2008年3月1日土曜日

台湾1:「台流現象」は生まれない


 ● 台湾


台湾1:「台流現象」は生まれない
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 息子の大学の友だちに台湾人がいる。
 ひじょうに親日的で、どちらかというと日本に底抜けの憧れを抱いているようである。
 息子が呼ばれるあちこちの参加自由のパーテイなどには、好んで参加する。
 親のもつ中国人的人間関係のしがらみがどうも肌に合わないらしく、日本人の不要に他人に関与しないという冷酷さ、個人的な割り切り方に迎合しているようである。

 性格にもよるのだろうが、ここにいる韓国人にもそういう人がいる。
 同国人との濃厚なベッタリとした付き合いを嫌っているといった人は数多い。
 外国でやっていこうという人は多少なり、そういう性格がないと難しいのかもしれない。
 いつもつるんでいないとやっていけないような性格では、海外生活は無理ということなのだろう。

 そこそこのお金持ちのお坊ちゃんで、大学生活に入って親から専用の車、三菱ランサーを買ってもらい、数十キロの道のりもなんのその、何かがあるとやってきては泊まっていった。
 まあ、日本でも大学に入ったら車を買い与える親の多い昨今なので、超お金持ちというわけではない。

 その彼、工学部を出て就職するかと思いきや、日本へ行ってしまった。
 最近は公立の小中学校にも英会話を取り入れるところができ、その人材を募集する機関があり、その手づるでの入った時間講師といったところである。
 はじめの予定では栃木県と福島県の県境の町だということであったが、決定したのは新潟から30分ほど郊外の市であった。
 これまで雪をみたことがない彼なので、冬の吹雪は「オーサム」であったらしい。
 先の新年に帰ってきて、いつものように我が家にも泊まっていった。
 公立小中学校の時間講師の給料で生活できるのか聞いてみたら、何とかなるらしい。
 車も買う予定であり、スキーも始めたという。しばらくは日本の生活を楽しむようである。

 別に彼の話題が今回のテーマではない。
 日本にいたときは、韓国とか台湾とかいったところにはとりたてて興味はなかった。
 というより、情報がなかった、といったほうがいいだろう。
 新聞・雑誌・テレビなどに載るニュースは単発的であり、広く社会の情勢を知るといったものではなかった。
 おかしな話だが、近隣よりもアメリカの話題が手にとるように載っているのが日本のマスコミである。
 アメリカのニュースは世界の今、明日を知る上で読者をひきつけるが、台湾・韓国はネタにならないということもあるのであろう。

 インターネットを触るようになって、一番情報が増えたのが韓国である。
 「朝鮮日報」、「東亜日報」、「中央日報」という3大紙の画面が日本語でニュースを提供してくれており、社説からオピニオン、社会面、スポーツ、芸能、ITまでいろいろな話題を検索することができる。
 日本という国を韓国という国からみるのも違った意味で勉強になる。
 どちらかというと劣等感にさいなまれた韓国が、ありとあらゆるのもで日本にぶつかっていこうと一生懸命がんばっている姿はひたむきでいい。
 駄々っ子が理屈にもならない論理で、気を引こうとしている姿は、ちょっと見おもしろい。
 過激になってみたり、すねてみたり、無視されることに苛立ってみたりである。

 ただ、あまりにも日本を意識しすぎて足元に目がいかないのが何とももったいない。
 というよりかわいそうだが、これもしかたがないだろう。
 無闇に目の上のコブである日本にトライするしか、自己を表現する手段をもたないという、中国と日本にはさまれてしまったサンドイッチ型地政学的不利は、能書きを超えて物理的条件でいかんともしがたいものである。
 内省的に自分を省みるところまで、至っていないということだろう。
 庶民レベルでは、そこそこの歴史しかもたない。
 それも中国のコピー文化の影響を色濃く受けざるを得ない環境では、深く問うほうが無理というものである。

 上記3新聞の日本語版ニュースは在日韓国人に対してのサービスなのであろうか、実にきめ細かい。
 いいにつけ悪いにつけ、「ニュースを発信し続ける」という姿勢が「韓流現象」を生み、広く韓国を日本に世界に浸透させることになっているのであろうと思う。


 ところが、もう一方の台湾の方はというと、これがよく分からない。
 大手として「聯合報」、「中国時報」、「自由時報」という3紙があるはずだが、その日本語版ニュースが探しても見つからない。

 Wikipediaの「台湾の新聞の一覧」で検索してみる。

 台湾では以前から「中国時報」と「聯合報」が二大新聞であったが報道の禁制が解除された後1992年~1994年にかけて部数を伸ばした「自由時報」と2003年にできた「蘋果日報」がこれに加わり、現在は「四強」の状態である。


 上記の新聞名で検索してみるのだが、韓国のように新聞がそのまま日本語版インターネットにはなっていないようなのである。
 日本語版で出てきたのは「国民党ニュースネットワーク」のみ。
 これは政党の宣伝である。
 台湾の一般社会の日常ニュースがない。
 これはどういうわけなのであろう。
 「台湾は日本の大衆に対して、自らの主張を知らせる努力をしていない」と判断してもいいものなのだろうか。
 台湾はどうして韓国のように、日本語ニュースをインターネット上に配信しないのであろうか。
 中国は盛んに日本語での記事を発信しているし、反中国組織では「大紀元時報-日本」の日本語版が中国の政府にコントロールされない情報をこれもまた盛んに発信している。

 ところが、台湾にはそれがない。
 彼らにとって日本とは、「無視しうるほどに些細な存在」でしかないのだろうか。

 そのようなことはまず考えられないのだが。
 というのは対する中国が日本への発信をひじょうに重要視していることを考えれば、それ以上の説明は必要ないだろう。
 外部からみるかぎり、台湾にとって関係国はのナンバーワンはもちろん「中国」であり、二番目は「アメリカ」であり、三番目に「日本」があるはずのように思えるのだが。

 韓国の「中央日報」は日本の読者にボロクソに言われながらも、その読者にコメント欄を提供している。
 あそこまで言われれば、コメント欄を廃止にしてもいいはずであるが、ところがそれをしないでいる。
 それが日本人をして韓国を親しい国にしている。

 ではなぜ、台湾は韓国とちがうのか。
 反日の強い韓国ですらそれなりのスタンスをもっている。
 ところが、一部に親日派がいるといわれている台湾は何もしない。
 中国語を日本語に翻訳する人材がいないといったことはありえないし、資金がないということもありえないし、政治的制約を受けているということもありえない。
 外的条件でその理由となるべきもの、日本人を納得させられるものは何もない。

 ということは、台湾の新聞はただ「怠惰でやる気がない」ということになるが。

 新聞がやる気がないということは、台湾の市民自体が自らのニュースを発信する意欲がないということであり、「日本など、我が台湾にとって不要」と考えているのかもしれない。
 自分の意見を他人に聞いてもらおうという、人間的意志がカケラもないということになる。

 本人がそう考えているのに、日本人が横槍を入れるというのは僭越だが、インターネットみたいなものは、いい悪いの可否を問わずに世界中のニュースをみられるところに特徴がある。
 台湾はパソコン電子工業ではひじょうに高い生産力レベルのものを維持しているはずであり、それが「情報に関して疎い」というのは、台湾の見通しをひじょうに暗いものにするような気がする。

 いいにつけ、悪いにつけ、大衆情報社会になった昨今ではニュースを発信し続けるということが、何より求めなられる行為であり、それをしないと自然と「見捨てられていく」。
 韓国のように「反日」を国是としながらも日本に膨大な日常ニュースを流し続けている。
 それが韓国をしてオープンは国にし、発展の礎となっている。


 そんなこともあって、「やる気のない台湾」は無視してもいいのだが、ちょっと気になった記事に出会ってしまった。


「中華民国」の名で国連復帰投票、台湾与党が支持へ 
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(読売新聞 2008年2月13日)

 台湾の陳水扁総統の与党・民進党は13日、国連加盟の賛否を問う住民投票計画について、台湾の新規加盟を意味する「台湾」名義での住民投票に加えて、より独立色が薄い「中華民国の国連復帰」の賛否を問う、最大野党・国民党案の住民投票も支持する方針を決めた。

 対中独立志向が強く、「脱中華民国」体制を目指してきた陳総統が推進する「台湾」名義での住民投票は、中国が「独立への一歩」と非難し、米国も「台湾海峡の緊張を高める挑発的な政策」(ライス国務長官)と反対してきた。

 現時点では、与野党二つの住民投票とも3月22日の総統選と同時に実施される予定だが、国民党総統選候補の馬英九・前主席は13日、「欧米などが反対している」として、与党案の投票を中止し、国民党案に一本化するよう呼びかけた。

 「住民投票」は、「有権者の過半数」が投票することが「成立条件」。

 民進党の譲歩により、同党支持者が野党の住民投票にも票を投じ、独立色が薄い「中華民国」の投票も成立する公算が大きくなる。

 与党が譲歩したのは、名義をめぐって与野党が政治的に対立したままでは、住民の票が真っ二つに割れて、ともに不成立となる可能性が高く、「国連加盟への意欲がないとの誤解を国際社会に与えてしまう」(与党幹部)と判断したためだ。


 これは「台湾独立」を推進していた民進党が歴史的敗北を期したちょうど1カ月後の記事である。

 こちらにいる台湾人を見てみると、大きく2つに分かれるようです。
 「私はチャイニーズではない、タイワニーズです」と主張する人と、「チャイニーズです」と言う人である。一般にこちらでの彼らを示す場合は中国も、台湾も「チャイニーズ」で一本化しており、「チャイニーズですか、タイワニーズですか」とは聞かない。これは一般的な通念として台湾が独立していないことによる。

 この記事に出会い、「台湾国連加盟」についての可能性、その持つ意味などの知識を深めたいと思い始めたのが、この稿を書くきっかけである。


 まず台湾の近世の歴史から簡単に見ていく。
 Wikipediaから任意に抜粋する。


 清朝は当初、台湾島を領有する事に消極的であった。
 しかしながら、17世紀後半、朝廷内での協議によって、最終的には軍事上の観点から領有することを決定し、台湾に1府(台湾)3県(台南、高雄、嘉義)を設置した上で、福建省の統治下に編入した。

 ただし清朝は、台湾を「化外(けがい)の地」(「皇帝の支配する領地ではない」、「中華文明に属さない土地」の意)としてさほど重要視していなかった為に統治には永らく消極的であり続け、特に台湾原住民については「化外(けがい)の民」(「皇帝の支配する民ではない」、「中華文明に属さない民」の意)として放置し続けてきた。
 その結果、台湾本島における清朝の統治範囲は島内全域におよぶことはなかった。

 清仏戦争の際にはフランスの艦隊が台湾北部への攻略を謀った。
 これに伴い、清朝は日本や欧州列強の進出に対する国防上の観点から台湾の重要性を認識するようになり、台湾の防衛強化の為に知事に当たる「巡撫(じゅんぶ)職」を派遣した上で、1885年に台湾を福建省から分離して「台湾省」を新設した。
 台湾省設置後の清朝は、それまでの消極的な台湾統治を改めて本格的な統治を実施するようになり、例えば1887年に基隆―台北間に鉄道を敷設するなど近代化政策を各地で採り始めた。

 だが、1894年に清朝が日本と戦った日清戦争に敗北した為、翌「1895年」に締結された「下関条約(馬關條約)」に基づいて台湾は清朝から「日本に割譲」され、それに伴い台湾省は設置から「約10年」という短期間で廃止された。
 これ以降、台湾は「日本の領土」として「台湾総督府」の統治下に置かれる事となる。

 台湾の併合にあたり台湾人には「土地を売却して出国」するか、台湾に留まり「日本国民になる」かを選択させた。

 また初期段階の抗日武装運動に対しては、武力鎮圧で対応していた。
 その後近代化を目指し台湾内の教育制度の拡充を行った。「義務教育制度」が施行され、台湾人の就学率は1943年の統計で「92%」、日本語普及率は「71%」と非常に高い水準に達していた。
 義務教育以外にも主に実業系の教育機関を設置し、台湾の行政、経済の実務者養成を行うと同時に、大量の台湾人が日本に留学した。

 1945年の第二次世界大戦後、連合国に降伏した日本軍の武装解除のために、蒋介石率いる中華民国・南京国民政府軍が台湾に上陸して来た。


 日本の支配は「日清戦争」から「太平洋戦争」終結まで、1895年から1945年のちょうど「50年間」半世紀の歴史をもつ。
 その間、戸籍制度は日本国内ということで、そのまま採用されていた。
 またいわゆる国立一期校は7校あるが、戦前は9校で、その一つが台湾の「台北大学」であり、他の一つは「ソウル大学」である。よって、台湾の教育制度は国内と遜色ないものであったとみてよい。
 この半世紀の間に社会基盤は日本によってほぼ完璧に整備されたといえるであろう。

 ここまでは日本がらみの台湾、ここから今日までの「約60年間」がいまの台湾。
 簡単にまとめておく。


 1949年に蒋介石が国共内戦で敗れた兵隊、崩壊状態にあった南京国民政府を引き連れて台湾に移住してきた為、これ以降は事実上蒋介石・国民政府による台湾の直接統治が行なわれることとなった。

 政治的には「国民党独裁」が続き、この間、台湾民主化・独立運動は日本、後にアメリカに移住した台湾人を中心に展開されることとなった。
 一方、1970 年代に入ると国民党政権の弾圧をかわす反日愛国の仮面をかぶったデモが頻発する(後の陳水扁政権のメンバーはこの時の反日デモ参加者が多くを占める)。

 蒋親子の死後、「国民党主席」についた「李登輝」は台湾の民主化を推し進め、1996年には台湾初の「総統民選」を実施、そこで総統に選出された。

 李登輝は永年議員の引退など台湾の民主化政策を推進したが高齢のため2000年の総統選には出馬せず、代わって「民進党」の「陳水扁」が総統に選出され、「台湾史上初の政権交代」が実現した。

 「2004年の総統選」では国民・民進両党の支持率は拮抗していたが、僅差で「陳水扁」が再選を果たした。
 混迷の原因の一つは中国問題で、中国は陳水扁を敵視し、国民党を支持することで台湾政界を牽制しているが、その過度な干渉となると台湾ナショナリズムを刺激し、反中国勢力が台頭するという中国にとっても難しい問題となっている。

 一方の当事者であるアメリカ自身、中国に対する脅威論、友好論が錯綜し一定の方針が定まっていないため、対台政策も一貫せず、台湾は独自性を強めざるを得ないとの見方もある。そのために日本を対中包囲網の一環に組み込もうとする遠謀も、李登輝などの親日政治家には見られるとされる。


 「反日」を国是に掲げながらも、新聞をオープンにしている韓国から比べれば、政治的にもっと深刻な台湾が、日本国民に対して何のアピールもしていないという怠惰な姿勢には、「あきれるばかり」である。

 李登輝などの親日政治家の存在など、日本国民にとって「何の足しにもならない」。
 それよりも「台湾の人々の日常の社会生活のちょっとしたささやかなニュースの連続」の方がはるかに価値がある。
 そういったものから日々の日本との親しみが増加していくようになり、そのつながりからささやかでも「台流現象」のはしりでも生まれるようになれば、それこそ万歳になるのだが。


 いったいこれで、やっていけるのか、ハテナマーク<連発>の台湾である。



 <つづく>




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