せが出てきたというのが、もっぱらの説明です。
 確かに、選挙制度の変更は予想外の結果を生むことになることがある。日本でも、中選挙区制から小選挙区制へ変更したときから、「ただ反対すること」で存在感のあった社会党が、糸を引くように没落していったという経緯があります。
 しかし、それだけのようにもみえないのですが。
 なにしろ、文明国でありながら、その発信量の少なさは異常で、さっぱり見えてこないというのが台湾の現状です。

 無理にでも理由を挙げてみるとこうなるでしょうか。

 最初の理由は経済。
 台湾にとって中国は目一杯の金蔓であること。
 中国には人海戦術が使えるほどの底なしの安い労働力がある。
 台湾の人口は2,300万人しかいないが、一方の中国には13億5千万といわれる人口がいる。
 「60倍」というとんでもない数の人口であり、これが底抜けの「賃金の安さ」を保障している。
 これまでのアジア各国に見られるような、その国の発展が引き起こす「賃金の高騰」は絶対に起らない。
 中国には底なしの「低賃金労働者供給プール」が存在しているのである。
 いまの台湾は、それをふんだんに使える立場にある。

 次の理由は社会心理。
 そこそこうまくいっているのに、何で変える必要があるのかという「ためらい」が、一歩を越える一線で大きく頭を持ち上げてくる。
 今の状態を失うのではないかという恐れ、というより「変化という動き」に生理的に反対する人間本来の心理が強く働く。

 ちょうど日本の郵政民営化と同じ心理である。
 民営化することで、ジャンプアップできることは分かっている。
 でもうまく機能している既存のものを、あえてそこまでして改変しなくてはいけないのだろうか、という逡巡である。
 特別に支障もないのだから、このままでもいいじゃないかという考えが土壇場で勝ちを占める。これが人間心理の特徴である。
 この慎重感が人間を無謀にして粗忽な冒険へ駆り立てることを防ぐ防波堤にもなっている。
 と同時に、一歩の発展、もしかしたら一歩の失敗に踏み出せない要因ともなる。


Wikipediaに2000年と2007年の「民族帰属意識についての調査」の結果が載っている。


 2000年に行政院大陸委員会によって行われた調査による「自分自身の所属」について

①.台湾人であり、中国人ではない=42.5%  (タイワニーズ)
②.台湾人であり、中国人である =38.5%
③.中国人であり、台湾人ではない=13.6%  (チャイニーズ)

 80%以上が、自らを台湾人と認めており、また、半数以上が中国が武力侵攻をしても「独立を手放す気はない」と答えている。

 また、2007年に海基会によって行われた民族帰属意識についての調査では、自分自身が

①.台湾人であり、中国人ではない=62.5%  (タイワニーズ)
②.台湾人であり、中国人である =17.7%
③.中国人であり、台湾人ではない=14.0%  (チャイニーズ)

台湾人であり、中国人ではないという意識は7年間約20パーセント増えた。


 これによれば「台湾人であり、かつ中国人」であるとする重層帰属意識の層が、この7年間で「20%」減り、その分「台湾」を唯一の帰属社会とするものが「20%」増えたことになる。
 タイワニーズは「60%」を超え、チャイニーズは変わらず「14%」である、ということになる。

 本省人と外省人の割合が、現在どれほどであるのかについては、正確な調査などないのでわからないが、この「14%」という変わらぬ数値をクリアーな外省人とし、他の「86%」を「本省人」とする考え方が強いようである。
 外省人が本省人化する可能性は、その60年2世代に近い歴史を考えると相当に強いといえるだろう。
 しかし、本省人が外省人化することは、あまりないのではないだろうか。

 また、Wikipediaは下記のように述べている。

 国民党を中心とする多くの「外省人」が台湾に住みつき、日本時代から台湾にいた住民である「本省人」との間に、深刻な文化的差異をもたらした。
 その象徴的な事件が1947年2月28日に端を発する「二・二八事件」であり、外省人によって、すくなくとも「2万人以上」の本省人が虐殺されたという。
 李登輝の本土化政策の一環である「新台湾人宣言」(外省人や本省人という呼称をやめ、台湾籍を持ち、台湾に住む者はみな台湾人であるという考え)や、台湾社会の中枢を担う世代の変化による混血や一体化が進んでいるが、しかしなを両者の対立は現在に至るまで解消されていない。


 自称タイワニーズが6割を超えた中で、なぜ台湾独立が拒否されたのか。

 ここが、大衆政治心理の面白いところ。
 建前よりも「利」で動くのが人の心理。
 それがこの結果に十分な理由を与える。
 その面から解説しているのが下記のウエブ。
 ひじょうに著名なウエブである「途転の力学」を見てみましょう。
 一部を抜粋してコピーさせていただきます。

★ 途転の力学
☆ http://keyboo.at.webry.info/200801/article_5.html

 週末に行われた台湾の立法院選挙は、与党の民進党の苦戦が予想されておりましたが、結果はその予想を遥かに通り越して、何と野党の国民党が3分の2を超える議席を獲得して圧勝。

 今年2008年は台湾にとって独立の絶好のチャンスであり、当然それがわかっていた民進党は、領有権を放棄するための憲法改正の準備を着々と進めており、この選挙と総統選で勝てば、期待が現実のものになる可能性が十分に考えられた。
 そして、大多数の台湾住民も自分たちは独立した国家であるという認識を持っていたので、そうであればこのチャンスを活かす行動を取るかと思われたが、そうしなかった。

 台湾の将来について、77%の人が「台湾は主権の独立した国家」の考えに同意しており、78%から89%の人が台湾の将来は2,300万の台湾国民が決めるべきと考えている。
 また、46%~55%の人が両岸の「最終的統一」に反対であり、65%の人が中国の「台湾は中華人民共和国の一部分」という主張に反対だった。
 さらに、半数以上の人が国家統一綱領が台湾は最終的には中国と統一しなければならないと定めていることに反対を示している。
 彼らは独立に反対する国民党を選んだのです。
 なぜ中国からの独立志向を持っている彼らが、独立に反対する国民党を選んだのでしょうか。

 <独立志向の民進党が大敗した理由>

 今回の台湾立法院選挙では何が争点となったのでしょうか。
 我々外様から見てみれば、2008年なので当然「独立」が最大の争点になると思っていた。
 つまり、正式に「台湾」となるのか、それとも「中華民国」のままいくのかという選択。

 しかし、現実は違った。一番効いたのはやはりこれでした。
 台湾独立を志向する陳水扁政権の与党・民進党は有権者の「台湾人意識」をあおる戦術をとったが、政権を担ったここ8年間の経済運営などへの失望を覆せなかった。

 そう、国民の関心は「独立」よりも「経済」にあったのです。
 理由は簡単。今の暮らし向きが悪いからです。
 明日の飯のタネにも困るのに、「独立」とかなんか考えてられるかいということなのかもしれません。
 確かに目先だけを考えると「独立」で飯は食えませんからね。

 ここにも自分たちの暮らしを改善してくれない現政権に失望し、「変化」を求める有権者の姿勢が見て取れた。
 この現象は我々にとっては「デ・ジャブ」です。
 基本的に人間というのは自分に余裕のない限りは、より身近なことに関心が高まる傾向にあるようです。
 なので、人々の暮らし向きが苦しい(と感じている)と感じている局面では、『遠い「独立」よりも近くの「経済」』に有権者の関心は向かう。
 台湾も例外ではなかったわけです。

 そういう景気の悪い(と有権者が感じている)国でかつ選挙がある(近い)年の政権運営としては、とりあえず目先の景気対策にシフトする可能性が極めて高くなるわけです。

 つまり、目標設定上は、「緊急かつ重要な問題」が重視されるようになる。
 しかし、それは言い換えれば、「緊急でないが重要な問題」は極端な話無視される可能性も高くなるということなんですね。
 台湾における「独立」の問題は、「緊急でないが重要なこと」に当りますが、「景気」という「緊急かつ重要な問題」がより重視されました。

 このように、景気が悪くなると、有権者の関心は国内問題にシフトすることになり、政策もよりそっちの方に傾斜せざるを得なくなります。(「緊急かつ重要な」景気対策が最大の争点に)


 なるほど、ひじょうに理解しやすい論理です。
 日本と世界の政治情勢を豊富な資料をベースに解析しています。



 <つづく>




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2008年3月1日土曜日

台湾1:「台流現象」は生まれない


 ● 台湾


台湾1:「台流現象」は生まれない
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 息子の大学の友だちに台湾人がいる。
 ひじょうに親日的で、どちらかというと日本に底抜けの憧れを抱いているようである。
 息子が呼ばれるあちこちの参加自由のパーテイなどには、好んで参加する。
 親のもつ中国人的人間関係のしがらみがどうも肌に合わないらしく、日本人の不要に他人に関与しないという冷酷さ、個人的な割り切り方に迎合しているようである。

 性格にもよるのだろうが、ここにいる韓国人にもそういう人がいる。
 同国人との濃厚なベッタリとした付き合いを嫌っているといった人は数多い。
 外国でやっていこうという人は多少なり、そういう性格がないと難しいのかもしれない。
 いつもつるんでいないとやっていけないような性格では、海外生活は無理ということなのだろう。

 そこそこのお金持ちのお坊ちゃんで、大学生活に入って親から専用の車、三菱ランサーを買ってもらい、数十キロの道のりもなんのその、何かがあるとやってきては泊まっていった。
 まあ、日本でも大学に入ったら車を買い与える親の多い昨今なので、超お金持ちというわけではない。

 その彼、工学部を出て就職するかと思いきや、日本へ行ってしまった。
 最近は公立の小中学校にも英会話を取り入れるところができ、その人材を募集する機関があり、その手づるでの入った時間講師といったところである。
 はじめの予定では栃木県と福島県の県境の町だということであったが、決定したのは新潟から30分ほど郊外の市であった。
 これまで雪をみたことがない彼なので、冬の吹雪は「オーサム」であったらしい。
 先の新年に帰ってきて、いつものように我が家にも泊まっていった。
 公立小中学校の時間講師の給料で生活できるのか聞いてみたら、何とかなるらしい。
 車も買う予定であり、スキーも始めたという。しばらくは日本の生活を楽しむようである。

 別に彼の話題が今回のテーマではない。
 日本にいたときは、韓国とか台湾とかいったところにはとりたてて興味はなかった。
 というより、情報がなかった、といったほうがいいだろう。
 新聞・雑誌・テレビなどに載るニュースは単発的であり、広く社会の情勢を知るといったものではなかった。
 おかしな話だが、近隣よりもアメリカの話題が手にとるように載っているのが日本のマスコミである。
 アメリカのニュースは世界の今、明日を知る上で読者をひきつけるが、台湾・韓国はネタにならないということもあるのであろう。

 インターネットを触るようになって、一番情報が増えたのが韓国である。
 「朝鮮日報」、「東亜日報」、「中央日報」という3大紙の画面が日本語でニュースを提供してくれており、社説からオピニオン、社会面、スポーツ、芸能、ITまでいろいろな話題を検索することができる。
 日本という国を韓国という国からみるのも違った意味で勉強になる。
 どちらかというと劣等感にさいなまれた韓国が、ありとあらゆるのもで日本にぶつかっていこうと一生懸命がんばっている姿はひたむきでいい。
 駄々っ子が理屈にもならない論理で、気を引こうとしている姿は、ちょっと見おもしろい。
 過激になってみたり、すねてみたり、無視されることに苛立ってみたりである。

 ただ、あまりにも日本を意識しすぎて足元に目がいかないのが何とももったいない。
 というよりかわいそうだが、これもしかたがないだろう。
 無闇に目の上のコブである日本にトライするしか、自己を表現する手段をもたないという、中国と日本にはさまれてしまったサンドイッチ型地政学的不利は、能書きを超えて物理的条件でいかんともしがたいものである。
 内省的に自分を省みるところまで、至っていないということだろう。
 庶民レベルでは、そこそこの歴史しかもたない。
 それも中国のコピー文化の影響を色濃く受けざるを得ない環境では、深く問うほうが無理というものである。

 上記3新聞の日本語版ニュースは在日韓国人に対してのサービスなのであろうか、実にきめ細かい。
 いいにつけ悪いにつけ、「ニュースを発信し続ける」という姿勢が「韓流現象」を生み、広く韓国を日本に世界に浸透させることになっているのであろうと思う。


 ところが、もう一方の台湾の方はというと、これがよく分からない。
 大手として「聯合報」、「中国時報」、「自由時報」という3紙があるはずだが、その日本語版ニュースが探しても見つからない。

 Wikipediaの「台湾の新聞の一覧」で検索してみる。

 台湾では以前から「中国時報」と「聯合報」が二大新聞であったが報道の禁制が解除された後1992年~1994年にかけて部数を伸ばした「自由時報」と2003年にできた「蘋果日報」がこれに加わり、現在は「四強」の状態である。


 上記の新聞名で検索してみるのだが、韓国のように新聞がそのまま日本語版インターネットにはなっていないようなのである。
 日本語版で出てきたのは「国民党ニュースネットワーク」のみ。
 これは政党の宣伝である。
 台湾の一般社会の日常ニュースがない。
 これはどういうわけなのであろう。
 「台湾は日本の大衆に対して、自らの主張を知らせる努力をしていない」と判断してもいいものなのだろうか。
 台湾はどうして韓国のように、日本語ニュースをインターネット上に配信しないのであろうか。
 中国は盛んに日本語での記事を発信しているし、反中国組織では「大紀元時報-日本」の日本語版が中国の政府にコントロールされない情報をこれもまた盛んに発信している。

 ところが、台湾にはそれがない。
 彼らにとって日本とは、「無視しうるほどに些細な存在」でしかないのだろうか。

 そのようなことはまず考えられないのだが。
 というのは対する中国が日本への発信をひじょうに重要視していることを考えれば、それ以上の説明は必要ないだろう。
 外部からみるかぎり、台湾にとって関係国はのナンバーワンはもちろん「中国」であり、二番目は「アメリカ」であり、三番目に「日本」があるはずのように思えるのだが。

 韓国の「中央日報」は日本の読者にボロクソに言われながらも、その読者にコメント欄を提供している。
 あそこまで言われれば、コメント欄を廃止にしてもいいはずであるが、ところがそれをしないでいる。
 それが日本人をして韓国を親しい国にしている。

 ではなぜ、台湾は韓国とちがうのか。
 反日の強い韓国ですらそれなりのスタンスをもっている。
 ところが、一部に親日派がいるといわれている台湾は何もしない。
 中国語を日本語に翻訳する人材がいないといったことはありえないし、資金がないということもありえないし、政治的制約を受けているということもありえない。
 外的条件でその理由となるべきもの、日本人を納得させられるものは何もない。

 ということは、台湾の新聞はただ「怠惰でやる気がない」ということになるが。

 新聞がやる気がないということは、台湾の市民自体が自らのニュースを発信する意欲がないということであり、「日本など、我が台湾にとって不要」と考えているのかもしれない。
 自分の意見を他人に聞いてもらおうという、人間的意志がカケラもないということになる。

 本人がそう考えているのに、日本人が横槍を入れるというのは僭越だが、インターネットみたいなものは、いい悪いの可否を問わずに世界中のニュースをみられるところに特徴がある。
 台湾はパソコン電子工業ではひじょうに高い生産力レベルのものを維持しているはずであり、それが「情報に関して疎い」というのは、台湾の見通しをひじょうに暗いものにするような気がする。

 いいにつけ、悪いにつけ、大衆情報社会になった昨今ではニュースを発信し続けるということが、何より求めなられる行為であり、それをしないと自然と「見捨てられていく」。
 韓国のように「反日」を国是としながらも日本に膨大な日常ニュースを流し続けている。
 それが韓国をしてオープンは国にし、発展の礎となっている。


 そんなこともあって、「やる気のない台湾」は無視してもいいのだが、ちょっと気になった記事に出会ってしまった。


「中華民国」の名で国連復帰投票、台湾与党が支持へ 
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(読売新聞 2008年2月13日)

 台湾の陳水扁総統の与党・民進党は13日、国連加盟の賛否を問う住民投票計画について、台湾の新規加盟を意味する「台湾」名義での住民投票に加えて、より独立色が薄い「中華民国の国連復帰」の賛否を問う、最大野党・国民党案の住民投票も支持する方針を決めた。

 対中独立志向が強く、「脱中華民国」体制を目指してきた陳総統が推進する「台湾」名義での住民投票は、中国が「独立への一歩」と非難し、米国も「台湾海峡の緊張を高める挑発的な政策」(ライス国務長官)と反対してきた。

 現時点では、与野党二つの住民投票とも3月22日の総統選と同時に実施される予定だが、国民党総統選候補の馬英九・前主席は13日、「欧米などが反対している」として、与党案の投票を中止し、国民党案に一本化するよう呼びかけた。

 「住民投票」は、「有権者の過半数」が投票することが「成立条件」。

 民進党の譲歩により、同党支持者が野党の住民投票にも票を投じ、独立色が薄い「中華民国」の投票も成立する公算が大きくなる。

 与党が譲歩したのは、名義をめぐって与野党が政治的に対立したままでは、住民の票が真っ二つに割れて、ともに不成立となる可能性が高く、「国連加盟への意欲がないとの誤解を国際社会に与えてしまう」(与党幹部)と判断したためだ。


 これは「台湾独立」を推進していた民進党が歴史的敗北を期したちょうど1カ月後の記事である。

 こちらにいる台湾人を見てみると、大きく2つに分かれるようです。
 「私はチャイニーズではない、タイワニーズです」と主張する人と、「チャイニーズです」と言う人である。一般にこちらでの彼らを示す場合は中国も、台湾も「チャイニーズ」で一本化しており、「チャイニーズですか、タイワニーズですか」とは聞かない。これは一般的な通念として台湾が独立していないことによる。

 この記事に出会い、「台湾国連加盟」についての可能性、その持つ意味などの知識を深めたいと思い始めたのが、この稿を書くきっかけである。


 まず台湾の近世の歴史から簡単に見ていく。
 Wikipediaから任意に抜粋する。


 清朝は当初、台湾島を領有する事に消極的であった。
 しかしながら、17世紀後半、朝廷内での協議によって、最終的には軍事上の観点から領有することを決定し、台湾に1府(台湾)3県(台南、高雄、嘉義)を設置した上で、福建省の統治下に編入した。

 ただし清朝は、台湾を「化外(けがい)の地」(「皇帝の支配する領地ではない」、「中華文明に属さない土地」の意)としてさほど重要視していなかった為に統治には永らく消極的であり続け、特に台湾原住民については「化外(けがい)の民」(「皇帝の支配する民ではない」、「中華文明に属さない民」の意)として放置し続けてきた。
 その結果、台湾本島における清朝の統治範囲は島内全域におよぶことはなかった。

 清仏戦争の際にはフランスの艦隊が台湾北部への攻略を謀った。
 これに伴い、清朝は日本や欧州列強の進出に対する国防上の観点から台湾の重要性を認識するようになり、台湾の防衛強化の為に知事に当たる「巡撫(じゅんぶ)職」を派遣した上で、1885年に台湾を福建省から分離して「台湾省」を新設した。
 台湾省設置後の清朝は、それまでの消極的な台湾統治を改めて本格的な統治を実施するようになり、例えば1887年に基隆―台北間に鉄道を敷設するなど近代化政策を各地で採り始めた。

 だが、1894年に清朝が日本と戦った日清戦争に敗北した為、翌「1895年」に締結された「下関条約(馬關條約)」に基づいて台湾は清朝から「日本に割譲」され、それに伴い台湾省は設置から「約10年」という短期間で廃止された。
 これ以降、台湾は「日本の領土」として「台湾総督府」の統治下に置かれる事となる。

 台湾の併合にあたり台湾人には「土地を売却して出国」するか、台湾に留まり「日本国民になる」かを選択させた。

 また初期段階の抗日武装運動に対しては、武力鎮圧で対応していた。
 その後近代化を目指し台湾内の教育制度の拡充を行った。「義務教育制度」が施行され、台湾人の就学率は1943年の統計で「92%」、日本語普及率は「71%」と非常に高い水準に達していた。
 義務教育以外にも主に実業系の教育機関を設置し、台湾の行政、経済の実務者養成を行うと同時に、大量の台湾人が日本に留学した。

 1945年の第二次世界大戦後、連合国に降伏した日本軍の武装解除のために、蒋介石率いる中華民国・南京国民政府軍が台湾に上陸して来た。


 日本の支配は「日清戦争」から「太平洋戦争」終結まで、1895年から1945年のちょうど「50年間」半世紀の歴史をもつ。
 その間、戸籍制度は日本国内ということで、そのまま採用されていた。
 またいわゆる国立一期校は7校あるが、戦前は9校で、その一つが台湾の「台北大学」であり、他の一つは「ソウル大学」である。よって、台湾の教育制度は国内と遜色ないものであったとみてよい。
 この半世紀の間に社会基盤は日本によってほぼ完璧に整備されたといえるであろう。

 ここまでは日本がらみの台湾、ここから今日までの「約60年間」がいまの台湾。
 簡単にまとめておく。


 1949年に蒋介石が国共内戦で敗れた兵隊、崩壊状態にあった南京国民政府を引き連れて台湾に移住してきた為、これ以降は事実上蒋介石・国民政府による台湾の直接統治が行なわれることとなった。

 政治的には「国民党独裁」が続き、この間、台湾民主化・独立運動は日本、後にアメリカに移住した台湾人を中心に展開されることとなった。
 一方、1970 年代に入ると国民党政権の弾圧をかわす反日愛国の仮面をかぶったデモが頻発する(後の陳水扁政権のメンバーはこの時の反日デモ参加者が多くを占める)。

 蒋親子の死後、「国民党主席」についた「李登輝」は台湾の民主化を推し進め、1996年には台湾初の「総統民選」を実施、そこで総統に選出された。

 李登輝は永年議員の引退など台湾の民主化政策を推進したが高齢のため2000年の総統選には出馬せず、代わって「民進党」の「陳水扁」が総統に選出され、「台湾史上初の政権交代」が実現した。

 「2004年の総統選」では国民・民進両党の支持率は拮抗していたが、僅差で「陳水扁」が再選を果たした。
 混迷の原因の一つは中国問題で、中国は陳水扁を敵視し、国民党を支持することで台湾政界を牽制しているが、その過度な干渉となると台湾ナショナリズムを刺激し、反中国勢力が台頭するという中国にとっても難しい問題となっている。

 一方の当事者であるアメリカ自身、中国に対する脅威論、友好論が錯綜し一定の方針が定まっていないため、対台政策も一貫せず、台湾は独自性を強めざるを得ないとの見方もある。そのために日本を対中包囲網の一環に組み込もうとする遠謀も、李登輝などの親日政治家には見られるとされる。


 「反日」を国是に掲げながらも、新聞をオープンにしている韓国から比べれば、政治的にもっと深刻な台湾が、日本国民に対して何のアピールもしていないという怠惰な姿勢には、「あきれるばかり」である。

 李登輝などの親日政治家の存在など、日本国民にとって「何の足しにもならない」。
 それよりも「台湾の人々の日常の社会生活のちょっとしたささやかなニュースの連続」の方がはるかに価値がある。
 そういったものから日々の日本との親しみが増加していくようになり、そのつながりからささやかでも「台流現象」のはしりでも生まれるようになれば、それこそ万歳になるのだが。


 いったいこれで、やっていけるのか、ハテナマーク<連発>の台湾である。



 <つづく>




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