2008年1月27日日曜日

海水淡水化4:シドニーとブリスベン


● 漏水チェックの奨励:「水を大切に」


海水淡水化4:シドニーとブリスベン
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 没頭に挙げたコメントを再録してみます。
『 
 報道されているクインズランド州では、「下水再利用」の是非を問う住民投票も取りやめるとのことで、切羽詰った状況がうかがえます。
 しかし、海水淡水化には、多量のエネルギーを投入する必要があったり、プラントの整備に多額なコストが発生したりします。
 ニュースにある下水のリサイクルに比べれば、心理的には海水淡水化のほうが受け入れられやすいと思いますが、クインズランド州の場合は、それを選択できない事情があるのでしょう。


 その事情であるが、推論してみると2つあるのではないかと思われます。

 一つは海岸線の風光明媚を歌い文句に観光産業が成立していることである。
 ブリスベンを中心に南にゴールドコースト、北にサンシャインコーストがひろがり、年間の観光客数は膨大なものになり、クインズランドの産業の柱になっている。
 その海岸に不細工な淡水化施設を建設するわけにはゆかない。
 ゴールドコーストの隣はニューサウスウエールズ州になるため、もしプラントを造るとしたらサンシャインコーストのはるか向こうしかない。あまりにも遠すぎる。

 二つめは、ここは環境保護団体の力のひじょうに強い、ということがある。
 シドニーは猛烈な反対で計画が一時棚上げになり、水源地の貯水量が30%を切るようなことになるまで検討しないという約束事がありましたが、2007年になって州政府はこれを反古にして、建設計画を推進したという経緯があります。

 クインズランドでは過去にモーターウエイを建設するさいに、その路線上にコアラの生息地があり、州政府はこれを保護して別の保護地へ移転させる計画を提示したが、強硬な反対にあい、このため次の選挙で州政府がひっくり返り、野党が政権を握ることとなり、モーターウエイ路線の変更が行われたという経緯があります。
 クインズランドでは「環境保護」は圧倒的な力をもっており、その顔色を伺いながらの政治をするといった状況のようです。

 このようなことで、ブリスベンでは海水淡水化計画は実行されないのではないかと思います。

 しかし、これは絶対的な説得力を持っていない。
 パースは人口150万人でブリスベンとそこそこ似ている。
 そのパースは150キロ遠方にプラントを作り、パイプラインで引っ張ってきて、上水道につなげようとしている。
 距離は説得力にはならない。
 それだけの距離を見ればブリスベンでもプラント候補地はあるはずである。

 環境保護団体の圧力も、絶対的ではない。
 シドニーでは市民との約束を反古にしてまで強行している。
 道路路線のように代替案がいくらでもあるようなら別だが、日常に欠かすことのできない水となれば、話は別のものである。
 生活が脅かされるともなれば、環境がどうのこうのとは言っておれなくなるはずである。

 パースは日量40万トン造り、水道の1/3を海水淡水化水に置き換えようとしている。
 シドニーは日量25万トン、メルボルンは日量41万トンである。
 それに対してブリスベンはたった日量6.6万トンしかない。

 ちなみに、この建設費は17億ドル(約1700億円)です。
 シドニーが20億ドル、メルボルンが31億ドルです。
 たった日量6.6万トンなのにシドニーにひけをとってはいない。
 もしこの金額をシドニーに当てはめると日量21万トンが供給できることになる。
 しかし、ブリスベンはその1/3でしかない。

 「どうにも理解しづらい。」


 シドニーとブリスベンを比較してみたいと思います。

 シドニーの人口は「430万人」、ブリスベンの人口は「180万人」で、シドニーはブリスベンの2.5倍ほどの人口を持っています。

 シドニーの水源ですが、郊外のブラギラング湖(ワラガンバ・ダム)は面積「75km2」で、体積「2km3」です。
 この大きさがどのくらいかというと、面積で十和田湖の1.2倍ある。
 体積で半分である。
 これは十和田湖の水深が70mとひじょうに深いためである。
 単純にいうと、大都市のたった40kmほどに深さが半分ほどの十和田湖があるということになる。

 とんでもない街ですね。
 雨さえ降ってくれれば、底抜けに恵まれた環境といえる。
 だからこそ個人住宅にプールなどがもてるのです。
 シドニーはここから80%の給水を行っています。

 ではブリスベンはどうでしょう。
 同じようにすぐそばに、ワイバンホー湖とサマセット湖という2つの湖を持っています。
 2つあわせた面積は「150km2」で、シドニーのブラギラング湖の2倍。
 ただ平均水深が浅いため、体積はブラギラング湖より小さくなり、3/4ほどの「1.5km3」である。
 ちなみに霞ヶ浦の面積の2/3の大きさ、体積は1.8倍である。これは霞ヶ浦の平均水深が4mほどとひじょうに浅いためである。
 ブリスベンの主水源はこの2つである。ここも恵まれ過ぎている。
 
 きっとオーストラリア人も「水はタダだ」と思っているのではないでしょうか。

 これを人口比でくらべれば、どうなるか。

 シドニー:
  2km3/(430万人×80%)=2/344=5.8

 ブリスベン:
  1.5km3/180万人=1.5/180=8.3

 ブリスベンはシドニーより50%アップの有利な条件の水源をもっていることになります。
 ブリスベンとは輪をかけてとんでもない街ですね。
 イスラエル人が激怒しそうです。
 シドニーの将来造水量は50万トン、人口を2.5倍とすれば、ブリスベンは日量「20万トン」の水を生み出さないといけないことになります。
 有利な水源を顧慮に入れれば、10万トンもあれば「何とかなる」という判断もありうるということになります。

 これは想定ですが、この有利さがブリスベンをして海水淡水化をやめ、「下水再生飲料水化」に走らせたのではないかと思うのです。


 「日豪プレス」より一部を引用します。

 現在、ブリスベン川に放流されてモートン湾に流れ込んでいる処理済下水の大部分を再利用することになっている。
 高度処理水のかなりの部分が2つの「石炭火力発電所」の冷却水として用いられる。
 余裕があれば農業用水に充てられる。

 「処理水の残り」は、ブリスベンの飲料水貯水池のワイバンホー湖に放流される。

 プロジェクトは2期に分けて建設中である。


 つまり、簡単にいうとブリスベンの「下水再生飲料水化」とは大きなプロジェクトの"おまけ"なのです。

 予算の半分以上は石炭火力発電所の冷却水を確保するために使われるわけです。
 オーストラリアは世界で最も良質の石炭を産出しますので、信じられないと思いますが火力発電所の大半が「石炭発電」です。
 一部には自前の天然ガスで発電するところもありますが、大掛かりな石油発電はありません。
 石油を使うくらいなら天然ガスの方がコストの低減になります。
 原子力発電所は実験用にあるだけです。
 とはいえオーストラリアはウランも輸出していますし、インドネシア政府との取り決めを引き継いだチモール沖では石油採掘もしています。
 オーストラリアとは「エネルギー大国」なのです。
 京都議定書への参加を強固に拒んでいた背景には、この自前のエネルギーに対する保護政策があります。

 さらに引用を続けます。

 第2期、2008年末までには、ラゲッジ・ポイントとギブソン・アイランドの既存の汚水処理施設に並んで建設される2カ所の新規高度汚水処理プラントが、大量の再処理水をワイバンホー湖に放流する。


 6カ所の汚水処理施設のうちの4カ所の処理水は冷却用に使われ、余りが農業用にまわされる。
 残りの2カ所の処理水が飲料水とするためワイバンホー湖に放流され、それが日量6.6万トンということになります。

 下水道量は日本でもそうですが、上水道量と同じと考えられています。
 庭に水撒きしたり、川に流さないかぎり、使った水は下水配管を通して戻っていくと考えられています。
 つまり水道量とリターン量は一致するわけです。

 よって、下水を上手に汚水処理し、それを水道に回すことができれば、「水の永久循環」ができると考えられています。つまり、原則的に水不足などというのは生活用水に関してはありえないことになります。
 ご存知のように宇宙船のような場合はこれが実際に行われています。

 これまで見てきたように、ブリスベンはひじょうに有利な水源をもっています。
 これに全排水のリサイクル活用システムが加われば、上水道管の流水量は常に一定しており、生活用水はほぼ満たされる、ということになります。
 人口増加といった特別な事情が発生しない限り、使った水を繰り返し使うわけですから、家庭用水の使用量の増加はリサイクル可能容量に中であれば十分対応できる。
 もし、可能容量を超えたら自動的に節水制限を行い、「前回より使い過ぎています」と警告を発すれば済むことになる。

 これがブリスベンをして、海水淡水化を実行しえない理由ではないかとおもうのですが。


 「下水再生飲料水:清浄化水」の使用は住民投票にも表れるように、市民には嫌われます。
 技術的、経済的に十分に清浄で安全な水が作れることは頭で分かっていても、感情的に拒否感が表れてしまいます。
 そのために、水道管に直接流し込むという方法は出来ない相談になります。

 ブリスベンのように大きな湖に一度放流して、湖水とまぜ、それから再取水して通常の浄水処理を経て供給される、という手続き的な処理がどうしても必要になります。
 これによって心理的安堵感が生まれます。
 同じように都市部に近接して大きな貯留湖を持つシドニーでは可能でしょう。
 では、他の都市ではどうでしょうか。

 ブリスベンで一度受けられてしまえば、再生飲料水はおそらく燎原の火のごとく普及していくのではないでしょうか。



 「海水淡水化」は長くなってしまいました。
 これで終わりますが、最後にもう一つ。

 時のクインズランド州首相は、住民投票を実行しない決定を下した後、この下水から生み出された「再生飲料水」を自分で飲むというパフォーマンスをして、事業への理解を訴えたそうです。

 そして、2,3カ月後、「家族との時間を大切にしたい」というなんだかかよく分からない名目で、突如、首相を辞任してしまいました。
 54歳です。通常ならこれから本格的な政治活動を、というところ年齢です。
 「下水を飲まされるのか」というバッシングに嫌気がさしたのであろうと噂されているようです。

 その後をついで首相になった方は、この州にして始めての「女性首相」とのことです。
 再生飲料水の喜悲劇といったところでしょうか。



 逆浸透膜式については、下記のページが写真と図での解説で解りやすいです。

〇 [PDF]期待される膜利用水処理技術
★ http://www.toray.co.jp/ir/pdf/lib/lib_a083.pdf


注:
 オーストラリア関係で出典を明記していないデータならびに記事は、日豪プレス2007年9月号「危機的水不足と残された解決策  スチュアート・カーン博士(NSW大学)」から引用しています。



 <おわり>



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2008年1月25日金曜日

海水淡水化3:オーストラリア


● 水道メーターの読み方指導


海水淡水化3:オーストラリア
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最近、長雨が続きオーストラリア各地では洪水が発生し、干ばつ状態も危機レベルを脱しているようです。
しかし、いつまた元の状態に戻るかは自然のこととて分かりませんので、都市部に限っての水不足対策としてどんな対応をしているのかという点に絞ってみてみたいと思います。

 オーストラリアからの発信はすこぶる多いのですが、データが錯綜しています。

 というのは「オーストラリア」とは連邦政府で、その下にいくつかの「共和国」があり、それぞれが独立した「政府」を構成しているためではないかと思います。
 よって「首相」が数人いることになります。
 日本ではこの共和国が「州」と呼ばれているため、地方自治体としての「県」と似たようなもの、という感覚で捉えしまうので、統一性に欠ける国だという印象をもちやすくなっています。
 「水不足対策」は州(共和国)の管轄であり、オーストラリア連邦政府が口を出せる事柄ではありません。

 シドニーを首都にする「ニュー・サウス・ウエールズ国」、メルボルンを首都とする「ビクトリア国」、ブリスベンの「クインズランド国」、パースの「西オーストラリア国」、アデレードの「南オーストラリア国」といった感じです。
 ですからオーストラリア政府は資金援助だけで、手を出しての水不足対策はしていない、といってもいいでしょう。
 「州とは国である」ということを念頭において見ていかないと、分かりにくくなります。

 「日豪プレス」とそのホームページをメインならびに、それぞれの州から個人的に発信しているホームページの中から拾っていきます。


 はじめに「オーストラリア連邦政府」は各州都の水不足対策をどうみているかというと、下記のものあります。
 記事文ですので、分かりやすく構成しなおして、一部をコピーします。

○ 日豪プレス オーストラリア 最新情報 シドニー メルボルン
★ http://www.25today.com/news/2007/09/post_1475.php

----------☆☆ すべての州都に脱塩淡水化施設を ☆☆----------
2007年9月24日

 9月21日、ピーター・コステロ「連邦」財務相は、渇水に悩む都市すべてが「脱塩淡水化」施設を持つことを提唱している。

 西オーストラリア州のパースにはすでに施設があり、もう一つ施設の建設が計画されている。シドニーは現在「建設中」、メルボルンも近隣地区に施設を「提案」している。

 コステロ財務相は、ABCラジオに出演し「州都はどこも水不足に悩まされている。
 解決するには脱塩淡水化しかない。
 ビクトリア州(メルボルン)にはそれが一つもない。
 南オーストラリア州(アデレード)にもない。
 それに対して中東は全域が脱塩淡水化に頼っている」と語り、さらに「水製造には脱塩淡水化は実績のある機能だ」としている。
 しかし、一方、「イオン交換脱塩淡水化には莫大なエネルギーが必要になる」ことをも認めている。

 オーストラリア自然保護財団(ACF)は、オーストラリアの水問題解決策として、「脱塩淡水化」は万能薬ではないとしている。「政府は、節水と下水再処理水の分野にもっと投資すべきで、脱塩淡水化は最後の手段と考えるべきだ」という。
 また、「オーストラリアが水不足に襲われている大きな理由は、われわれが温室ガスを大量に出していることが原因だ。だから、全ての州都に「エネルギー集中型の脱塩淡水化施設」を建設することは前向きでもなければ、問題に対して長い視点で解決するものでもない」と語っている。


 この「連邦」財務大臣の発言を軸に見ていくことにしましょう。

 まず、最初に出てきたのが西オーストラリア州の「パース」です。

①.【パース】
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 パース」の水事情がWikipediaに載っていました(人口:150万人)。


----------☆☆ Wikipedia ☆☆----------
 水事情  近年、異常気象により降水量が減少しており、30年間でダムへの流量が三分の二に減少している。
 さらに人口増加が比較的高いため、パースが10年以内に「水切れ」になってしまうという懸念が生じている。
 西オーストラリア州政府は対策として家庭でのスプリンクラー使用を制限し、クイナナ(Kwinana)に淡水化プラントを建設し、2007年から稼動している。


 「陸奥月旦抄」より、一部をコピーさせていただきます。

○ 陸奥月旦抄
★ http://blog.goo.ne.jp/charotm/e/be941f511b429b3fda602d7ae05407c9

----------☆☆ 陸奥月旦抄 ☆☆----------
2007年5月17日

 西オーストラリア(WA)州政府は15日、パースの150キロ南方に位置するビニンガップ(Benningup)近郊に総工費9億5,000万豪ドル(約950億円)の淡水化プラントを建設する計画を明らかにした、と地元各地が伝えた。
 
 同州は6カ月前、パース南方41キロの場所に「国内初」の淡水化プラント(総額4億豪ドル:約400億円)を開設し、4,500万キロリットル(日量12.3万トン)の供給を始めていた。
 
 2つ目の工場も風力発電で、動力源にしていた最初のものと同様に、再生可能エネルギーを利用。
 供給量は当初の4,500万キロリットルから最終的に1億キロリットル(日量27.4万トン)に引き上げる予定。
 2010年には両工場合わせて州全体の水道の3分の1(日量約40万トン)をまかなうという。

 同州のカーペンター首相は、州内におけるダムの水源としての割合が、30年前の90%から25%まで低下していると指摘する。
 新しい水源やリサイクル、需要管理によって、年間1億8,000万キロ(日量約50万トン)の水が追加された計算になると述べた。


 整理してみる。

 西オーストラリアは既に2007年に「日量12.3万トン」の淡水化プラントで供給を始めている。
 さらに最終目標「日量27.4万トン」のプラントを2010年までに建設する予定である。
 2つ合わせて「日量約40万トン」とし、水道の1/3をまかなう予定である。


 イスラエルの施設が33万トンですので、2つの施設で40万トンとは大規模な施設になる。
 特徴は「風力発電」を使っているということである。
 風が吹いているときはいいが、止まったらどうなるのかということは書いていない。
 「再生可能エネルギー」を利用しているとしているが、内容は不明である。
 「逆浸透膜式」であるが、果たして風力発電だけで可能なのであろうか。
 もし、風力発電だけで淡水化を実現できるとしたら「エネルギーの瓶詰め」という汚名は返上できることになる。

 しかし、連邦財務相が言うように莫大なエネルギーを必要とすることは避けがたい事実であり、おそらくは他のエネルギーと併用ということになると思われる。
 西オーストラリアは「エネルギー大国」であり、自前の「天然ガス」を日本をはじめ各国へ輸出している。
 いわば湾岸産油国と似た環境を持っており、それゆえに海水淡水化計画も軌道に乗りやすい条件になっている。

②.【シドニー】
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 次が「シドニー」(人口:430万人)で、現在建設中という。


○ 日豪プレス オーストラリア 最新情報 シドニー メルボルン ★ http://www.nichigo.com.au/news/nat_0707/02.htm

----------☆☆ 暴風雨、シドニーの貯水量を.... ☆☆----------
2007年7月7日

 シドニーに水を供給するダムは15あるが、水源の8割を占めるのは市街地から35キロ西にあるワラガンバ・ダム。
 シドニーの6月の雨量は466ミリに達したが、これは1950年以来2番目の記録で、一時30%台半ばまで下がったダム貯水量は2004年5月以来の50%を記録した。

 ただし、オーストラリアの農産物の40%を担うマレー・ダーリング流域の貯水量は昨年の21.4%からさらに10%に減るなど、オーストラリア全土の干ばつはまだまだ深刻な状況にある。
 ニューサウスウエールズ州のネーサン・リーズ水・公共事業相は、今後も水道の利用制限を継続し19億ドルの淡水化施設建設も予定通り行うと述べた。


 「オーストラリア干ばつの真相」より、一部をコピーさせていただきます。

○ オーストラリア干ばつの真相
★ http://オーストラリア干ばつ.jp/2007/12/post_140.html

----------☆☆ オーストラリア干ばつの真相 ☆☆----------
2007年12月

 渇水対策の切り札としてニューサウスウェールズ州政府が導入するのが海水の利用だ。
 シドニー空港対岸のカーネルに20億豪ドル(約2,000億円)もの予算をつけた海水淡水化プラントを2~3年後の完成を目指し建設する。
 くみ上げた海水を浄化後、高圧で脱塩フィルターにかけるもので、こうした海水の淡水化は西オーストラリア州でも試みられているものである。

 膨大な海水を使えるとあれば夢のような話だが、どうやら良いことばかりではなさそうだ。
 まず生産コストが高いこと。
 淡水化の工程で多大なエネルギーを消費し、結果的に温室効果ガスを出してしまうこと、海水をくみ上げることで生態系を壊してしまうこと。

 昨年のオーストラリア大干ばつでは、冬場の気温の高さで貯水池の水が蒸発し、渇水に拍車をかけた。

 そういう訳で現実味を帯びてくるのが、下水のリサイクルだ。
 シドニーの下水再利用は2%にとどまるが、海水の淡水化と比較するとコストは半分以下。
 もちろん下水のリサイクル、とくに飲用には強い抵抗を感じる人が多いのも事実だが、現在のところリサイクルされているのは「グレイウォーター」とよばれるトイレ以外の家庭生活排水のみ。

 また、再生した水は飲料用には使っていない。
 だが、下水を飲料水にまで浄化する海外での先例もあり、渇水がより深刻な地域では飲料水としての利用も検討されているようだ。


 この海水淡水化計画は当初「日量25万トン」で建設されるが、将来的には倍の「日量50万トン」をめざす予定であるという。
 また、このプラントが完成すると、シドニー市全体の電力消費量の2%がこのプラントで消費されるという。
 たったの「2%」では、「エネルギーの瓶詰め」と呼ぶにはふさわしくない数字だと思われるのだが。
 日本では夏場みクーラーの使用と甲子園野球のテレビ電力で軽く10%以上はアップする。

 なを、「グレイウオーター」というのは、日本でいうところの「中水」にあたります。
 最近の大きなビルでは、この使用が盛んで「節水型ビル」と呼ばれているものです。
 トイレ以外の水を集めて簡単な浄化水処理を行い、これをトイレの水に再利用するものです。
 条例で義務づけを検討している自治体もあるようです。

③.【メルボルン】
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 3番目は近隣地区に施設を提案しているとしている「メルボルン」(人口:370万人)である。


○ 日豪プレス オーストラリア 最新情報 シドニー メルボルン ... ★ http://www.25today.com/news/2007/04/vic_38.php

----------☆☆ VIC州でも脱塩淡水化プラント検討 ☆☆----------
2007年4月09日

 メルボルンの渇水慢性激化に。
 4月7日付エージ紙は、ビクトリア州政府の依頼で専門家のパネルが脱塩淡水化施設に関する調査を行ない、「ビクトリアはすでに他の州に遅れを取っている」と警告した、と報道している。

 クインズランド、ニューサウスウエールズ、西オーストラリアの各州はすでに上水道用脱塩淡水化施設の建設に着手または完成している。

 メルボルン水道局の担当者は「海水水質、処理方法、経費、消費エネルギー量、立地などの他、経済、環境、社会などの条件についても調査する」としている。
 さらに、エージ紙はメルボルンの水需要を満たすためには「日産30万トン」の淡水化が必要と述べている。
 施設は段階的に建設していき、立地としては、高塩濃度の排水という問題があるがポート・フィリップ湾が候補として上がっている。

 西オーストラリア州ではすでにパース市の世帯向けに稼働しており、ニューサウスウエールズ州でもモデルとして採用された西オーストラリア州水道公社の「施設設計モデル」を購入するかどうかを検討中と報道している。パースの施設は日産14万4千トンで、イスラエルとアラブ首長国連邦の脱塩淡水化施設についで世界第3の規模である。

 ビクトリア州の関係者は、「少なくともパースの施設の2倍ないし3倍の規模が必要」としている。
 パネルの調査は2007年末までには完了する予定である。


 2007年6月にビクトリア州政府は総工費31億ドル(約3,100億円)で正式決定し、造水量は「日量41万トン」としている。

④.【アデレード】
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 4番目は連邦財務大臣に「淡水化施設が一つもない」と言われた南オーストラリアの首都「アデレード」(人口:100万人)。
 情報不足、というよりほとんど干ばつに対する対策がとられていない。
 まとまった記事が見当たらないため、とりあえず、引き抜いた短文2本を載せておきます。


 1).
 マルコム・ターンブル連邦水資源相は2007年8月31日、国営放送ABCラジオ・アデレード支局でのインタビューに答え、「マレー川は1年で干しあがってしまうという想定が大きな懸念だ。
 恐ろしい事態だが、現実にありうることだ」と指摘した。
 南オーストラリア州やクインズランド州に対して、海水淡水化設備の建設など、あらたな水資源供給源となるインフラ整備への非積極的な対応を非難した。
 2).
 南オーストラリア州当局は、アデレード周辺の水を確保するため、マリー川下流に緊急のダムをつくることを検討中だ。
 州知事は、この旱魃は地球温暖化の恐るべき兆しではないかと述べている。
 ジョン・ハワード連邦首相も「この国は有史以来最悪の旱魃に見舞われている」と述べた。


 水のない川にダムを造っても対策にはならない。
 それにダムは、2,3年で造れるものでもないし、雨が降らないことには貯水できない。
 言い換えれば、アデレードは何もしないということである。
 何故、なのであろうか。
 アデレードという街はどうも、オーストラリアでも忘れ去られた街のようです。
 先般までは「F1レース」がありましたが、これをお金でメルボルンにとられてしまい、今は発信量がガタ落ちになっています。
 この南オーストラリアという州は農業州であり、それ以外の目立つ産業がなにもない。
 西オーストラリアはエネルギー大国ですが南オーストラリアは「貧乏国」なのです。
 つまるところ、やりたくとも先立つお金がないのです。
 ただひたすら、雨の降ってくれることを望むだけの州なのです。
 いいかえれば、自然そのまま、「エコタイプ」の州なのです。

⑤.ブリスベン
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 最後は連邦水源資源相に「海水淡水化設備の建設など、あらたな水資源供給源となるインフラ整備への非積極的な対応」を非難されたクイーンズランド州の「ブリスベン」(人口:180万人)。


○ 日本証券新聞 2007年12月27日 17:19 ★ http://moneyzine.jp/article/detail/17504

----------☆☆ VIC州でも脱塩淡水化プラント検討 ☆☆----------

 東レは25日、オーストラリアの大型膜法下廃水リサイクルプラント向けに逆浸透(RO)膜納入を受注したと発表した。

 同プラントは、オーストラリア東海岸の同国第3の都市でありクィーンズランド州の州都である「ブリスベン市」内に建設される「ラゲージポイント高度水処理プラント」で、造水量は「日量6.6万トン」、2008年秋稼働開始予定(膜納入も2008年)である。

 リサイクルされた処理水はダムに戻され、上水道や工業用水として再利用される見通し。

 近年オーストラリアは空前の干ばつに見舞われ、特に都市部における水不足は深刻である。
 したがって連邦政府や各州政府は水資源関係のインフラ投資を積極的に行い、海水淡水化や下廃水リサイクルプラントの計画が急増している。
 なかでも下廃水のリサイクルプラントは、通常の下廃水処理場に比べて省スペースであり、下廃水が発生する都市部でそのまま利用できる上、プラントも比較的安価なので、有望視されている。

 今回、東レが膜納入を受注したラゲージポイント・プラントは、同国の下廃水リサイクルプラントの中でも最大級のプラントで、クィーンズランド州政府の西部コリドー・リサイクル水プロジェクト(天候に左右されない水供給源確保が目的のオーストラリア最大のリサイクル水プロジェクト)の一環となる。

 この分野において世界各地で実績のある東レの汚れの付きにくい「低ファウリングRO膜エレメント」が採用されたことになり、東レとしても同国最大のプラントへの膜納入となる。

 東レの「低ファウリングRO膜」はクウェート国スレビアにある世界最大の膜法都市下水再利用プラント(造水量32.0万トン/日)を始め、シンガポール共和国セレターの下廃水リサイクルプラント(造水量2.4万トン/日)、中華人民共和国天津泰達廃水再利用プラント(造水量3.0万トン/日)等で採用されており、この分野での実績を着々と伸ばしている。

 逆浸透膜市場は、世界的な水不足の深刻化や環境に配慮した水資源確保の要請等から、年率8%以上で拡大を続けており、今後も米国、欧州、中東・北アフリカ、中国を中心に着実な成長が予想されている。

 海水・かん水の淡水化プラント用途やボイラー用水製造等の産業用途の伸びに加え、今回の「都市下廃水リサイクル」などの新しい市場が育ちつつあり、さらなる需要の伸びが期待されている。


 ここで最も注意すべきことは、「海水淡水化装置」と同じものが「下水再利用装置」として使われていることです。
 一考すればわかることだが、やっていることは同じということである。
 一方は塩分で、もう一方は下水分ということだけである。
 浸透膜を通過して出てくるのはどちらも「淡水」というわけで、海水淡水化として開発されたものがそのまま、下水リサイクルに転用可能だったということになる。

 「中水」はトイレ排水を除いた生活排水を処理したものである。
 しかし、東京でもそうだが都市の排水は合併型である。
 つまりトイレ、生活排水(雑排水)、雨水が一緒になっている。
 地中に埋め込まれている排水パイプにはこれらが一緒に流れて、汚水処理施設に送られる。
 まず汚泥が取り除かれ、次に浄化処理されて、川などに流し込まれる。
 このとき「浄化水は魚が住むのに支障のないレベル」にまでクリーンになっていないといけない。

 それをさらに浄化して、人間が飲料にするに差障りのない「精浄化水」にレベルアップさせるのが「下水再利用装置」ということになる。
 浸透膜を通過した清浄化水は飲料レベルのクリーン度をもっているが、しかし、どうもそのまま水道管に流されて飲まされるのは、誰にも心理的に抵抗感がある。
 そこで、一度、湖に戻され、一般の湖水にしてしまうわけである。

 こうなるともう浄化水か天然水かの区別はつかなくなる。
 湖水として取水口より取り入れられ、通常の浄水処理を施されて一般水道水として供給されることになる。
 逆の見方をすれば、清浄化水が常時循環供給されるということは、湖水が現在よりもきれいになるということであり、湖水の浄化にも役立つこととなる。
 ところで「日量6.6万トン」とはパースの全体計画の1/6に過ぎない。
 消費エネルギーは海水淡水化の半分となりメリットはあるが、問題はこれで水不足対策が成り立つのかということである。
 人口150万人のパースは州全体の水道の3分の1(日量約40万トン)を海水淡水化で生み出そうとしている。
 ところが人口が2割ほど多いのもかかわらず、造水量はパースの1/6である。


● まとめ
━━━━━━
 まとめてみます。

 1].
 オーストラリアの都市部での水不足対策は、積極的なパースから、何も出来ないアデレードまで、各層に分かれている。
 2].
 対策は海水淡水化方式の「パース型」が主流で、下水再利用方式の「ブリスベン型」もある。
 3].
 前者はエネルギー消費が大きく、後者は少ないが、造水量は前者が圧倒的に多い。



 <つづく>



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2008年1月23日水曜日

海水淡水化2:淡水化コスト


池島全景:長崎県産業観光情報サイトより


海水淡水化2:淡水化コスト
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 「軍艦島」をご存知でしょう。

 長崎にあった三菱の石炭採掘島、すなわち炭鉱の島です。
 小さな島に5千人からの人が住み、人口密度世界一を記録しました。
 その密度は東京の9倍もあったといいます。
 コンクリートの密集中層住宅が立ち並んでいたため、それが薄もやの中では戦艦「土佐」の形に似ていることからこの名前がつきました。
 しかし、1974年に石炭から石油へというエネルギー変換のために閉山し、無人島になりました。
 有名な島ですので検索エンジンでは「160,000件」と出てきます。

 その後、人口密度世界一を誇ったのが松島炭鉱の「池島炭鉱」です。
 役所関係の仕事で30年ほど前に訪れたことがあります。
 その当時、軍艦島が無人島と化していましたので、ここが人口密度世界一になっていました。
 地元の人は池島とは言わずに「貝島」といっていたように記憶しています。
 周囲4キロの島、従業員は当時で2,500人ほど。

 石炭の採掘には、まず縦坑を堀り、そこから横坑を掘っていく。
 採掘場所は2キロ、3キロ先の「海の下」になります。
 延べ坑道の長さは「96km」という。
 「入ってみますか」と言われ、「いや、時間がないので」と断った思い出があります。
 ここで採掘された石炭はほぼ製鉄用に使われる、と聞いた覚えがあります。
 しかし、この島もエネルギー革命には勝てず、2001年に閉山されます。

 この軍艦島や池島の「海底掘削技術」というのは日本独自のもので、ひじょうにレベルの高いものです。
 それが後の「青函トンネル」や「ユーロトンネル」、そして最近の「東京湾海底トンネル」に生かされてゆきます。
 極言すれば、青函トンネルもユーロトンネルもこの石炭採掘技術があったからこそできたといっても過言ではないのです。

 Wikipediaには「閉山後に炭鉱技術海外移転事業が始められ、大規模な鉱山事故が頻発する中国をはじめとするアジア諸国などより事業継続の要望が強く、現在もインドネシア、ベトナム人など年間約60名が技術伝承のため入国し働いている」とありますので、今なを技術移転に活躍しているということになります。

 池島炭鉱のホームページは下記になります。

○ 松島炭鉱(株)池島炭鉱
★ http://coal-mania.hp.infoseek.co.jp/ikeshima.htm

 サイトを見ていたら、現在ここは、なんとなんとヘッドライトのついたヘルメットをかぶって坑道の中まで見学することができるようになっています。

○ 長崎県産業観光情報サイト「ながさき 見・学・知」
★ http://www.nagasaki-tabinet.com/sangyo/shisetu/shisetu.php?s_id=40


 何で海水淡水化の話が池島炭鉱にとんでしまったかというと、そのときここでコンテナのようなものを見たのです。
 それに金属プレートが貼ってあって「造水機」と印字されていました。
 「造水機とはなんぞや」。
 下段には製品番号といっしょに「笹倉製作所」とありました。
 分野が違うのでまるで知らぬ会社でした。
 話を聞くと、この池島ではすべての水は海水から作り出し、本土からは運んでいないということでした。
 これはまるで知らないことでした。

 というのはそのときの池島のイメージは、「水」は向こう岸から運んでくるため十分使えず、日常ではシャワー程度で済ます、というものでした。
 もし、風呂に入りたかったら、週に一度ほど船で対岸へいくことになる、という発想でした。  ところが打ち合わせて会う人みな、こざっぱりしたまるで石炭粉の匂いのない方たちです。
 鼻の穴の奥までまで真っ黒になった坑夫たちが海の底から上がってきたとき、ゆっくりと湯船に浸かって温まる姿など想像もできなかったのです。

 思考の中に、海水から真水を生成するのはエネルギーコストが高すぎ、現実的に不可能であるという信念がこびりついていました。
 よくよく考えてみれば、この島、石炭の上にあるようなものでエネルギーはタダという環境を持っていたのです。
 しかし、その頃、いくらエネルギー「タダ」とはいえ、淡水化プラントが現実の話として稼動しているとは、まるで及びもつかなかったのです。

 「海水淡水化の現状と原子力利用の課題 」調査報告書を見てみましょう。


 日本国内で最初に淡水化施設を導入したのは長崎の松島炭鉱池島鉱業所である。
 1967年に生産水量「2,650トン」の蒸発法多段フラッシュ法プラントが設置された。
 前年に日本メーカーが海外で初めてサウジアラビアに納入した海水淡水化プラントと同型のものである。


 つまり長崎の炭鉱島で見たのは、日本で始めて実用化された海水淡水化装置の一部だったということになります。
 「2,650トン」とはどのくらいの量でしょうか。
 東京ドームの「約1/500」にあたります。
 それが日本ではじめて設置された造水機の能力ということになります。

 「笹倉製作所」というのを検索してみました。
 ありました。
 現在は名前が変わり「株式会社 ササクラ」です。

○ 株式会社 ササクラ ★ http://www.sasakura.co.jp/
----------☆☆ 株式会社 ササクラ ☆☆----------

1966年(昭和41年)6月
アラビア石油向け海水淡水化装置(2,300トン/日)を輸出
1966年(昭和41年)9月
松島炭鉱池島鉱業所へわが国初の陸上用海水淡水化装置(2,650トン/日)を納入
1967年(昭和42年)1月
クウェート国政府から当時世界最大の海水淡水化プラント(36,400トン/日)を受注
1971年(昭和46年)5月
逆浸透式水処理装置の製造開始


 一般的にほとんど名の知られていないこの会社は、世界の海水淡水化メーカーではトップクラスにあるようです。
 他には、日立、クリタ、三菱、石川島播磨、オルガノといった著名な会社が名を連ねています。
 この分野におけるこれまでの日本のメーカーの実績はアメリカについで2位になります。
 方式別だと蒸発法では1位、逆浸透法ではアメリカが1位で、日本が2位になっています。
 しかしながら最近5年間では5位というレベルに落ちており、イタリア、フランス、スペインといった地中海勢が上位に食い込み、それを将来水不足が懸念されている韓国が激しく追い上げている、といった状況のようです。

 ところで当然のことながら「エネルギーのビン詰め」といわれる「海水淡水化水」とは「いったい、いくらくらいのものなのか」という疑問が出てきます。
 この調査報告書にも正確なデータは載っていませんが、大筋のところが記載されています。

 先の報告書を見てみます。

 技術革新の目的は、淡水化コストの低減と運転・維持管理の容易さを求めて行われている。
 1980年代には、大型海水淡水化プラントによる淡水化コストは1m3あたり数ドルしていた。
 それが1ドル近くとなり、最近では1ドル(USドル)を切っている。
 このくらいになると、場合によっては天然水を長距離輸送したり、立地条件の悪いダムを建設するより有利になる。
 また開発途上国でも産業用に利用しやすくなり、ここ10年間以上の淡水化プラントの建設が毎年10%以上の成長を続けている理由である。


 「1m3=1トン」とは東京都でみてみると、家族4人の標準世帯が1日に使用する量にほぼ相当します。
 その価格が1ドル(120円)になります。
 もちろんこれは原価ですから、製品価格をその「3倍」と見積もって計算してみましょう。
 とすると下記の式より「水道料:年間13万円」、月1万1千円ということになります。

 (1人1日248リッター×4人/1000リッター)×365日×3倍×1ドル120円=130,349円/年  

 イザヤ・ベンダサンは「日本人は水がタダだと思っている」と言っていましたが、水は買うものであるという考えに立てば、この価格、どうでしょう。
 検索エンジンを走らせると、2,3のデータを拾うことができます。

 例えば、これ。

○ はてなブックマーク - 西半球最大の逆浸透法海水淡水化プラント ★ http://www.toray.co.jp/news/water/nr031019.html

----------☆☆ トリニダード・トバコの逆浸透法海水淡水化プラント ☆☆----------
2003年10月
  東レ(株)は、カリブ海にある島国トリニダード・トバコにある西半球最大の逆浸透法海水淡水化プラントに逆浸透膜(RO膜)を納入しており、現在世界で稼働中の逆浸透法を使った海水淡水化プラントの中で、最も安価な1m3あたり「$0.707(85円)」という造水コストを実現しました(取水からの一貫プラントベース)。


 あるいはこれ。

○ [PDF]ラッフルズ・プレイス・レター ★ http://www.north-japan.org/images/singapore/report_20.pdf

----------☆☆ シンガポールの水事情 ☆☆----------
2005年11月
海水の淡水化は、1990年代には1m3当たり「210円~245円」と言われていましたが、このたびの販売価格は、「55円」と世界でも最も安価な海水の淡水化といわれています。
 これを可能にしているのは、逆浸透膜などの世界的な技術開発の進展と、効率的な淡水化の可能な、水温が高く、かつ塩分濃度が比較的低い海水に恵まれていることが上げられます。


 条件にもよるようですが、大概のところ「1m3=100円」と見込んで、それを越えることはまずなさそうです。
 あくまでこれは原価で、製品価格はその3倍から4倍ということになるでしょう。
 おそらく、没頭の「オーストラリアの干ばつ」の方もこれを踏まえて、「なぜ、クインズランド州は海水淡水化をしないのだろうか」という疑問を提示したのではないかと思います。

 コストについては詳細なデータがないので、残念ながら正確なことはいえません。
 『(取水からの一貫プラントベース)』とはどういう内容を指すのか、海水を取水して淡水化してプラントから送り出すところまでの「造水費用」であるのか、それともプラント本体の建設費用をも含んだコストなのか、素人には分かりかねるところです。

 前者なら淡水化コストに建設費用は含まれないことになり、後者ならプラントの「償却期限」があるはずであり、20年くらいを想定しているのかと思います。
 社会インフラの償却期限は30年ということもありうる。
 プラント建設費の水道料にかかる費用を計算してみます。
 次回で最も新しい海水淡水化プラントとなる西オーストラリアの計画が出てきますので、そこからデータを引っ張ってみます。


 2007年に供給を始めた「日量12.3万トン」のプラントの建設費用が4億ドル(ASドル)である。
 また、2010年から供給予定の「日量27.4万トン」のプラントの予算が9億5千万ドルである。


 つまり、合わせて「日量40万トン」のプラントの建設費用の総額は13億5千万ドルということになる。
 これは年間水量「1億4500万トン」で、プラントの償却年数を20年と見積もると、20年間で作られる水の量は「29億トン」になる。

 13億5000万ドル/29億0000万トン=0.47ドル/1トン

 償却期間の20年間は「1トン当たり50円」ほどが上乗せされる、ということになる(借り入れ利息などは考慮していません)。
 「海水の淡水化に関する検討会」の調査報告書のウオッチングはこれで終了とします。

 次は没頭のサイトにあった「オーストラリアの干ばつ対策」について見ていきたいと思います。


<つづく>


注: 「コスト計算」は素人が電卓をはじいたもので、解釈その他に間違いがあるかもしれませんので、あらかじめお断りしておきます。



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2008年1月21日月曜日

海水淡水化1:基礎知識


クイーンズランド州:節水目標一人一日:140リッター


海水淡水化1:基礎知識
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 2002年にヨーロッパ大洪水が発生してチェコの世界遺産にも登録された古都プラハの建造物が水没したことは有名なニュースとなりました。
 また、2005年にはハリケーン・カトリーナがアメリカ本土を襲い、アメリカ大統領はルイジアナ州ニューオリンズ市に非難命令を出し、その数48万人であったといいます。
 ニューオリンズは水没し、今なをその機能を完全に回復していません。

 日本では昨今、雨量が異常に多く、Wikipediaの「集中豪雨」でみると1998年の「98高知豪雨」から突然現れはじめ、毎年のように続いている。
 「気象庁が命名した豪雨・豪雪一覧」では2004年、2005年、2006年にあり、豪雨だけでなく冬場は「こんな大雪、生まれてはじめて」という豪雪が2005年暮れから2006年はじめにかけて発生しています。

 その反面、四国では雨不足の干ばつが続き、四国の水甕である早明浦(さめうら)ダムの貯水率がついに0%にとどくの間近かというニュースもありました。
 これは運良く台風の襲来で解消されたようですが。

 お隣の中国の干ばつは規模がすこぶる大きく、9千万の人と7百頭の家畜の飲料水の確保が困難な状況にあるといわれています。

 南半球のオーストラリアもまた、観測史上最大の干ばつに見舞われています。
 連邦政府、州政府も日々その対策に追われており、一部の州では下水処理した水を水道に混入する政策を、州首相の強権で実行に移しています。
 この案は他州では住民投票で否決されているものですが、住民がなにを言おうと今はなりふりかまわず実行するしかない、という土壇場まで追い詰められているといった状況になっているということです。

 その模様を下のサイトから一部をコピーさせてもらいます。

○ 環境法令ウオッチング
★ http://blog.goo.ne.jp/o-gyousei/e/0707461a240c400ad017c3c29801

----------☆☆ 地球温暖化:オーストラリアの干ばつ ☆☆----------
2007年1月31日
 国連環境計画(UNEP)は、 2000~2005年の間に観測された氷河融解のスピードが、1980年代の3倍に達した、とするデータを公表しました。

 データのもととなった調査によると、欧州アルプスなど世界の9山脈、約30か所の氷河の厚さは、平均で年約60センチ減少しており、この数値は1990年代の1.6倍、1980年代の3 倍のペースに相当するとのことです。
 上記の調査結果は地球温暖化の進展を示唆するものといえますが、その影響はたとえば次のようなかたちでもあらわれはじめています。

 「干ばつに苦しむオーストラリア北東部クインズランド州政府は28日、下水を飲料用にリサイクル処理した水を同州の一部で2008年から使用すると発表した」(平成19年1月29日読売新聞)。
 オーストラリアでは、ここ数年干ばつが続き、慢性的な水不足に晒されていました。
 その原因は、地球温暖化の影響であるとされています。
 それを裏付ける数値として、『オーストラリアは気温も世界平均と比べて速いペースで上昇しており、最も暑い年の記録上位20のうち15は1980年以降の年で占められている』との報告がなされています。

 報道されているクインズランド州では、「下水再利用」の是非を問う住民投票も取りやめるとのことで、切羽詰った状況がうかがえます。

 水不足の対策としては、たとえば、「海水淡水化」があります。
 海水淡水化は文字通り、海水を処理して淡水を作りだすもので、中東諸国などで用いられている方法です。

 しかし、海水淡水化には、多量のエネルギーを投入する必要があったり、プラントの整備に多額なコストが発生したりします。ニュースにある下水のリサイクルに比べれば、心理的には海水淡水化のほうが受け入れられやすいと思いますが、クインズランド州の場合は、それを選択できない事情があるのでしょう。


 地球温暖化は別の回に譲ずり、今回は「海水淡水化」について電子網を検索してみます。
 「海水淡水化」だと十万件になるが、「世界の海水淡水化」「海外の海水淡水化」「外国の海水淡水化」「オーストラリアの海水淡水化」で検索するとそれぞれ500件前後出てくる。
 「日本の海水淡水化」も同様である。

 まず、『海水淡水化の現状と原子力利用の課題 -世界的水不足の解消をめざして-』という調査報告書があります。
 「社団法人 日本原子力産業協会」の「海水の淡水化に関する検討会」が平成18年(2006年)に出したレポートである。
 [PDF]なので必要なところを抜粋タイプしながら、これを中心に見ていくことにします。


○ 海水淡水化の現状と原子力利用の課題 ★ http://www.jaif.or.jp/ja/news/2006/desalination_report.pdf

----------☆☆ 海水淡水化の現状と原子力利用の課題 ☆☆----------

 1950年以降の「水需要増加率」は「人口増加率」のほぼ3倍となっている。

 このまま推移すると2025年には世界の約半数の国と地域が水不足に陥ると予想されている。
 こうした状況から、各国において海水から真水を精製し、生活用水や農耕行用水として利用する「海水淡水化」の取り組みが行われているが、海水淡水化のニーズは今後とも、中東諸国を中心に高まっていくことが予想されている。

 原子力利用による海水淡水化については近年では地球温暖化問題等の観点から再評価され、一部の国では原子炉を使った淡水化技術実証試験も行われ、その導入に向けた動きが始まっている。


 国連レポートによると2025年の推定世界人口は75億人でその50%が水不足に直面する。
 それによるとアラブとアフリカの一部が「水不足」となる。
 また、韓国、バングラデシュ、インド、アフガニスタン、ペルーとアフリカの一部が水不足予備軍になるという。

 我々が水不足を実感として捉えられるのは家庭水道の使用量に制限が加わったときです。
 一日一人の使用量を比較してみると、ニューヨークでは「517リッター(2003)」です。
 これに対して東京では水道局のホームページ「わたしたちの水道」によると「248リッター」である。
 またマンション等の屋上に設置されている受水タンクを設計するさいの容量計算基準では、標準家庭の1日の使用水量は1人「230リッター」となっています。

 上に掲げたパンフレットのように、水不足が深刻な上記のオーストラリアのクインズランド州では節水目標を一人一日「140リッター」と定めている。
 東京の60%くらいにおさえようとしていることになる。

 地球の3割が陸で、7割が水である。
 その「97.5%」が海水で、残りの「2.5%が真水」である。
 さらにその真水の7割は南極大陸やグリーンランドの氷河であり、残りの大半は土壌中に含まれる水であるという。
 つまるところ、人が利用できる水とは、真水の中の「0.007%」に過ぎないという。
 よって新規の水を得ようとすれば海水の淡水化という問題が大きなテーマになる。

 覚えておられる方も多いと思うが、「イザヤ・ベンダサン」という著名な作家がいた。
 「日本人とユダヤ人」という本を書いた人である。
 日本人だという説が有力ですが、「日本人は安全と水がタダだと思っている」という言葉で有名になったユダヤ人(?)です。



 真水の入手の難しい湾岸諸国やイスラエルなどは国策として「すべての水」を海水から作り出しています。
 海水から取り出した水は「エネルギーの瓶詰め」といわれるほどの代物です。
 石油タダという産油国である湾岸諸国は問題ないがイスラエルは石油が出ない。
 さらにイスラエルは周囲の産油国がイスラム教に対してユダヤ教で常に敵対的関係の中に置かれている。
 そこから石油を買い、この「エネルギーの瓶詰め」を作りだすとなれば、コストはうなぎのぼりで、まさに「水とはダイヤモンドほどの価値なもの」になる。
 イスラエルは産油国とは違った方式で海水の淡水化を実行している。

 Wikipediaを抜粋してみよう。

 海水淡水化(かいすいたんすいか)とは、海水を処理して淡水(真水)を作り出すこと、及びその設備を指す。
 海水には「約3.5%」の塩分が含まれており、そのままでは飲用に適さない。
 飲用水とするためには塩分濃度を少なくとも「0.05%以下」にまで落す必要がある。
 海水淡水化プロセスの基本は海水からの「脱塩処理」である。
 実用化されている海水淡水化方式は「多段フラッシュ」「逆浸透法」の二方式である。

[ 多段フラッシュ]
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 海水を熱して蒸発(フラッシュ)させ、再び冷やして真水にする、つまり海水を蒸留して淡水を作り出す方式である。
 大量の淡水を作り出すことができ、海水の品質を問わないが、多量のエネルギーを投入する必要がある。
 エネルギー資源に余裕のある中東の産油国に多く採用されており、多くの国々では飲用水のほとんどをこれら造水プラントで生産している。
 サウジアラビアの海水淡水化公団では多段フラッシュ法の大型海水淡水化プラントを多数稼動させている。
 例えば1981年に稼動したジェッダNo.4プラントの生産水量は「日量22万トン」であり、2005年9月現在の世界 最大は同公団がアシュベールに持つ「日量100万トン」のものである。
 サウジアラビアではこれらを工業用水や一般家庭用水の主水源としており、更に余剰の淡水を農業用水としても利用している。

[ 逆浸透法]
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 海水を圧力をかけて逆浸透膜と呼ばれるろ過膜の一種に通し、海水の塩分を濃縮して捨て、淡水を漉し出す方式である。
 フラッシュ法よりエネルギー効率に優れている反面、浸透膜が海水中の微生物や析出物で目詰まりしないよう入念に前処理する必要があること、整備にコストがかかること、などの難点がある。
 1990年代までは比較的小規模のものが多かった。
 しかし、最近の日量1万トンを超える大型プラントは、世界的にみても大部分がこの形式で建設されている。
 2005年10月現在、世界最大の逆浸透法海水淡水化プラントはイスラエルのアシュケロンにあり、「日量33万トン」の淡水を工業用や家庭用に供給している。
 他に中東地域、地中海沿岸、シンガポールなどに大型プラントが多い。

 日本最大のものは福岡市東区にあり、淡水供給量は「日量5万トン」である。
 尚2006年現在、世界で海水淡水化用の逆浸透膜を最も多く製造している国は日本であると推定されているが、生産国が日米欧以外の国々に拡大し、それらの国々での統計データが不明であるため、必ずしも正確ではない。


 まとめるとこうなる。

 エネルギー無尽蔵な産油国と、非産油国とでは淡水化の方式が異なる。
 エネルギー事情の悪い地域では膜浸透方式が採用され、石油価格の高騰とともにこの方式が世界の主流になりつつある。
 そして日本でも淡水化が実行されている。


 エネルギー無尽蔵の産油国の淡水化は論の対象にはならないので、イスラエルを見てみる。
 「日量33万トン」とは、いったいどのくらいなものか。
 一般の分かりやすさ表現では、建物・場所などの面積や大量の物の体積を表現する際に「東京ドーム何個分」という表現が使われることがありますので、これを利用してみます。

 東京ドームの容積は「1,240,000立方メートル」であり、1m3を1トンとすると「1,240,000トン」になる。

 とすると、33万トンとは東京ドームの26.6%、「約1/4」個分になる。
 すなわち、毎日、東京ドームの1/4杯分の海水が真水に変換され、供給されていることになる。
 通常、先に述べたようにオーストラリアでの節水目標は一人一日「140リッター」である。
 報告書によると農業用水、工業用水、それに生活用水の水使用量の割合は「71%:20%:9%」という。
 生活用水の11倍が一人当たりの水使用量になる。
 計算すると33万トンという水は「21万人」の人口を養えることになる。

 330,000トン/(140リッター×11倍)= 214,286人

 ちなみにイスラエルの人口は「650万人」であり、その3%を養えることになる。
 農業用水を除くと「66万人」で10人のうちの1人に供給可能になる。

 日本の農業は水田耕作なので、世界の農業用水量とは比較できない。
 それを除いて(都市人口として限定)福岡市の日量「5万トン」をみてみる。
 工業用水を生活用水の倍とし、一人当たりの使用量を「230リッター」とすると、「7万人」に水の供給が可能になる。
 生活用水だけなら「約22万人」に供給可能になる。
 なを、2006年の福岡市の人口は「136万人」である。

 50,000トン/(230リッター×3倍)= 72,464人

 こうしてみると、海水淡水化というのはひじょうに重要なテーマであることが分かってくる。
 調査報告書へもどろう。


 現在、日本で最大規模の淡水化施設は2005年3月完成した福岡地区水道企業団海の中道奈多海水淡水化センター「日量5万トン」と、1996年2月供用開始の企業局海水淡水化センター「日量4万トン」の逆浸透法海水淡水化プラントが代表的なものである。
 最近の20年間に日本国内に設置された淡水化プラントの用途をみると、工業用が73%、生活用水用が22%、発電用が5%となっている。
 工業用では、半導体洗浄用の超純水や発電所などのボイラ用純水が大きく、全淡水化施設の60%を占めている。


 ちなみに、世界での用途をみると日本とはまるで逆で生活用が65%、工業用が24%、農業用は1%しか使われていない。
 農業用に使えるほど水は「安価ではない」ということである。
 報告書を続ける。


 2003年末現在までの世界の施設容量合計は日量「3,700万トン」である。
 2005年から2015年までに新たな施設容量の増加は、中東湾岸地域と地中海地域が、それぞれ日量「500万トン」からそれ以上の施設が建設予想されている。
 伸び率では地中海沿岸が最も多く「180%」の増加、中東湾岸諸国が「95%」の増加が予想される。
 産油国を除いた2015年までの増加予測はイスラエル「135万トン」、スペイン「104万トン」、アメリカ「94万トン」、そして中国が「40万トン」である。
 淡水化プラントの記録をみると、世界最初の淡水化プラントは、1944年にイギリスに設置されている。
 現在、世界最大の海水淡水化プラントは上記のサウジアラビアのものであるが、逆浸透法のものでは上記のイスラエルのものが最大である。
 淡水化の需要は過去30年間で12倍になり、2001年には日量「3,000万トン」になり、2003年末の集計では「3,700万トン」を越えた。
 近年では10%以上の割合で伸びており、2080年には「5,800万トン」になるという予測もある。
 とくに「逆浸透法」が急速に増大しており、2003年現在、逆浸透法が蒸発法を追い越し、全体の「51%」に達している。




<つづく>




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2008年1月17日木曜日

邯鄲の夢:その解釈だけなのでしょうか


邯鄲の夢:その解釈だけなのでしょうか
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 「邯鄲の夢」で検索すると23,000件出てきます。
 有名な説話であることがわかります。
 栄枯盛衰のはかないことの喩えとして、解釈されることが多い。
 せっかくの検索エンジンである、もうちょっと知識を増やすために使ってみる。

 いつものようにWikipediaを見てみる。
 が、「邯鄲の夢」は編集中でそのページは存在しない。
 同じように「邯鄲の枕」「邯鄲の歩み」も編集中である。
 「邯鄲」から検索する。


 「邯鄲(かんたん)」とは栄枯盛衰や儚さをさす。
 また邯鄲とは中国の古くからある地域、地名のことであるが、ここでは「邯鄲の枕」(かんたんのまくら)という中国から日本に伝わった一つの物語から派生、発生した言葉やその意味、または文化について明記する。

言葉の意味の由来と同義語と能
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 「邯鄲の枕」のあらすじ。
 「廬生」という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離れ 趙の都の邯鄲に赴く。
 廬生はそこで「呂翁」という道士(日本でいう仙人)に出会う。
 するとその道士は夢が叶うという枕を廬生に授ける。
 そして廬生はその枕を使ってみると50年の間に出世して栄旺栄華を極め王位に就くまでに至る。
 ところが、ある日旅籠屋で床について目覚めると全て夢で、実は最初に呂翁という道士に出会った当日であり、寝る前に火に掛けた栗粥がまだ煮揚がってさえいなかったという束の間の出来事、夢であったという唐の沈既済の小説「枕中記」(ちんちゅうき)の故事の一つである。
 また、中国においては栗の事を黄粱といい、廬生が栗粥を煮ている間の物語であることから「黄粱の一炊」としても知られる。
 所謂、日本の落語や小説、漫画でいうところの顛末、夢落ち(夢オチ)の代表的古典作品としても知られる。

 邯鄲をさす同義語の日本の言葉としては「邯鄲夢の枕」、「邯鄲の夢」、「一炊の夢」、「黄粱の夢」など枚挙に暇がないが同音異語や異音同語が一つの物語から派生、発生したことは日本の文化や価値観に長い間影響を与えたことが窺い知れるが、ほとんどの言葉が現在では使われる事がなくなっている。


 残念ながら私はこの出典になる「枕中記」を読んだことはありませんので、あまり強いことは言えませんが、少し気になることがありますので書いてみたいと思います。
 新刊本としては「中国古典小説選5 枕中記・李娃伝・鶯鶯伝他<唐代II> 明治書院 (2006/6/25)」があります。
 大きな図書館には必ずある本としては「中国古典文学大系(平凡社)〈第24巻〉六朝・唐・宋小説選 (1968年)」が対象になるが、これに載っているかどうかはわかりません。
 以前にある本の脚注からその内容を知り、手紙に使ったことがあります。その後インターネットが入ったので調べてみました。
 でもどうも最初に感じたものとイメージが違うような気がしてならないのです。その辺を見ていきたいと思います。


 「邯鄲の夢」を検索したとき、そのトップに出てきた下記のサイトから一部をコピーさせてもらい、もう少し詳しいあらすじを見てみます。


○ 邯鄲の夢
★ http://www.homepage1.nifty.com/kjf/China-koji/P-066.htm

----------☆☆ 邯鄲の夢 ☆☆----------

 唐の玄宗の開元年間のことである。

 「呂翁」という道士が邯鄲(河北省、趙の旧都)の旅舎で休んでいると、みすぼらしい身なりの若者がやってきて呂翁に話しかけ、しきりに、あくせくと働きながらくるしまねばならぬ身の不平をかこった。
 若者は名を「廬生」といった。

 やがて廬生は眠くなり、呂翁から枕を借りて寝た。
 陶器の枕で、両端に孔があいていた。
 眠っているうちにその孔が大きくなったので、廬生が入っていってみると、そこには立派な家があった。その家で廬生は清河の崔氏(唐代の名家)の娘を娶り、進士の試験に合格して官吏となり、トントン拍子に出世をしてついに京兆尹(首都の長官)となり、また出でては夷狄を破って勲功をたて、栄進して御史大夫部侍郎になった。

 ところが、時の宰相に嫉まれて端州の刺史(州の長官)に左遷された。
 そこに居ること三年、また召されて戸部尚書に挙げられた廬生は、いくばくもなくして宰相に上り、それから十年間、よく天子を補佐して善政を行い、賢相のほまれを高くした。

 位人臣を極めて得意の絶頂にあったとき、突然彼は、逆賊として捕えられた。
 辺塞の将と結んで謀叛をたくらんでいるという無実の罪によってであった。彼は縛につきながら嘆息して妻子に言った。

 「わしの山東の家にはわずかばかりだが良田があった。
  百姓をしておりさえすれば、
  それで寒さと餓えとはふせぐことができたのに、
  何を苦しんで禄を求めるようなことをしたのだろう。
  そのために今はこんなザマになってしまった。
  昔、ぼろを着て邯鄲の道を歩いていたころのことが思い出される。
  あのころがなつかしいが、今はもうどうにもならない‥‥。」

 廬生は刀を取って自殺しようとしたが、妻におしとめられて、それも果し得なかった。
 ところが、ともに捕らえられた者たちはみな殺されたのに、彼だけは宦官のはからいで死罪をまぬがれ、驥州へ流された。

 数年して天子はそれが冤罪であったことを知り、廬生を呼びもどして中書令とし、燕国公に封じ、恩寵はことのほか深かった。
 五人の子はそれぞれ高官に上り、天下の名家と縁組みをし、十余人の孫を得て彼は極めて幸福な晩年を送った。
 やがて次第に老いて健康が衰えてきたので、しばしば辞職を願い出たが、ゆるされなかった。病気になると宦官が相ついで見舞いに来、天子からは名医や良薬のあらんかぎりが贈られた。
 しかし年齢には勝てず、廬生はついに死去した。

 欠伸をして眼をさますと、廬生はもとの邯鄲の旅舎に寝ている。
 傍らには呂翁が座っている。
 旅舎の主人は、彼が眠る前に黄粱を蒸していたが、その黄粱もまだ出来上っていない。
 すべてはもとのままであった。「ああ、夢だったのか!」

 呂翁はその彼に笑って言った、「人生のことは、みんなそんなものさ」。
 廬生はしばらく憮然としていたが、やがて呂翁に感謝して言った。

 「栄辱も、貴富も、死生も、何もかもすっかり経験しました。これは先生が私の欲をふさいで下さったものと思います。よくわかりました。」

 呂翁にねんごろにお辞儀をして廬生は邯鄲の道を去っていった。


 これ、果たして「栄枯盛衰のはかないことの喩え」になるでしょうか。
 私にはどうしても出世物語、「栄華のすばらしさ」としか映らないのですが。
 ストーリーを追いなおしてみます。

 都に上がった盧生はひょんな出会いから唐代の名家の娘を娶る。
 科挙の進士に合格する。
 首都の長官になる。
 戦功をたて御史大夫部侍郎に栄進する。
 しかし、ねたみを受けて州長官に左遷される。
 三年で戻され、その後宰相に抜擢される。
 十年間、よく天子を補佐して善政を行う。
 賢相のほまれを高くした。
 無実の罪で逆賊として捕らえられる。
 死罪だけは免れ、僻地へ流される。
 冤罪と分かり、都へ戻される。
 諸侯に封じられ、天子の信任がすこぶる厚かった。
 五人の息子たちはそれぞれ高官に上る。
 そして、彼らはみな天下の名家と縁組みを得る。
 たくさんの孫を得て、幸福な晩年を送る。
 至福のうちに寿命をまっとうする。

 と、なります。
 栄華を極め、幸せな人生をまっとうした盧生が何故「栄枯盛衰のはかなさ」の象徴になってしまうのでしょう。
 どう考えても理解の枠組みを超えてしまいます。

 「栄・盛」はあります。
 でも肝心の「枯・衰」がどこにも見当たらないのです。
 左遷や冤罪は中国官司の世界では日常茶飯のことで、とりたてていうほどのものではありません。
 菅原道真のように、大宰府に流されて生涯都に復帰できなかったなら「枯・衰」にあたるでしょう。
 ところが盧生は、いとも易く都に戻り、諸侯に任ぜられいます。
 子どもが五人もいて、それぞれが高官となり、たくさんの孫に囲まれて、安楽な余生を過ごして人生を全うした、とあります。

 何かおかしくありませんか。
 最後の部分をこうしたらどうなります。

 呂翁はその彼に笑って言った、「人生のことは、みんなそんなものさ」。
 廬生はしばらく憮然としていたが、やがて呂翁に感謝して言った。
 「栄辱も、貴富も、死生も、何もかもすっかり経験しました。
 これは先生が私の未来がいかに輝かしく、栄光に満ちたものであるかを見させてくれたものと思います。
 なんと我が人生がすばらしいものであるか、これから都に上ってもこれ以上の栄華を身にうけることはないということでしょう。
 望まれる限界まで到達させてもらいました。
 これ以上の欲は持ちたくとも持ってはならないものだということだと思います。
 これは先生が私の欲をふさいで下さったものと思います。よくわかりました。」

 呂翁にねんごろにお辞儀をして廬生は邯鄲の道を去っていった。


 盧生はたまたま、夢でその限界まで見てしまったため、それ以上は自らが「天子」になるほかなく、天子を目指すということは「反逆者」になるということになります。
 それはできぬと思い定め「欲を塞いだ」のではないでしょうか。

 日本なら「平将門」になるということです。
 夢で自分の未来を知ったとすれば、人は更なる上を求めて実際の行動を起こすでしょう。
 起こさざるをえないのではないでしょうか。
 ということは反逆者になる、ということになる。

 栄枯盛衰物語の極地ともいわれる平家物語ならこうなります。

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。
 奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
 猛き者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。

 栄華の頂点を極め、「平氏であらざるものは、人にあらず」とまで言わしめた平氏が、源氏にやぶれ、身を隠し、落ち武者として人も訪れぬ山間でひっそりとくらすはめになったという史実を踏まえて、平家物語の著者は語ります。
 月とスッポンの差です。

 近世合理主義の体現者である織田信長ならこうなるでしょう。

 人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。
 一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。

 これは平家物語において平敦盛が熊谷直実に討たれる時の「辞世の句」とされていますが、信長の好んだ謡であり、桶狭間の戦いを前にしてこの「敦盛」を舞ったという逸話が伝えられています。
 信長は周知のように本能寺で死んでおり、死体すら見つかっていないといわれていますので、当然のことながら辞世の句はありません。
 この句にはまさに「栄枯盛衰のはかなさ」がにじみ出ているが、「滅せぬもののあるべきか」と謡いながら、「天下布武」を旗印に天下掌握のために乗り出している。
 そこには歓喜が満ち溢れています。
 「人生なんてそんなもんさ」と卑下せず、「人生とはこんなものだ」と栄光へエネルギーを注ぎ込み続けている。
 それが妹の子が徳川家光を生み天下の主の血筋に連なることになります。

 最貧層から身を起こして、絶頂を極めた豊臣秀吉ならこうなる。

 露と落ち 露と消えにし 我が身かな。
 浪速のことは 夢のまた夢

 栄華を極めつくし、朝廷から「豊臣」という姓までもらい、一般人では得られぬ幸福を嘗め尽くした人生。
 晩年はただ子ども可愛さの何処でもいる普通の「耄碌じいさん」としてその生涯を終える。
 一介の百姓から出てよくもやったり、よくもやったりである。
 どこにも「栄枯盛衰のはかなさ」などない。
 ただただ人生をまっとうしただけ。
 夢を夢として実現した。
 浪速の夢を夢として終わらせることなく、現実として掴みだし描き出した一生。
 見る夢を、得る夢にした人生。
 いわば「我が人生に悔いなし」である。
 ただ、子孫はその血筋に恐れおののいた徳川家康に根絶やしにされてしまいますが。  

 「邯鄲の夢」の栄華とは、世に生を受けた者なら誰もが描く極限のものでしょう。
 とはいえ、それを受けられる人はわずか一握りの人に過ぎない。
 後の大勢は敗組です。
 そしてそれがほぼ全部である。
 ならば夢ででもというのが、人というものであろう。

 「お前にだって、こうなれるチャンスはある、ただちょっとしためぐり合わせが悪いだけだ。  がんばれや、夢のようにはいかないが、そこそこにはなれるかもしれないぞ」
というのが、この夢が語っていることではないのでしょうか。
 「希望を捨てるな」
 大志を抱けということではないでしょうか。

 邯鄲の夢のような栄華は無理としても、その百分の一くらいのものは目指せるかもしれない、ということだと思います。
 「栄枯盛衰のはかなさ」など微塵もなく、誰もが抱く「栄華への願望」、「人生へのポジテイブな欲望と期待」です。
 人を理想に駆り立てる第一級のモチベーションだと思います。
 人間の寿命はそこそこ誰も同じです。
 80歳程度で百歳生きられる人は少ない。
 「人は必ず死ぬ。間違いなく必ず死ぬ」。
 始皇帝のように不死を願って、徐福に霊薬を求めさせようと旅立たせることはできない。
 ならば生きているその間に、栄華を求め、それを味わおうと思うのが普通人の心情でしょう。
 至極当然の想いであり振る舞いです。

 周りが二百歳まで生きるているのに、自分は八十歳で終わりというなら人生短いと感じることもあろうが、そこそこ皆条件が同じなら、要は生きているうちにどこまで、何ができるかにかかってくる。
 それが人生の「満足度」というものではないだろうか。

 「道士」という言葉がでてくるので、老荘系の道教の説教話だと思われます。

 ためにすべてをネガテイブに捉えて理解しようとするために、話の前と後ろが唐突に無理につなげられたような感じになっています。
 それを除いて読んでみれば、きっと壮大な「栄華物語」としてあったのかもしれない。
 もしかしたら、老荘系の連中がそれまで語り伝えられていた人気の栄華物語を妬んで、改変してしまったのかもしれない、と十分に考えることもできます。

 老荘の道士の言っていることだ、間違いはあるまいと無批判にその解釈を受け入れてはいないでしょうか。
 想像をめぐらすことは何ぼでもできますが、私には「邯鄲の夢」はどうしてもひっくり返しても「栄枯盛衰のはかなさ」には読めないということなのです。

 電子網に載っているさまざまな記事を読んでみると、はじめから「栄枯盛衰のはかなさ」ありき、という論理から出発して、もう決して動かすことのできない固定の結論が出ており、そこから意見を開陳しているような印象をおぼえてならないのです。

 解釈にはいろいろあっていいと思うのですが、決まった道筋を歩かないと居心地が悪いのでしょうか。
 他人の意見にただ盲目的に追従することなく、もう少し自分の意見を入れた方がいいのではないかと思えるのです。

 Wikipediaの最後の文章。
 「
 邯鄲をさす同義語の日本の言葉としては「邯鄲夢の枕」、「邯鄲の夢」、「一炊の夢」、「黄粱の夢」など枚挙に暇がないが同音異語や異音同語が一つの物語から派生、発生したことは日本の文化や価値観に長い間影響を与えたことが窺い知れるが、ほとんどの言葉が現在では使われる事がなくなっている。

 なぜ、日本では使われなくなったのか。
 私は、この「邯鄲の夢」という言葉、最近になって中国関係の小説を読むようになってはじめて知ったに過ぎないのです。

 ということは検索件数に比例するほど、さほどに日本ではポピラーではない。
 知的な響きがありますので、オタク的な発想を持っている人はよく知っている。
 でもごく一般的な人には知られてはいない。

 それは何故か。
 平家物語と比較してもわかるように、決して「栄枯盛衰のはかなさ」などもっていない。
 「方丈記」と比べてもない。
  様々な仏教説話と比べてもない。

 むしろ波乱万丈、サクセスストーリー、すばらしい栄華物語なのです。
 「盧生一代記」なのです。

 それを誤って旧来のまま「栄枯盛衰のはかなさ」と解釈し、それを改めることがなかったことによって、昨今の感覚との不具合が大きくなりすぎ、現代的解釈にフィットできず、消え去り行く運命を担ってしまったのではないでしょうか。

 前後にとってつけたような呂翁道士と陶器枕、それから無理やり引き出したような老荘解釈、なにかこじつけたような感じを受けるのは、私だけではないような気がするのですが。
 いかがでしょう。



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2008年1月15日火曜日

古本事情3:わが本はいずこに


● カーブート・セールの看板
 <クリックすると大きくなります>


古本事情3:わが本はいずこに
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 住んでいるとそこそこ増えるものに本・書籍があります。

 新聞一面の下の段に掲載されている図書の宣伝、あるいは週末に掲載される書評などで、読んでみたいなという本がときどき出ます。
 ぶらりと立ち寄った書店の店頭に並べられている人気本、棚を眺めていてついつい手が出てしまう本など購入動機はいろいろです。

 でもここでは、そういう動機は皆無です。
 なにしろ本屋がありません。
 それでも本は増えていきます。
 どうしても読みたいと思って取り寄せる本、もらった本、人が置いていった本いろいろですが、私にとって最も多いのはガレージセールで購入する本です。

 ちなみにWikipediaで「ガレージセール」なるものを検索すると「検索した名称のページは存在しません」と出てくる。
 ガレージに日常不要になったものを並べて売る、というのがガレージセールですが、ガレージはあってもそこに品物を並べるために、車を道路に置くと駐車違反に引っかかって、目玉が飛び出るほどの罰金をとられる日本という環境では、まずは無理でしょう。

 あわせて「トランク・セール」「ブート・セール(あるいはカーブート・セール)」も検索しましたがWikipediaにはありません。
 電子網検索では「ガレージセール」は622,000件も出てくる。
 トランクセールはガタンと落ちて1/1000の660件、ブートセールだと1,700件になる。

 Wikipediaでは後ろの2つは「フリーマーケット」で出てくる。


 日本各地で行われる蚤の市やガラクタ市は、1990年代以降若者・ファミリー向けの「フリーマーケット」と呼ばれるものが多くなった。
 従来の「蚤の市」は、神社などの境内で縁日に併せて行われることが多いが、フリーマーケットと称する催しは、主に、競馬場やサッカー場などの駐車場、大規模公園などの一角で行われることが多い。
 東京都内の場合は明治公園や代々木公園、大井競馬場などで行われるものが規模が大きいといわれる。

 日本の場合「a flea market」ではなく、自由参加出来ることから「free market」という意味の単語として誤用される場合が多い。
 「free market」とは、本来「蚤の市」と全く別の意味の経済学用語なので注意が必要である。(ただし、主催者によっては「蚤の市」と「自由市場」の違いを認識しつつも、自由参加を強調するために、あえて和製英語的にfree marketと表記することがあるため、現在では、free marketが完全に間違いであるとは言い切れなくなった。)


 つまり、ガレージセールは日本にはなく、トランク・セールあるいはブート・セールはフリーマーケットとして定着しているということである。
 その検索件数の多さからいうと、日本では定着しなかったガレージセールが、外ではの社会文化として生活に染み込んでいるということである。

 高度成長期の時代には「人の来たものは絶対に着ない」という結構多くいましたが、昨今では様変わりしているようです。
 我が家では、
 「ええか、貧乏人はお金持ちのカスリで食べさせてもらっているのだ。衣服などは洗濯してしまえばどれも同じだ。」
という発想でしたので、幼稚園の父母のつながりからいろいろもらいました。
 中には「miki-house」が入っていたりで、「おお見ろよ、ミキハウスだぞ」と感激して子どもに着せていました。

 またその時代には「出何処のわからない古本は読まない」という人もいましたが、今は大規模な古本屋がデンと構えていますし、インターネットでは古本を探してくれるサービスも大きなウエイトを占めています。
 感覚というものは時代と共に変わっていくものだということなのでしょう。

 ガレージセールは日常使わなくなったものを整理するためと、引越しのために不要品を処分してしまおうという理由が多いようです。
 日本人の場合は、それに帰国セールが加わります。
 前二者の場合は居住期間が長いためガレージセールの内容も理解していており、値付けもそこそこです。
 帰国セールの場合は高値と安値に極端に別れるようです。
 なるべく高く売って日本に帰りたいという人と、日本に持って帰っても運送費の方が高くつくので、捨ててしまうより安値で引き取ってもらって、使ってくれればそれにこしたことはないという人の2つです。

 ガレージセールの広告は日本食良品店やレンタルビデオショップなどにある掲示板に貼られていますが、それにつられてある引越しセールにいったことがあります。

 まず古本を見てみました。
 文庫本で2ドル(\200)、単行本で4ドル(¥400)です。
 それだけ見て、すぐにやめてしまいました。
 できるだけ高く売ろうという側のガレージセールだからです。
 文庫本は50円が標準値、ちょっと出物で100円、それを越したら売れません。
 単行本なら100円から200円の間、よくて250円、300円の値付けだともう売れないと思って差し支えないでしょう。

 前にも書きましたが文庫本と単行本の違いはここではほとんど意味がありません。
 というのは、自宅の書籍棚に並べて楽しむといった趣味はありえようがないからです。
 中身がすべてで、面白かったか、そうでなかったか、それだけです。
 単行本・文庫本の違いなどは二の次になります。

 次のガレージセールでは閉店ぎりぎりでいきました。
 売れ残った本を捨て値で買おうと思ったからです。
 ところがなんとなんと、「欲しい本がありましたら、ご自由にお持ちください」とあります。
 つまり「タダ」なのです。
 文庫本は安くて20セント(20円)、時に3冊100円というのもありますが、だいたい50円が相場です。
 日本フェステイバルなどの催し物には、多くの人が古本を売りに出していますが、文庫本では50セントの一律です。
 それが、いわば相場ということでしょう。

 そのセールを監督していた人に聞いてみました。
 「誰か、このタダ本を持っていった人がいますか」
 「ウーン、2,3冊ぐらいははけたかな」程度です。
 「ここにある本、全部ください」 といって、台のスペースにしてあった本までそっくりもらってきました。
 引き取り手がなければゴミ箱へいくのがオチですから、引き取られるだけでも本にとっては幸せというものです。
 とわいえ、ガレージセールにいって本だけタダでもらってくるというわけにもいかないので、3品ほどの物を25ドルで買いました。
 1冊50セントのつもりで買ったとすれば、そのくらいの値段だろうと思ったわけです。
 家へ帰ってから調べたところ55冊。
 それも単行本と文庫本が半々でした。
 好みが違って読みもしない本もあるだろうと思われますが、それはそれで前にも書きましたように、古本コーナーを使って交換すれば済むことです。
 この場合、取得する費用は貸本代50セントが加算されます。

 てな具合で本が溜まっていくのです。
 溜まった本を何とかしよう。
 本を売る気などさらさらないし、貰ってくれる人などありようもない。
 「ナンマイダブツ」これがお前の寿命だと言って燃やしてしまうのが一番いいが、できれば長生きさせてやりたい。

 「韓国人の読書量」と似た水準なら2.5倍の人口比からいって、ハングルより狭いスペースでは日本語の本は肩身が狭くてかわいそうだ、図書館に寄付できれば最高の延命処置だ、そう思っていました。

 冊数がまとまったら、電話でもして引き取ってもらえるか聞こうかと思っていました。
 ところが偶然にも運良くその機会にめぐり合ったのです。

 市立図書館の日本語本は州のライブラリー・サービスが管理しているものですが、これは購入したものではないようです。
 というのは、幼児本から日本でしか使えないような料理本、家事の本、株式ハウツーもの、マンガなどがすこぶる多く混ざっているからです。
 マンガ本は10巻、20巻といった大部になるのがふつうですが、出ているのは真ん中ごろの2,3冊といったものになります。
 考えてみれば、第二外国語図書の購入に予算が割り振られるはずもないのです。
 おそらくは、帰国する人が寄贈していった、それが長年にわたって積み上げられ、コミニュテイ・ランゲージの一角を構成するまでに増えていった、というのが最も妥当な予想ではないかと思います。

 この本の中には非常に古い本も数多く含まれており、歴史がしのばれるほどです。
 ところが不思議なことに、最近のものも数多く含まれているのです。
 ライブラリー・サービスが外国語本の寄付を求めているといった情報にはこれまで接したことがないのです。

 あるとき日本語本を借りにいく図書館の返却窓口の下にダンボール箱が置かれ、それに「donation books」と書かれた紙が貼ってあったのです。
 「オー」と歓声を上げたほどです。

 これはこれはと思い、次に行ったとき一冊持込みドネーションしました。

 この箱にはじめに入れた本は「 スハイリ号の孤独な冒険―われ単独無寄港世界一周に成功 (単行本) ロビン・ノックス・ジョンストン (著), 高橋 泰邦 (訳) 1969年」です。

 ヨットでの単独無寄航にはじめて成功したR.N.ジョンストンの体験記です。
 ところがこれ、最初本の運命として、寄贈されなかったのです。

 日本語コーナーで本を選び、帰りがけに箱を見たとき、先ほど置いた本が消えていたのです。
 私が入れたとき下にあった本が丸見えになっています。
 ということは寄付した本は誰かにもっていかれた、ということになります。
 ものの10分ほどです。

 ここはヨットを持っている人、ボート(クルーザー)を楽しんでいる人が数多くいる場所です。  ヨットの本は人気の部類に入ります。
 表紙カバーにはスハイリ号の勇士が映っており、その趣味の人は寄付箱に放り込まれた本ですから、もらって当然、めっけものと持ち帰ったのではないでしょうか。
 きっと、豪華なリビングの書棚に英語本と並んでこの日本語訳本が鎮座し、来た人に日本語本があるのだと、吹聴しているのではないかと想像したりしています。

 寄付はせっせと行いました。
 と言っても週1回ほどに過ぎないのですが。
 はじめのうちはボックスに入れるだけでしたが、量が多くなってくると、単行本と文庫本に同じのがあったり、前に寄付した題名を忘れたりしはじめたため、これはマズイと記録をとるようになりました。
 その記録で分かっている最終合計は「525冊」、単行本193冊、文庫本332冊です。

 なを、この「寄付箱」、カウンターが模様替えになったとき、それと一緒に廃止され、今はありません。
 館長が交代し、考え方が変わったか、もう十分役目は済んだという判断がなされたか、この事情はわかりません。
 約2年ほどのことでした。

 持ちきれなくなったらライブラリー・サービスに運び込もうと考えていましたから、ちょうそこそこの冊数を寄贈できたことになります。
 金額的評価では、単行本2ドル、文庫本1ドルとして700ドル(7万円)ほどでしょう。
 もちろん、購入金額はそれを上回ります。

 寄贈した本はライブラリー・サービスに送られ、登録され、管理コードは貼られバーコードがとりつけられ、そののち図書館に廻ってくるものだと思っていました。
 ところが、どういうわけか、その気配がまるでないのです。
 相変わらずハングルのスペースに圧倒されています。
 寄付を始めてから後に発行された日本語本がコーナーに並ぶようになってきました。
 どうもライブラリー・サービスに送られる、というのはこちらの勝手な思い込みだったようです。

 確かに寄付箱は市立図書館に置かれたものですから市の管轄で、当然、市に所有権があります。
 ということは、あの本はライブラリー・サービスには送られていない、という可能性が大きいということになります。
 では何処にあるのでしょう。
 新宿の図書館では、新規購入によって押し出された古い本は無償で配布されているということを述べましたが、ここではどうなっているでしょう。

 年度の予算がつき、新規に購入されると余り本が発生します。
 それは一括してまとめられ、売却されます。
 その売却場所が貸し出しシートの裏に印刷されています。
 固定場所としてあるようです。
 日本語本でこの余り本になったものを見たことがあります。
 表紙裏に「CANCEL」ゴムスタンプが押されていました。
 でも昨今ではこんなデリカシーに欠けた手法はとらないのではないかと思います。

 ライブラリー・サービスはバーコードで管理しています。
 本の裏に貼られた図書カードには手書きの貸し出し日時が書いてあることもあります。
 地方の図書館ではその程度で間に合うということなのでしょう。

 ではわが市立図書館はどうでしょう。
 最近、マイクロチップ・システムが導入されました。
 ライブラリー・サービスから送られてきた図書はバーコードにかけ、そこから瞬時に市専用の図書カードに組み込んだマイクロチップに書き込みをします。
 この図書カードを本の後ろに貼り付けて登録完了ということになります。

 「CANCEL」が押された本は、手書きの貸し出し日時が記載されていましたから、非常に古いものということになります。
 私が借りはじめたころはすでにバーコード処理で、昨今は磁気マットに本をおくだけで処理が行えるチップ形式です。

 我が寄贈本は余り本売却所にあるのか。
 行ったことがありませんので何ともいえません。
 行く必要がないと思って、行かないでいます。
 というのはガレージセールで無償にしてもさばけない本も多いという状況にあって、日本人がわざわざその場所までいって、お金を出して購入するかというと、まずありえないということです。

 古本コーナーですら食料品の買出しにいくからついでに立ち寄るのであって、本だけを目当てにはいきません。
 500冊というと書籍棚で2つから3つになります。
 売れない本にそれだけのスペースを割くというのは考えられません。

 とすると、我が本はいずこに。
 市立図書館の奥づまった収納スペースの一部にうずたかくホコリを被って積み上げられているのか、あるいは処分されてしまったのか。
 寄贈した本かどうかは文庫本では判断できませんが、単行本ならそこそこ認識できると思います。

 もしかしたらそのうち「これは私が寄贈した本だ」という本に出会うことがあるかもしれません。
 楽しみにはしているのですが。

 このところインターネットをやっている関係で読書量はガクッリと落ちました。

 また、最近、古本コーナーには行かなくなっています。
 というのは、近くにあった日本食料品店が大きくなり陳列棚の品数も多くなって、もっぱらこちらを利用することになったためです。
 大半は読みつくし、誰かが帰国に際して置いていったものだけが新たに出るという状態になってしまったため、この古本コーナーを訪れるのはこの方面に用事があった時のみに限られるようになってしまいました。

 近くにあるといってもこの食料品店で20キロはあります。
 古本コーナーのある食料品店は30キロ以上になります。
 昨今のガソリン価格の高騰は、日本と同じ金額になりつつあります。
 往復すれば本代よりガソリン代の方が高くなり、安い古本探しのみ出かけていくということは無駄の一語になってしまいます。
 うまく何か手に入れば、それでもそこそこ満足できますが、前回と同じものだけなら、空手で帰るということになります。
 これはガソリンを捨てにいくようなもの、温暖化の貢献をしているだけのものにもなりかねません。

 その後も本の方はゆっくりですが増え続けており、持ちきれなくなったらライブラリー・サービスに持ち込むつもりではいます。
 古本事情で書きはじめたのですが、どうも「海外図書館日本語本事情」といったものが色濃くなってしまいました。



<おわり>



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2008年1月12日土曜日

古本事情2:ハングルの多さ(日本人と韓国人の読書量比較)


 ● はるかに多いハングル本。
  <クリックすると大きくなります>


古本事情2:ハングルの多さ(日本人と韓国人の読書量比較)
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 日本の大きな図書館には「外国図書コーナー」というものがあります。
 多くは英文本ですが、それ以外に中国語と韓国語を置いてあるところが多いと思います。 日本に居住している中国人・韓国人が相応にいるということでしょう。
 これまでは引け目を感じて使わなかった母国語を、今では自由に表現できるようになり、電車の中などでは中国語・韓国語を耳にすることは当たり前のようになっています。

 同じようなことがこちらの図書館にもあります。
 「コミニテイ・ランゲージ」といって外国書籍の置いてある一角があります。
 市立の図書館は十数か所ですがそのすべてにこのコーナーがあります。
 言語は3つで「中国語」「イタリア語」それに「ドイツ語」です。
 どこの町にも中華レストランとイタリア・レストランは必ずありますから、いかに居住者が多いかわかります。
 中国人の多い他市の図書館では、その半分が中国語の本で埋まっているところもあります。
 また、ドイツ人は古くから来ておりますので書物も多いのでしょう。
 これら3つの言語の図書は市のライブラリー・セクションが管理しています。
 いうなれば「第一外国語図書」といった感じになります。

 それ以外の図書、すなわち「第二外国語図書」というのがあります。
 私の知る限りではここでは3カ所の図書館にそのコーナーがあります。
 だいたい10カ国語ほどです。
 ヨーロッパ系では、スペイン語、フランス語、ロシア語、ギリシャ語、ロシア語、ポーランド語などです。アラブ・アジア系ではアラビア語、日本語、韓国語、ヒンデイー語などです。
 僅少図書ではタイ語というのが置いてあって見たことがありますが、雑誌がたった1冊でした。
 クロアチア語というのもありました。
 僅少言語の本は図書館をぐるぐる回るため、時にその言語コーナーがなくなってしまうこともあります。
 これらの第二外国語図書は市ではなく州政府のライブラリー・セクションが管理しています。
 よって、市内の3カ所を回るだけでなく、他の市、あるいは州の他の図書館にも配送されており、3カ月ぐらいで図書が入れ替わります。
 本の後ろに張られているカードをみると、数百キロは離れているであろう街のスタンプが押されています。

 以前は、日本語本の一部にシテイ・ライブラリー管理のものがありました。
 このときは、市と州の2本立てで本が供給されていたことになります。
 これは珍しい形で、他の第二外国語図書にはみられなかったことです。
 でも昨今は市管理の本はみかけなくなっています。
 ということは、市ではもはや日本語書籍は扱っていないのではないかと思われます。

 私は上記3カ所のうちの2カ所で本を借りますが(もう1カ所は数十キロ離れている)、中央図書館にあたる図書館では数冊ほどしかみあたりませんが、他の1カ所では20冊から30冊くらい置かれています。
 理由は簡単です。
 中央図書館あたりには大学もあり日本の留学生も多く、借り出しが激しいということです。
 よって私はもっぱら本のたくさん置かれている図書館を利用させてもらうことになっています。
 こちらの方が中央の図書館と比べて家からはるかに近いということもありますが。
 といっても15キロはあります。


 コーナーの棚をみてみますと、日本語の隣は韓国語になります。
 どういうわけだか、日本語の冊数より韓国語の冊数の方が多く、充実しているのです。
 1.5倍から2倍のスペースを持っています。

 文庫本という日本独特の薄く小さい本が多いということもありますが、これは見た目「ハッツ」とさせられます。
 文化的に劣っているのではないかという心理的危惧が喚起されるからです。
 私がそう思うのですから、おそらく、これを見た外国人も同じように感じるのではないかと思います。

 いや待てよ、もしかしたら日本人より韓国人の方が居住者が多い?、いやそのようなことはありません。
 とすると、韓国人の方が「読書をよくする民族」であるか、あるいは「公共図書館制度が充実している」ということになります。


 「海外日本語書籍事情」などで検索エンジンをかけても、海外の図書館におかれている日本語図書の事情などは出てきません。
 せいぜいのところ「日本語学習」に関する記事が出てくるだけです。

 公共図書館で比較してみます。

 まず「韓国公共図書館」を検索してみます。
 下のホームページをコピーさせてもらいます。


○ 図書館に関する調査・研究のページ
  カレントアウェアネス(季刊)::1989年発行(本文収録分 CA598~CA641) > CA601 (No.118) - 韓国の図書館統計―公共図書館の絶対数が不足 / 三満照敏 / カレントアウェアネス  No.118 1989.06.20
★ http://www.dap.ndl.go.jp/ca/modules/ca/item.php?itemid=15

<<<<<< 韓国の図書館統計 >>>>>>

公共図書館の絶対数不足
────────────
 第25回図書館週間(4.12~4.18)を前に,韓国図書館協会が「韓国図書館統計」(88年4月現在)を発表した。
 この統計によって,韓国の図書館の現況を見ると以下のようになる。

 まず,韓国の図書館総数は6,756館で,この中,大学図書館をはじめとする学校図書館が6,329館(93.6%)を占めている。
 公共図書館はわずか「175館」にすぎない。
 学校図書館が特定人にのみ開放されるのに比べて,公共図書館はすべての人に開放されるという性格に照してみる時,こうした現状の改善が焦眉の課題だとする指摘は多い。
 蔵書数の面でも,学校図書館が459万9000冊を所蔵しているのに比べて,公共図書館は410万3000冊(国立中央図書館と国会図書館は除く)にすぎない。
 1館当りの人口数は24万81名,1座席当りの人口数が474名,1人当りの冊数は0.098冊にとどまっている。

 一方,他の国の公共図書館の現状を見ると,米国が8456館,4億3948万6000冊,イギリスが2295館,9511万8000冊を保有している(85年,ユネスコ統計)。
 1館当りの人口数では,米国2万6928人,イギリス2万4377人,日本8万1058人となり,1人当りの蔵書数も,米国1.93冊,イギリス2.34冊,日本0.8冊となっている。

 これらの諸国に比べて韓国の図書館が立ち遅れている理由として,制度面での不備が最も強く指摘されている。勿論,87年には図書館法が改正されたし(国立国会図書館調査局刊『外国の立法』28巻1号または日図協刊『現代の図書館』26巻4号を参照),同法の施行令も88年に改正された。その意味では,法制上はある程度の整備が行われたといえる。
 しかし,同法に規定された“図書館発展委員会”の構成や“図書館振興基金”の拡大が,今日にいたるまで実現していない等の問題点をかかえたままである。米国では大統領の諮問機関として“図書館と情報科学に関する全国委員会”が置かれ,イギリス,フランス,デンマーク等では図書館行政を専門に担当する図書館局が常設されている。
 この点でも韓国では,文教部(省)の社会教育制度課の一部職員が図書館行政を担当しているのが実情である(日本も同様であるが)。
 また予算面でも,89年度文教部予算4兆2000億ウォンの中,公共図書館の建設費は55億ウォン(0.0013%)で極めて冷遇されている状態である。
 こうした実情の中で,韓国の図書館がその本来の機能を果してゆくためには イ)図書館専門職(司書)公務員の待遇改善 ロ)中央官庁に図書館行政の専門担当部局設置ハ)“図書館振興基金”の助成拡大や“図書館発展委員会”の構成などが最優先して実現されねばならない,という指摘が多く出されている。


 これでいくと、韓国の図書館事情が日本より進んでいるとは思えません。
 ただ、この統計は1988年で20年前のことで、その後の奇跡的経済発展を考慮すると、格段に進歩したということは考えられる。
 同じ項目での次の記事によりますと、2004年4月末現在の統計で公共図書館は「471」館となっている。
 ということはこの16年間で2.7倍に増えたことになる。
 しかし、急速な発展で抱える問題も大きいようである。
 この著者から見た、日本の図書館への感想が最後に述べられていますのでこれもタイピングしておきます。


○ 韓国における図書館事情
2004年9月6日 韓国における図書館事情. 曺 在順(ジョ ジェスン). 韓国 国立中央図書館.
★ http://www.jla.or.jp/kenshu/resume2004-2/14.jo.pdf

<<<<<< 韓国の図書館統計 >>>>>>

韓国図書館の概要(2004年4月末現在)
──────────────────
国立       2
公共     471
大学     405
学校   10,561
専門     562

  <略>

 日本の図書館について
────────────
 日本滞在6年以上の間、近くにある東京の小さな公共図書館はもちろん、北は青森や秋田、南は沖縄にいたるまで、さまざまな地域の公共図書館をめぐることができた。
 直接的な利用あるいは見学から、日本の公共図書館サービスに対し、次のような優れた点に非常に強い印象を受けた。
 これらは韓国の公共図書館で提供しているサービスより優秀な点ともいえる。

 1).障害者サービス
 2).多文化サービス
 3).児童・ヤングアダルトサービス
 4).地域資料サービス
 5).整ったネットワークシステムと相互協力
 6).専門性を高めようとする図書館員の努力
 7).本のリサイクル
 8).友の会
 9).図書館員の親切さ等


 日本の公共図書館のデータはというと下記で検索できます。
 それによると、日本の公共図書館は2003年4月現在で「2,735館」である。
 その内訳は都道府県立63館、市町村立2,668館、広域図書館4館となる。
 5年前のデータですが、大概は変化ないと思います。


○ 日本の公共図書館
★ http://www.mext.go.jp/a_menu/shougai/tosho/houkoku/06082211/013.pdf


 韓国の人口は先日、5千万人を超えました。
 日本の人口は1億2780万人。韓国に約2.5倍である。
 人口比でいくと韓国の図書館は日本の半分弱ということになる。
 その結果、単純に言うと日本より韓国の図書館が進歩しているとは見られない。


 なのにどうしてコーナーのハングル書籍が日本語本より多いのであろうか。
 とすると韓国人の方が読書をよくする民族であるということになる。
 だが、日本国内の年間の書籍発行部数からして、その読書量が韓国人に劣るとは思えない。
 そのことについて検索してみる。

 韓国の日刊紙「中央日報 2006.12.16」によると、読書量は日本と韓国は「似た水準」であり、雑誌の読書量が異なるということです。


★ http://www.japanese.joins.com/article/article.php?aid=82813&servcode=400&sectcode=400&p_no=&comment_

中央日報:韓国成人の読書量、年間11.9冊 2006.12.16
─────────────────────────────
 韓国の成人は本を年間11.9冊、平均すると1カ月に1冊の本を読んでいることが分かった。
 これは1996年(9.1冊)、2004年(11冊)よりも多く、この10年間では最高水準。
 しかし本を全く読まない「非読書者」の比率は「23.7%」で、2004年に比べて0.4ポイント増えた。
 すなわち、本を読む人だけがたくさん読んでいるということだ。

 国立中央図書館が韓国出版研究所に依頼して9月の1カ月間、満18歳以上の成人1000人と小中高生3000人を対象に実施した「2006年国民読書実態調査」の結果だ。

 読書量は日本人と似た水準だが、雑誌読書量は成人の場合、日本人(2冊)が韓国人(0.5冊)の4倍、高校生は10倍(日本2.9冊、韓国0.3冊)と、格差が大きかった。

 読書量は増えたが本を購入する量はむしろ減っている。
 成人の「最近3カ月間の図書・雑誌購入量」は2年前(3.3冊)を大きく下回る「2.1」冊だった。


 日本と韓国の読書量は「似た水準」という。

 日本人の読書量のそこそこを雑誌が占めており、それに対して韓国人の場合は一般本がほぼ全体を占めているということになる。
 年間1冊の本も読まない人を「非読書者」というようであるが、それが韓国では「23.7%」とある。
 日本でも相応の数はいるだろうと思われるが、雑誌をまるで読まない人は少ない。
 氾濫する週刊誌をめくるくらいは誰でもやっている。
 「活字は追うが本は読まない」となると雑誌が取り扱つかわれていない図書館では相対的にハングルのスペースが大きくなってくることは理解できる。

 このあたりを調べてみる。
 まず、「似た水準」のバックデータを検索してみる。
 これがよくわからない。
 私のほかにも同じ疑問を提示していた方がいた。


○ 図書館かわらばん
★ http://www.ibkawara.seesaa.net/archives/200612-1.html

<<<<<< 図書館かわらばん 2006.12.17 >>>>>>

韓国成人の読書量、年間11.9冊
日本人も年間読書量は同じようなものと記事には書かれていますが、検索すると20冊とか50冊とか出てきます。
日本人の読書量はどれくらいなのでしょうか。


 この問いに対する答えは表示されていない。

 日本の調査では下記の2つが見つかった。

○ 国語に関する世論調査 ★ http://www.commakagi.ne.jp/tosyokan/kokugo/161230%20bunka.htm

<<<<<< 国語に関する世論調査 >>>>>>

「国語に関する世論調査」:文化庁
────────────────
調査対象: 全国16歳以上の男女3.000人
調査時期: 平成14年(2002年)
調査方法: 個別面接調査
回収結果: 有効回収数( 率)2,200(73.3 % )
      調査不能数( 率) 800(26.7 % )

問:1ヶ月の読書量
─────────
全く読まない 38 %
  ~10冊  58 %
  ~20冊   3 %
  21冊~   1 %


 「1カ月、全く読まない」という人が「38%」いる。
 10冊以下の人が58%。
 月に10冊の本というのは、結構な負担である。
 1カ月で1冊~10冊という分類はほとんど調査をする意味をなさない。
 「社会調査の何たるかをほとんど理解していない」、としか思えない。
 1カ月の調査分類としては「読まない」「2冊以下」「5冊以下」「9冊以下」「それ以上」程度にはすべきであろう。

 読売新聞(2005年10月28日版)の調査はより詳しい。
 読みやすいように構成を変えてまとめてみる。

★  http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20051028bk01.htm

読売新聞社:本社世論調査
──────────────────────
 27日から始まった「読書週間」を前に、読売新聞社が行った全国世論調査で、国民の「本離れ」が定着化の傾向を示す一方で、読書で「満足」した人が9割に達し、人生観に影響を受けた人も6割を占めた。
 IT(情報技術)時代にあって、若者を中心にインターネットによる本の購入が増える傾向もみられる。
 価値観の多様化や環境の変化を受け、読書の世界もいろいろと変わりつつあるようだ。
調査データをもとに、読書に対する国民意識を分析した。

調査方法
─────
・調査日=2005年10月
・対象者=全国の有権者3,000人(250地点、層化2段無作為抽出法)
・実施方法=個別訪問面接聴取法
・有効回収数=1,796人(回収率59.9%)
・回答者内訳=男46%、女54%
▽20歳代12%、30歳代15%、40歳代17%、50歳代22%、60歳代19%、70歳以上15%
▽大都市(人口30万人以上)40%、中都市(人口10万人以上)23%、それ以下37%

問:1ヶ月の読書量(雑誌を除く)
────────────────
全く読まない 52.0 %
1冊      16.7 %
2冊      13.5 %
3冊       9.0 %
4冊       2.4 %
5冊~9冊   3.9 %
10冊以上   2.5 %

問:読まなかった理由(あれば、いくつでも)
─────────────────────
不要、困らない     46
    読まなくても困らない(18.0)
    本以外で知識や情報が得られる(16.4)
    読むのが嫌い(8.3)
    お金をかけたくない(3.0)
時間がなかった     49
読みたい本がなかった  20
その他         23

 全く読まない人の過去の割合
────────────────
1985    41 %
1995    50 %
1998    53 %
2002    54 %
2004    50 %
2006    52 %


 全く読まない人が52%いる。
 1カ月まったく読まないのと、1年間まったく読まないとでは単純比較ができないが、妥当な根拠で比較してみる。
 読まなかった理由は複数回答なので、百分比に直すと「不要、困らない」は35%になる。
 つまり、1カ月読まない人の35%は1年間読まない人になる可能性は大きい。
 この比率は18%(0.52*0.35)になる。
 残りの65%のうち、どの程度が1年間読まない層になりうるかであるが、1/4程度と推定すると8%ほどになる。
 合わせると「26%」が1年間まったく読まない人に分類されそうである。
 とすれば韓国の「非読書者」の比率と「23.7%」とほとんど同じになる。

「日本人の非読書者層=26%」
「韓国人の非読書者層=24%」

 また、この調査の「1ヶ月の読書量」を使って年間の読書量を計算してみる。
 5冊~9冊は平均の7冊とし、10冊以上は10冊とする。
 月10冊とは年間120冊になる。
 これだけ読むというのは相当な努力を強いられる。

 式は 「冊数×パーセンテージ×12カ月」 を合計したものである。
 これによると16冊という数字が出てくる。

「日本人の読書量=年間16冊」
「韓国人の読書量=年間12冊」

 この数値では「似た水準」と言っても不都合にはならない。
 どうも日本人の読書量は本人が思うほどに決して高くはないようである。

 実際、私自身を振り返ってみても、日本では本を読んでいるヒマなどなく、せいぜいのところ読み飛ばし可能なスパイもの、ハードボイルドもの、SFものあたりが主であったように思う。  新聞雑誌などで活字は追っているが、構えて本を読むというのは少ないのではないだろうか。

 「非読書者層」の比較からみると、コミュニテイ・ランゲージで日本語本がハングル本よりスペースが小さいのは、なんとなく分かるような気もしてくるのだが。
 韓国では上等な中古本を大量に集めて、安価な船便で州政府のライブラリー・セクションに寄贈でもしているのであろうか。

 最後に韓国日刊紙の「朝鮮日報(2005/06/28版)」より。

★  http://www.chosunonline.com/article/20050628000050

朝鮮日報:「韓国人の読書時間1週間に3.1時間 世界最下位」
─────────────────────────────────────────
 韓国人の活字媒体の読書時間が世界最下位であることが分かった。
 米ニューヨークにある市場調査機関「NOPワールド」の調査によれば、本と新聞、雑誌など活字媒体を読む時間が、韓国人は1週間に平均3.1時間と、調査対象の30か国中、最下位にとどまったとBBC電子版が27日伝えた。
 1週間あたりの活字媒体読書時間の1位はインド(10.7時間)で、韓国より3倍以上も多く、米国(5.7時間)より2倍余多かった。
 次に、タイ(9.4時間)、中国(8.0)、フィリピン(7.6)、エジプト(7.5)の順だった。
 一方、日本(29位/4.1時間)、台湾(28位/5.0)、ブラジル(27位/5.2)などの国民は読書時間が極めて少なかった。
 世界平均は6.5時間だった。
 今回の調査は昨年12月から今年2月まで、全世界30か国で13歳以上3万人を対象に、個別面接調査を通じて行われた。


 まとめるとこうなる。
 読書時間:世界ワーストランキング(世界平均6.5時間) ───────────────────────────
1位 韓国    3.1 時間
2位 日本    4.1 時間
3位 台湾    5.0 時間
4位 ブラジル  5.2 時間

 世界平均が「6.5時間」ということは、日本人と韓国人は「世界で最も本を読まない民 族」ということである。

 これによると、ちまたで言われている日本人が韓国人より十分読書量が多いというのは「マユツバ」に近い、ということになります。

 確かに、そうでないと、あのハングルコナーの本の多さは理解できない。
 人口比からいって、ハングル本の多さは日本語本の比ではない。

 日本人がすこぶる読書をするというのは、「
ほとんど妄想」であり、根拠のない「あこがれの神話」だということになる。

 日本人が本をよく読む民族だというのいうのは、日本人の「
勝手な思い込み」のようである。

 つづきは、それならば少しでも日本語本を増やそうと、手持ちの本を寄付したのだが、です。




 <つづく>




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2008年1月10日木曜日

古本事情1:司馬遼太郎


● 司馬遼太郎


古本事情1:司馬遼太郎
━━━━━━━━━━━━━

 一年ほど前のことになります。
 新宿の図書館にいって、隣の喫茶室コーナーで休みました。
 隅に書棚が並んでおり、その上に「ご自由にお持ち帰りください」とかかれた説明書きが貼ってありました。
 図書館であまった本を無料で配布しているとのことです。
 公共図書館の大半は開架式になっていますので、館内における冊数には限りがあります。 新本が入ってくると、その分ふるい本が押し出されてしまいます。
 おそらくは過去のデータを調べ、あまり貸し出しされていない本をこのように配布しているのだと思います。
 係りの人から聞いた話では、そのような自由本を目当てにぐるぐる回っていい本を回収して、売れるものは古本屋へ、ちょっと売れにくそうな本はガラクタ市で売るのを仕事にしている人がいるとのことです。

 中央図書館では閉架式と兼用になっていますから、開架式とは別の箇所、たとえば地下室とかペントハウスとかに書籍倉庫に、開架できない本が保管管理されていると思います。
 年間膨大な数の本が出版されている日本では保管できる冊数にこれも限りがあります。
 おそらく別の場所に収納施設を作って、そこに保存して借り出し希望があったときに運んでくるというシステムをとっていると思います。

 三鷹中央図書館の壁ははそのほとんどが、背の高い本棚で埋まっていました。
 早川出版や創元社のスパイのも、ハードボイルドものの文庫本は3mにもなる天井下いっぱいまでびっしりと詰まっており、係りの人に記入した図書カードを渡すと、ハシゴを動かして取ってきてもらうシステムになっていました。
 このたぐいの文庫本は自由に取り出してパラパラとめくって読むか読まないかの判断するものですが、いたしかたないのでしょう。
 机椅子はわずかしかおいておらず、ここでは本を読むことはできずに、探すだけに利用するという形でした。

 もう一つ人から聞いた話。
 地方の小さな自治体が図書館を造ったが、図書購入費の予算が十分とれず、図書館内を本で満たすことができなかった。
 そこでアイデアとして「新刊本同様の単行本の古本を送料自腹で寄贈してください。
 もし、同一本が複数あった場合は売却して、図書購入基金とさせていただきます」といった趣旨のホームページをインターネット上に載せたところ、山のような書物が送られ、あっという間に図書館が満杯になったといいます。

 「本あまり日本」の姿です。
 どこの家にも死蔵されている本がそこそこあるということで、ブックオフのような古書販売が成り立つというわけです。
 この話、事実化どうかわからないので検索してみたのですが、探しきれませんでした。


 前にも書きましたが、私はSFやスパイもの、ハードボイルドなど読み飛ばせるようなものが好みで、あまりじっくりと人生を味会うようなものは苦手でした。
 でもこちらにきてからはそうも言っていられなくなりました。
 というのはまともに本のあるところは、先の古本コーナーしかないのです。
 その他には、わずかながら置いてあるのが、市立図書館の日本語コーナーがあるのみです。

 この古本コーナーのおよそ半分はマンガが占め、古いビデオが少々あります。
 そんな具合ですから広さが十畳に満たないであろう部屋に置かれている本の数などたかが知れています。
 はじめは外国の冒険小説をあさっておりましたが、1,2年もすればほぼ読みつくしてしまいます。
 読むものがないというのは手持ち無沙汰で、となるととりあえず棚にあるものは手当たりしだいということになります。
 外国物だけなどとは言っていられません。
 好き嫌いなどはそっちのけでなんでもかんでも活字を追うことになります。
 その結果、おかげで、ありがたいことに様々な分野の本を乱読する機会に恵まれてしまいました。
 犬の本から宇宙創成までです。

 ちなみに、インターネットが何とか触れるよになってこの半年、読書量がガクンと減りました。
 まあ、そのうち飽きてきたら、また読む量は増えていくであろうあろから、今は一時のお休みだと思っています。


 さて、古本コーナーで一番多い本は何だと思いますか。
 そう、「司馬遼太郎」です。

 ファンが多いのですね。
 買取りでなくなったかなと思うと、帰国する人がまたドサリと置いていく。
 「竜馬がゆく」文庫本全8冊揃いをたった4ドル(400円)でゲットしたこともあります。
 もちろん司馬遼太郎の名前は当然のことで知っていましたが、正直に言うとこれまで日本ではその小説は読んだことがないのです。
 びっくりされるかもしれませんが、そうだったのです。
 読んだものといえば、エッセイや「街道をいく」の2,3冊でした。
 それがここにきて「シバ漬け」です。
 もちろんすべてが図書館のようにそろっているわけではありません。
 数冊本では、出ているものだけをまずはゲットしておき、しばらく待つとその空白の巻が出てくるので、それで穴を埋めてから読み始める、ということになります。
 どうにも出てこない場合はその巻だけ、誰かこちらに来る人があったら持ってきてもらうことにしています。

 「将来に残しておきたい本は何か」という問いで識者が対談したことがあります。
 その結果は「坂の上の雲」であったことを覚えています。
 ちなみにこの本、古本コーナーにも出にくい本です。文庫本で1冊しかでませんでした。
 やむえず、全8冊を揃いで送ってもらいました。

 「翔ぶが如く」は10冊本で前5冊がそっくり出ていました。
 正直なところこの本は読みにくいですね。
 これがあの司馬遼の本か、と思うほどの最悪の代物です。
 なを、後ろの5冊は、驚くなかれ市立図書館にそっくり出てきました。
 それもなんとなんといくらたっても、どういうわけか前の5冊が一向に出てこないのです。
 わざわざ私のために配本してくれたようなものだと思い、腹をくくって何とかかんとかこの最悪の本を読みきりました。

 「司馬遼太郎」を電子網検索してもアホらしい。
 googleなら88万件と出てくる。
 あの「新書太閤記」や「宮本武蔵」を書いた国民的大衆作家である吉川英治が40万件で半分、松本清張の73万件ですら15万件も司馬遼に及ばない。
 15万件というのは圧倒的な差です。

 何故、このあまりに誰でも知っているこのメジャナーな作家を取り上げたか。
 司馬遼については十分知っている、別に聞きたいとも思わないという人が多いと思う。当然です。
 そのくらいの作家だということです。
 ところが、この人の作品をここで読むと別の意味で実にに生き生きとしてくるのです。

 司馬遼太郎をおさらいしておきましょう。

<<<<<< Wikipedia >>>>>>
 <略>
1962年より『竜馬がゆく』『燃えよ剣』、1963年より『国盗り物語』を連載し、歴史小説家として旺盛な活動を始めた。
 この辺りの作品から、作者みずからが作中で随筆風に解説する手法が完成している。
1972年には明治時代を扱った「坂の上の雲」の連載が終了。
初期のころから示していた密教的への関心は『空海の風景(1975)』(日本芸術院賞)に結実されている。
「国民的作家」の名が定着し始めるようになり、歴史を俯瞰して一つの物語と見る「司馬史観」と呼ばれる独自の歴史観を築いて人気を博した。
 <略>
特徴としては、常に登場人物や主人公に対して好意的であり、作者が好意を持つ人物しか取りあげない。
それによって作者が主人公に対して持つ共感を読者と主人公の関係にまで延長し、ストーリーの中に読者を巻きこんでゆく手法をとることが多い。
また歴史の大局的な叙述とともにゴシップを多用して登場人物を素描し、やや突き放した客観的な描写によって乾いたユーモアや余裕のある人間肯定の態度を見せる手法は、それまでの日本の歴史小説の伝統から見れば異質なものであり、その作品が与えた影響は大きい。
「余談だが…」の言葉に代表されるように、物語とは直接関係ないエピソードや司馬自身の経験談(登場人物の子孫とのやりとりや訪れた土地の素描)などを適度に物語内に散りばめていく随筆のような手法も司馬小説の特徴の一つであり、そこに魅了されている読者も多い。
 <略>
歴史観: 司馬の考え方
司馬の歴史観を考える上で無視できない問題は、合理主義への信頼である。
第二次世界大戦における日本のありかたに対する不信から小説の筆をとりはじめた、という述懐からもわかるように、狂信的なもの、非論理的なもの、非合理なもの、神秘主義、いたずらに形而上学的なもの、前近代的な発想、神がかり主義、左右双方の極端な思想、理論にあわせて現実を解釈して切り取ろうとする発想、これらはすべて司馬の否定するところである。
こうしたものの対極にある近代合理主義の体現者こそが、司馬の愛する人物像であった。
例えば『燃えよ剣』では最後まで尊王と佐幕の思想的対立に悩みつづけた近藤勇ではなく、徹底して有能な実務家であった土方歳三をとりあげ、『翔ぶが如く』においては、維新以降ファナティックなものへと傾斜する西郷隆盛よりも、大久保利通や川路利良に好意的な描写が多いのは、こうした理由によるものであると言われる。
<<<<<< ☆☆☆☆☆ >>>>>>


 司馬遼の特徴は「作者みずからが作中で随筆風に解説する手法」、すなわち「余談だが…」といって「歴史の大局的な叙述とともにゴシップを多用して登場人物を素描し」ていく、「それまでの日本の歴史小説の伝統から見れば異質な」手法にある。
 藤沢周平をして司馬遼太郎の本は「小説ではない、あれは歴史エッセイだ」と言わしめるところのものです。

 日本にいる限り、小さいときから自分の体に刷り込まれている日本の歴史や人物像が自明なものとしての小説の受け皿を作っている。
 小説を読むとき、その時代背景はおのずと見えており、ストーリーを楽しむことができる。
 歴史を学ぶときは、事件の裏にいる人物を長い学習の間に知っている。
 この前提で作家は小説を書き、歴史家は歴史を著述する。
 前提があるため、書かれるものは方向付けられた理想や願望がにじみ出てくる場合が多い。
 ところが、日本という「大地の枠組み」を離れると、歴史と人物が遠くなり、バラバラとなって「身近さ」がまるでなくなる。
 つまり日本という国の中における理想や願望を目指した記述に違和感が発生しはじめてくるのである。
 他人の国にいるのだから、これはやむ得ない。

 司馬遼の作品にはこの違和感がない。
 Wikipediaがいうように「合理主義への信頼」である。
 合理主義とは普遍主義であり、大地の枠組みを越えて適応できるものである。
 それがゆえに、その史観がグローバル化し、数字的な思考で納得のいくものが中心になる。
 誰でも「そうだ、なるほど」といったものになる。
 つまり理想を追い求めるということがなくなる。
 強いて言えば、その場その場で数字的パズルを解くような感じになる。
 この数字的パズルの上で人物を作っているのが、司馬遼の小説である。
 そのために突き詰めると無味乾燥になりやすい。
 そこで清涼剤、ワサビが必要になってくる。
 それが「余談だが…」の書き出しではじまるゴシップ群ということになる。

 つまるところ日本というネチッコイ感覚から離れて、外から日本を見るということになると、司馬遼の作品はひじょうにみずみずしく映る。
 わかりやすく、のめり込まず、その一歩手前で小説を楽しむことができる、というわけである。
 その歴史観というものにも理想というものがない。
 お仕着せがない。
 そのときの事情を合理的に記述しているだけである。
 よって辻褄が合う。
 あわせる必要がない。
 これが何とも心地よい。
 「外にいる」という心に巣くっている何とも言えぬ後ろめたさから解放されており、それが居心地をよくしている、というわけである。


 市立図書館に「日本語コーナー」がある。
 驚きでしょう、あるのです、本当に。
 もちろん司馬遼太郎の本が作家ナンバーワンです。
 これまでその棚で見たことのある作品は、先の「翔ぶが如く」の他、「花神」「新史太閤記」「峠」「風の武士」「風神の門」「項羽と劉邦」、あるいはもろもろのエッセイなどです。

 つづきでは、市立図書館と日本語コーナーあたりを見てみたいと思います。



 <つづく>



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2008年1月7日月曜日

遺伝子組み換え食品


遺伝子組み換え食品
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 昨年、もっともドラマチックだった話題は万能細胞(iPS)の作製でしょう。

 米科学誌サイエンスは2007年の科学研究成果トップ10を発表し、1位は人間の遺伝子が個人ごとにわずかに異なる遺伝的な多様性の研究の進展であった。
 そして第2位が京都大学の山中伸弥教授らが世界で初めて成功した人間の万能細胞(iPS細胞)の作製。
 受精卵を壊して作る万能細胞(ES細胞)に比べ倫理面での問題が少なく、米科学誌サイエンスは「科学的にみても、政治的な面でも革新的な成果だ」と評価した、という。
 どちらも遺伝子がらみです。

 以前に「特命リサーチ 200X」で、再生医学についての放送がありました。
 記憶によれば、出産時に胎児の「ヘソの緒」を「遺伝子バンク」に預けておくと、後年に障害が起こったとき、このヘソの緒から取り出した「未分化細胞」を使って、その部分を正常形態に再生させることができるというものでした。
 バイオテクノロジーは間違いなく一歩一歩進歩しているということでしょう。

 遺伝子組み換え食品についての電子網を見てみます。
 「遺伝子組換え食品」で検索するとgoogleで35,000件という恐るべき検索数が表示されます。
 専門的知識もない人間がとてもいい加減な「ふらりモード」で対応できる問題ではないようですが、新しい感動を得るために「さわり」だけでも検索してみます。

 そのトップに出てくるのが「厚生労働省:遺伝子組換え食品ホームページ」。
★ http://www.mhlw.go.jp/topics/idenshi/

 さすがに、目次だけでもめちゃくちゃ大きい。
 その3番目にあるのが「遺伝子組換え食品Q&A」。
 「遺伝子組換え食品とは何か、人の健康への影響はないのか、厚生労働省ではどのようにして安全性の確認をしているのかなど、様々な疑問にお答えします」とある。その目次をリストします。

<<<<<< ③.遺伝子組換え食品Q&A :読み飛ばし可 >>>>>>
<目次>
━━━━

A]. 組換えDNA技術の知識~基礎編
A-1:「バイオテクノロジー」とはどういったものですか
A-2: DNAや遺伝子とはどのようなものですか。
A-3:遺伝子組換え技術(組換えDNA技術)とはどのような技術ですか。
A-4:遺伝子組換え技術と従来の品種改良との違いを教えてください。
A-5:遺伝子組換え技術はどのような食品に応用されていますか。
A-6:遺伝子組換え技術を応用して、組換え体そのものを食べない食品添加物を作る場合とは、どのようなものですか。

B].バイオテクノロジーの知識~応用編
B-1:除草剤に枯れない仕組みとはどのようなものですか。
B-2:雄性不稔性(ゆうせいふねんせい)、稔性回復性(ねんせいかいふくせい)とはどのような性質ですか。

C]. 遺伝子組換え食品の安全性審査の手続き
C-1:今までに安全性審査を経た遺伝子組み換え食品を教えてください。
C-2:遺伝子組換え食品の安全性審査はどのような手続きで行われるのですか。
C-3:遺伝子組換え食品の安全性審査はどのように行われるのですか。
C-4:申請業者が作成した資料のみに基づいて審査を行っても大丈夫なのですか。
C-5:遺伝子組換え食品の安全性評価基準は新しくなったのですか。
C-6:安全性審査を受けずに遺伝子組換え食品を国内で販売することはできるのですか。
C-7:安全性審査が適切になされていないと判断した場合には、厚生労働省はどのような措置を取るのですか。

D]. 遺伝子組換え食品の安全性
D-1:「生産物が既存のものと同等と見なし得る」「実質的同等性」とは、どういうことですか。
D-2:安全性評価のポイントは何ですか?
D-3:遺伝子組換え食品がアレルギーを引き起こすかどうかについては、どのような確認がされているのですか。
D-4:遺伝子組換え食品でアレルギーを起こした例があると聞きましたが、本当ですか。
D-5:毎日食べる食品に用いられる遺伝子組換え食品は、高い安全性を確保する必要がありますが、長期の毒性試験(慢性毒性試験)を行っていないのはなぜですか。
D-6:作物中に新たな有害物質が作られることはありませんか。
D-7:作物に含まれる既存の有害物質の量が増えることはありませんか。
D-8:害虫抵抗性の遺伝子組換え食品には、害虫を殺す蛋白質が入っていると聞きましたが、ヒトが食べても問題はないのですか。
D-9:英国で遺伝子組換えのジャガイモをラットに食べさせたところ、免疫力の低下が見られたという報告があったそうですが、本当ですか。(パズタイ博士の報告)
D-10:在来植物など、環境への影響はないのですか。
D-11:抗生物質耐性マーカー遺伝子が入っている作物があると聞きましたが、挿入された遺伝子についてはどのようなことが評価されるのですか。
D-12:大腸菌由来の遺伝子が用いられていると聞きましたが、病原性大腸菌O(オー)157のような病原性はないのですか。
D-13:害虫抵抗性のBtトウモロコシの花粉で目的とする害虫以外の昆虫が死んだという報告があったそうですが、本当ですか。
D-14:トリプトファン事件の経緯やその後の経過、原因(遺伝子組換えであったことによるものなのか)などについて教えてください。
D-15:食品安全委員会が新しい安全性評価基準を決定しましたが、薬事・食品衛生審議会において審査された遺伝子組換え食品は見直す必要があるのですか。
D-16: 本年5月以降、安全性未審査の遺伝子組換えじゃがいもが混入していたスナック菓子が発見されていますが、調査結果を教えて下さい。
D-17: 遺伝子組換え大豆を食べたラットから生まれたラットで死亡率の上昇や成長阻害が見られたという報告があると聞きましたが、その事実関係を教えてください。

E]. 諸外国の状況
E-1:諸外国での規制の状況はどのようになっているのですか。
E-2:EUでは新たな遺伝子組換え食品の承認を凍結していますが、なぜですか。

F]. 情報公開
F-1:安全性審査に用いた資料等については公開されているのですか。

G]. 行政の取り組み、その他
G-1:国は安全性確保のために、モニタリング検査(抜き取り検査)をすべきではないでしょうか。
G-2:国として、安全性確保のためにどのような研究を行っているのですか。

◆厚生科学研究成果データベース
  ────────────────
<<<<<< 〆〆〆〆〆 >>>>>>

 とりあえずその回答を読んでいきますと遺伝子組み換え食品のアウトラインを知ることができます。
 でも少しわかりにくい。
 基本的知識すなわち質問できるほどの知識を持っているということが前提となりますから、これはいたしかたないことです(最後にある◆データベースに入り、そのうちの[厚生労働科学研究成果データベース:平成9~18年度 ]を選択したところ「平成17年5月9日から[360,800]人目です」という区切りのいい数字が出てきました。利用されているのですね)。

 そこで、もう少しやさしい知識を探します。
 いつも利用させてもらっているWikipedia。
 「遺伝子組み換え(遺伝子工学)」ならびに「遺伝子組み換え食品」で検索してみます。
 なを、Wikipediaによると「反対派」は「遺伝子組み換え」と表記し、官公庁では法的専門用語として「遺伝子組換え」と表記しているようです。
 ここでは「いでんしくみかえ」を漢字変換したときに出る「遺伝子組み換え」をそのまま使っています(賛成・反対の意味ではありません)。

 まとめるとこうなります。


 体などの形を作るための情報が蓄えられた化学物質を「DNA」と呼び、正式には「デオキシリボ核酸」という。
 DNAは4つ(A,G,C,T)の単位の組み合わせによって作られている。
 体はタンパク質によって構成されており、このタンパク質はDNA上の配列(4単位の組み合わせ)の仕方よって決定される。


 つまりこの配列を組み替えることによって「体を構成しているタンパク質に変更を加える」ことができる。
 これが遺伝子操作、遺伝子組み換え、あるいはバイオテクノロジーというわけです。

 とするとどういうことがおこるか。
 環境の変化に強い食品が生まれる、人体に有害な食品が生まれる、などなど。

<<<<<< Wikipedia >>>>>>
 現在、遺伝子組換え食品の分類としては、第1,2世代までに関して、ほぼ以下のように受け取られている。
 しかし、まだ、第3世代に関しては確たる定説はない。
・第1世代・・除草剤耐性、病害虫耐性、貯蔵性増大、など
・第2世代・・成分改変食品で消費者の利益が強調されたもの。
・第3世代・・過酷な環境でも成育できたり、収量が高かったりするような作物か?

<略>

 現在、いわゆる第2世代の組換え食品として最も有望なものに「ゴールデンライス」ある。
 ビタミン-Aの欠乏は多くの発展途上国において乳幼児の深刻な問題になっている。
 その解決策としてビタミン-Aの前駆体であるβ-カロチンを内胚乳に含有するゴールデンライス開発された。
 β-カロチンを含有するため精米された米が黄色を呈するためにゴールデンライスと命名された。
 ゴールデンライス自体を主食としてもビタミン-Aの必要量を満たさないと非難する考えが遺伝子組換え食品反対派にあった。
 しかし、2005年には、新たにゴールデンライス 2」が発表され、これだけでビタミン-Aの必要量がまかなえるようになった。
 これはカロチン生合成系遺伝子としてゴールデンライスで用いられていたスイセン由来のphytoene synthaseのcDNAの代わりにトウモロコシやイネ由来のcDNAを利用することにより達成された(Nature Biotechnology 2005 Apr;23(4):482-7)。

<略>

「アメリカ」
 米国産作物の半分以上は遺伝子組み換え作物だ。
 大豆は100%、トウモロコシは約70%である。

「中  国」
 2006年時点ではほとんど綿花だが、基礎食品である「米」の開発に力を入れており、商業栽培もマジかな状況となっている。

「日  本」
 環境への懸念から規制している。
 北海道・新潟県など10都道府県では実質的に禁止されている。
 そのため、技術開発が進まない状況となっている。

<略>

○ 食品としての安全性
* 従来考えられないほどの短い期間で新品種の開発が行われる。
* 従来はありえなかった「種の壁を越えた」品種開発が可能である。

 などを根拠に安全性を保障する実績がないとして忌避する意見も根強い。
 しかし、従来の非遺伝子組み換え作物であっても100%の安全性証明がなされているわけではなく、暗黙のうちに「危険性」が許容されている。
 また、「種の壁」は一般に信じられているほど強固なものではなく、遺伝子の水平伝播や雑種形成も知られていることなどを考えるべきで、組み換え作物だけを問題視するのは公正とはいえない。
 組み換え作物の安全性については「実質的同等性」の概念に基づいた議論が重要である。
<<<<<< 〆〆〆〆〆 >>>>>>


 「遺伝子組み換え食品」のホームページは前にも書きましたが、山のようにあります。
 それだけ関心が高いテーマだということでしょう。

 2,3をリストしておきます。

○ 遺伝子組み換え食品とは
★ http://www.id.yamagata-u.ac.jp/EPC/15mirai/01kumikae/kumikae.html
-----------これは山形大学のサイトで基本情報が豊かです。

○ 本当はどうなの?遺伝子組み換え食品
★ http://www.fsic.co.jp/bio/
-----------ひじょうにわかりやすいです。

○ 遺伝子組み換え食品いらないホームページ
★ http://www.no-gmo.org/
-----------「いらない」派のホームページ



 私は実をいうと遺伝子組み換え食品などには興味がありませんでした。
 それを検索する気になったのは、下のホームページを読んだからです。

○ All in One! ネイチャーランド トップ
★ http://www.h5.dion.ne.jp/~allinone/natureland/index.html

 目次を上げてみます。
 ○ 宇宙研究室
 ○ バイオ研究室
 ○ 環境研究室
 ○ その他の話題

 このバイオ研究室にあるのが「パンドラの弁当箱がひらくとき ―希望か悪夢か、遺伝子組換え農作物―」です。
 「序章 前書き」の一部をコピーさせていただきます。

<<<<<< パンドラの弁当箱がひらくとき >>>>>>
 科学雑誌『nature』の書評で紹介されていた、遺伝子組換え作物に関する本、『Pandora's Picnic Basket (Alan McHughen 著)』を読んでみようという気になったのは、遺伝子組換え作物がどうして悪いのか知りたかったからです。

 当時の私は、まあ世の中がこれほど騒ぐのだから、よほど危険なものに違いないだろうと、漠然と感じていたくらいでした。
 しかしいろいろと調べてみるうちに、ちょっと変だぞと思い始めました。

 インターネットの検索エンジンに「遺伝子組換え作物」と入れて、出てきたページを片っ端から見てみてもいいです。
 大型書店の生物系学術書売り場に行って、タイトルに「遺伝子組換え」とある本を何冊かパラパラ見てみてもいいです。

 内容が二種類あることに気づくと思います。
「遺伝子組換えは危険だ、何としてもやめさせなければ」
「遺伝子組換えは可能性を秘めた技術だ、研究を続けなければ」

 読み比べると、情報が錯綜していて、つじつまが合いません。
 同じことについて書かれているはずなのに、なぜここまで違うのか不思議になるくらいです。

<略>

 なぜ遺伝子組換え作物はこれほどまでに嫌われているのでしょうか。
 嫌われているにもかかわらず、開発が進められているのはなぜなのでしょうか。
 このあたりの矛盾を検証し、相互理解の糸口を探ってみたいと試みたのがこのレポートです。
<<<<<< 〆〆〆〆〆 >>>>>>

 このレポートはデイスプレイで読むには相当大部です。
 私はプリントアウトして読ませてもらいました。
 勉強になりました。
 それで「インターネットの検索エンジンに「遺伝子組換え作物」と入れて、出てきたページを片っ端から見てみて」みようと思ったわけです。
 でもあまりの多さに絶句。
 とりあえず、努力だけを残そうと思ってこれを書いた次第です。

 なを、目次にありますようにこの「ネイチャーランド」には科学雑誌「Nature」の記事が管理人さんの訳文で載っています。
 面白いです。
 その全部をプリントアウトして読みました。
 一読をお奨めします。


 小学校の頃、学校で日本の人口は8千万台と学びました。
 中学だったかある授業のとき、先生が「今日、日本の人口は1億人を超えました」と話した。

 1億人という数値がいかなる大きさを表すかは、そのころはまるで想像もできませんでした。
 確かマリリン・モンローの出ていたテレビ映画の題名は「百万長者と結婚する法」でした。
 百万円というのはその頃ではとてつもない額のお金です。
 ですから数値としての1億というのは、ほとんど想像の外にあるものでした。

 「億」を身近な数字にしたのは「3億円事件」。
 テレビの「ザ・ガードマン」にでてくる強奪される金額は1千万円が上限でしたが、この東芝の事件があってから、内容が一気に億単位に変わってしまいました。
 この事件によってはじめて「億」というのが実感としてつかめるようになりました。

 また、同じく小学校で社会の時間に学んだものに「稲作の北限」というのがありました。
 地図の津軽海峡に線が引いてあって、先生は「稲はこの線を越えられない、青森までで北海道に渡ることができない」と教えられました。
 急速に増大する人口に対応するためには、耕地面積を増やさないといけない、でないと日本は深刻な食糧不足に陥ってしまう。
 そこでその対策の一つとして八郎潟を埋め立てて、ここを緑の耕地にするという事業があり、教科書にその八郎潟の干拓写真が載っていました。

 ところがです。
 農業試験場で「寒冷地仕様の稲」が開発され、あっというまに海峡を超え、北海道はお米の産地になってしまったのです。
 あのだだっ広い大地です。
 大規模機械化農業で、効率のよい収穫ができます。
 また集約的に植えることができる稲、実が多く持ちのよい稲など次々開発され、あれよあれよという間に「米余り」状態になってしまいました。

 今は1億2千8百万人弱。半世紀で4千万人も増えました。
 それでもお米が余っているのです。
 北海道という大地に稲が植えられることができるようになったためです。
 未来に希望を託し、燃える情熱で土を運び込んだ八郎潟は減反政策の憂き目を見て、いらぬお荷物と化してしまいました。
 なんという不調和。

 「科学は海峡を飛び越えていく」。
 八郎潟という干潟をそのまま残しておいたらどんないすばらしかっただろう、と思うのは今から勝手に過去を振り返るだけの感慨。
 そのころ、国民の食料が底をつき、生か死か、といった状況になったときどうする、といった切羽詰ったものであったということです。
 戦後の食料事情を知る連中には、「飯を食う」とはあらゆるものに優先する課題でした。

 小学校の頃は麦飯でした。
 純「米」の飯が日本国民のすべてで食べられるようになったのは、北海道で稲作ができるようになってからだと思います。
 米と麦を一緒に炊くと軽い麦は上に浮いてきて、米と麦に層ができる。これをかき混ぜて食べる。
 正直いって、麦はパサパサでまずい。
 しかし、そうしなければ食べるものがない。
 私は都会で生まれ育ちました。
 確かに貧しい層に属していましたが、そこそこそういう層がいたものです。
 日本中どこでも麦飯は当たり前だったのではないでしょうか。

 実際、高校に入って友達の家で出されたご飯も麦飯でした。
 そのころ、もう我が家は「ギンシャリ」でした。
 これは食べられませんでした。
 飲み込んでしまいました。
 つまり、そのころまでも麦飯があった、ということです。

 現在の人口は66億人。
 近い将来80億人を超えるという。
 それを支えるのは「米」。
 食事文化には2つある。
 農耕文化のものと畜産文化のものとである。
 我々はお米が主で、おかずに肉である。

 欧米はパンが主食で、おかずに肉だと我々は思っている。
 これは間違っている。
 肉が主食で、パンは副食である。
 肉で腹を満たし、エネルギーとしている。
 肉が十分供給されるところでは、パンは味も素っ気もなくまずい。
 パンの味を向上させようとは誰も思わない。
 そんなことは無意味に近い。
 肉の供給がおぼつかないところではじめてパンに味がつく。
 肉の代用である。
 マックの製品は肉が主である。
 パンははさむための添え物にすぎない。

 畜産文化では牛の放牧地が必要である。
 人口は農地の広さでは決まらない。
 育てられる牛の数で決まる。
 牛の数を増やさない限り、人口も増加しない。
 だが、簡単に牛の数を増やすことはできない。
 よってヨーロッパでは極端な人口増加は見込まれない。
 人口数は「牛数」の従属変数である。
 「はじめに牛ありき」である。
 牛がいて、はじめて人が生活できる。

 農耕文化では稲作の北限を押し上げるような種々の改良をほどこす事によって耕地が広げられる。
 そして、もっとも栄養バランスのいい穀物が米である。

 日本の発電の3割は原子力。
 他はほとんど石油発電。
 昨年の日本鉱業連盟の発表では、現在生産中の石油は2050年頃に枯渇するという。
 その間に新たに発掘される油田は30年分だろうと予想されるという。
 ということは2080年には石油は枯渇の様相を呈してくるということになる。
 ガソリン価格は高騰している。
 埋蔵残量からして一時の安値はあっても高値で推移していくだろうと見込まれる。
 もし枯渇したとき、あるいは発電にまわせないほど高値になったときどうなる。
 そのエネルギーは今のところ原子力を除いて見つかっていない。
 それが見つかるまでは危険だが、原子力にたよるしかない。

 遺伝子組み換え食品もそういうもののようである。
 危険かもしれないが、食べざるを得ない。
 家畜の餌はアメリカ物が大半である。
 それは遺伝子組み換え農産物である。
 それを食べたヒヨコのブロイラー、ニワトリの肉を食べたときはどうなる。
 狂牛病の餌になる骨粉がその病に犯されているのと同じである。

 危険と思われても食べるしかない。
 食べたくなくても食べているかも知れない。
 自分だけいい子になって、増え続ける人口の飢餓に知らん顔を決め込むわけにもいかない。
 不味くても麦飯を食わなければならない。
 危険でも組み替え食品を食わねばならぬこともある。
 その危険はできるだけおだやかにして欲しいものである。
 安全を確保し、適正に管理されることを望むしかない。
 原子力と同じである。



【Top Page】



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2008年1月4日金曜日

フルベッキ写真:維新英傑大集合




フルベッキ写真:維新英傑大集合
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 「フルベッキ写真」というのはそこそこ巷では話題になったようですが、残念なことに私はまるで知りませんでした。


 電子網を探察していて、この写真にぶちあたったときは驚愕しました。

 一つには四十四人という数の武士(いわゆる「サムライ」)が刀をたずさえ、攘夷の風が吹き荒れていた時期に魂を吸い取ってしまうといわれている(ちょっと古いですが)、西洋文明の機械の前に姿をさらしていることです。
 これまで、これだけの数のサムライが一同に写っている写真を見たことがありません。

 二つにはそれに記されていた人物名です。
 いわゆるこれがこの写真を有名にした元なのですが、すこぶる著名なところでは、坂本竜馬、勝海舟、伊藤博文、西郷隆盛、西郷従道、大熊重信、高杉晋作、桂小五郎、大久保利通、江藤新平、森有禮、中岡慎太郎、陸奥宗光、大村益次郎などなどです。
 これだけの維新のそうそうたるメンバーが一枚の写真に入っているということは、実にすごい。

 一番左端に勝海舟、同じく右端は陸奥宗光、中央前列に「明治天皇」、中央後ろに西郷隆盛、その前ちょうど真ん中にあたるところにフルベッキとその子どものウイリアム。
 前列中央と右端のちょうど中間あたりに坂本竜馬がいる。
 その対極に桂小五郎とくる。
 オールスター勢ぞろい、歴史好きの私などにはたまりません。

 明治天皇というのはちょっと眉唾でしょう。
 スダレの向こうにいる人が姿を表すわけがない。 
 それも武士姿で刀を抱えている。
 公家さんが刀をもっているはずがない。
 これはすぐに間違いとわかります。

 その間違いを除くと、もしかしたらという期待が高まってくる。
 よく知られている幕末の人物の顔は西郷隆盛。
 ギョロリ目玉でひじょうに広く知られている。 
 全体姿は写真が残っている坂本竜馬です。
 それにもう一人、勝海舟。
 写真ではありませんがアーネスト・サトウの写真をもとに描かれた全体像が残っており、「日本の名著」の口絵で見ることができます。


 勝海舟などはピッタンコですね。
 シャキと背を伸ばし、画像とおなじく杖にするような感じで刀をに手を置いている。
 この写真「勝海舟が志士達を長崎に招集して撮影したもの」だと噂されているだけに、リーダーとして凛としています。

 西郷隆盛は全体を見渡す位置にあって、不屈の闘志をみなぎらせています。

 頭ボサボサ、衣類かまわず飄々としているのが坂本竜馬。
 一般に流布されている写真のイメージに似ていないこともない。

 桂小五郎の写真は知られていませんが、この写真に写っている桂小五郎は確かに芸者にほれられ、それを女房にしたというエピソードをもつニヒルにしてハンサムな若者です。

 大村益次郎、そう司馬遼太郎の「花神」ですね。
 緒方塾の塾頭で夕方物干しに上って豆腐一丁でのんびりのんびりと晩酌をやっていた男。
 なんとなく似ているんですよね。
 司馬遼によりますと頭が大きく、額が禿げ上がり、ひじょうな「ブ男」であったとあります。
 イメージ的にぴったり。
 江戸攻撃の面談を西郷とやったとき、両者とも小一時間まったくしゃべらず、ただ座っていただけだとあります。
 そして先に根負けしたのが西郷。
 日本広しといえども西郷を下したのは大村益次郎ただ一人であったといいます。
 写真の方、まるでサエナイ男、いや圧倒的にサエナイ男として大村益次郎にぴったり合うんです。


 Wikipediaで「グイド・フルベッキ」あるいは「フルベッキ写真」で検索すると下記の内容が表示されます。

<<<<<< Wikipedia >>>>>>
 グイド・フルベッキ
 米国オランダ改革派教会から布教のため上海から長崎に派遣されたが、明治維新前の日本では宣教師として活動することができなかった。
 しばらくは私塾で英語などを教え生計を立てていたが、やがて幕府が長崎につくった英語伝習所(フルベッキが在籍した当時は洋学所、済美館、広運館などと呼ばれた)の英語講師に採用された。
 大隈重信、副島種臣と親交があった。
 また、オランダで工科学校を卒業した経歴から、工学関係にも詳しく本木昌造の活字印刷術にも貢献している。
 来日時、長崎の第一印象を「ヨーロッパでもアメリカでも、このような美しい光景を見たことはない」と記している。
 上野彦馬が撮影したフルベッキの写真が長崎歴史文化博物館に残されている。

 現代において、フルベッキの名を日本に知らしめているのは、所謂「フルベッキ写真」によるものだろう。
 「フルベッキ写真」とは、1865年にフルベッキとその息子を囲んで、明治天皇・桂小五郎・西郷隆盛・高杉晋作・勝海舟・坂本龍馬・大隈重信ら幕末明治を代表する維新志士が、一枚の写真に収まり長崎で撮影されたとされる写真である。
 対立していた尊皇・幕府双方の要人が一堂に会していることから、大きな歴史の謎と一部では言われている。
 しかし、実際は明治維新後に致遠館の塾生とともに撮影されたもので、岩倉具定・具経兄弟(岩倉具視の次男・三男)など一部の人物以外は実際には映っておらず、顔の輪郭が似ているだけの者へ、維新の関係者の名前を強引に当てはめただけとされているのが一般的である。
<<<<<< ☆☆☆☆☆ >>>>>>


 「フルベッキ写真」で検索するとgoogleで1,800件と表示されます。
 なにしろそのデータ量がすごい。
 半端じゃない。
 とてもじゃないが読みきれません。

 まとまっているのが下記のホームページ。

★ http://www.nextftp.com/tamailab/verbeck.htm

 この中には
  1.謎のフルベッキ写真
  2.フルベッキ写真の真偽
  3.マスコミの反応(1) 東京新聞:こちら特捜部
  4.マスコミの反応(2) 週刊ポスト
  5.ブログ【フルベッキ】
 などが取り上げられています。

 マスコミの反応(1)の東京新聞「こちら特捜部 2006年2月5日」の新聞写真からその記事をタイピングしておきます。
 記事文ですので読みやすくするため構成を若干変えてあります。

<<<<<< 東京新聞:こちら特捜部 >>>>>>
 四十数人の若者が外国人教師フルベッキを囲んでいる古い群像写真。
 西郷隆盛や坂本竜馬ら志士たちが集合した記念写真との触れ込みで、忘れたころに世に現れる。以前から、研究者の多くは「英傑大集合などではない」と相手にしていない。
 「こちら特報部」でも二十一年前にその真偽を探った。
 それが二十一世紀になって、またよみがえっている。 (宮崎美紀子)

■マユツバなのに収まらぬうわさ
 「根拠がないのに、うわさは一向に収まらない。
 困るんですよ。
 学者はみんな(英傑大集合は)マユツバだと言っているのに。
 次の次の世代になると、ますます本物だと信じる人が多くなる」
 「フルベッキ写真」を撮影したのは日本の商業写真の開祖・上野彦馬。
 その弟の孫にあたる上野一郎・産業能率大学最高顧問はそう嘆く。

 「フルベッキ写真」が話題になった最近の例は1985年。
 自民党の二階堂進副総裁(当時)が議場に持ち込み、しばし歴史話に花が咲いた。
 「こちら特報部」では、その直後、三回にわたって「追跡・謎の写真」を連載した。
 これは長崎にあった佐賀藩校「致遠(ちえん)館」の生徒とフルベッキの写真で、撮影は1968年(明治元年)から二年の間に撮られ、「英傑大集合」ではないとの結論に至った。
 その際、手がかりを教えてくれたのが上野氏で、同氏は「こんな騒ぎには終止符を」と語ったのだが…。

■明治天皇まで写っている説も
 2002年ごろ、今度はインターネットで高額で取引され、「本物だろうか」との相談が寄せられた高知県立坂本竜馬記念館がホームページで注意を呼びかけた。
 ネットでは今も出回っている。
 ちなみに、二十一年前は、31人の英傑が「判明」していたが、現在出回っているものは44人全員の名が書き込まれている。
 明治天皇が写っているという説も。
 しかもネット時代だけに伝説は、より速く広範囲に広がる。

 さらに2004年12月、朝日、毎日、日経の各紙に「幕末維新の英雄が勢ぞろい」「歴史ファン驚きの写真」と、写真を焼き付けた12万6千円の陶板額の広告が掲載され、「新聞に掲載されたのだから本物か」と謎が再燃した。
 広告文には「本物である可能性が高い」「この維新史の資料が埋もれていたことが惜しまれてなりません」とある。
 広告を掲載した各紙に取材したところ、審査では「広告文に『専門的な研究はこれからですが』とあり『本物』と断定しているわけではない」(朝日新聞社広報部)、毎日新聞東京広告局も同趣旨との判断だったと回答。
 しかし各紙とも掲載後に「本物か」と読者の指摘があり、「実態把握に努めましたが結論が得られず、誤認を与える恐れがあるとの判断に至り」(毎日)、いずれも以後は掲載をやめた。
 日経と朝日は掲載時、真偽に議論があることを知らなかったと説明する。

 一方、この商品を製造した佐賀県の業者は、「フルベッキ氏の子孫からいただいた写真で、初めから全員の名前が記入されていた。立派な研究者が調べたもの。確かに文献では大集合はあり得ないが、文献だけに頼るのは危険」と自信を持っている。

■複数の文献には「佐賀藩の学生」
 フルベッキ写真は、過去にも書物に登場している。
 大隈重信監修「開国五十年史」(明治40年)には「長崎致遠館 フルベッキ及其門弟」のタイトルで、岩倉具視の息子の岩倉具定らが写っていると説明文にある。雑誌「太陽」(明治28年)も、1914年(大正3年)の「江藤南白」も「佐賀藩の学生」と説明してきた。

 ところが肖像画家の島田隆資氏が1974年、1976年に雑誌「日本歴史」に論文を発表。
 島田氏は、複数の西郷の肖像画を比較し、西郷が写っていると断定。
 大久保利通、坂本竜馬、陸奥宗光、高杉晋作ら22人を割り出した。

 撮影時期は、彼らが写っているという前提のもと、維新前の【1865年(慶応元年)】とした。
 他の書物にある「維新後」「致遠館」との矛盾は、維新後に敵味方に分かれた英傑たちが一緒に写っているのは困るという政府の圧力で、致遠館の学生として発表したと片づけた。

 顔が似ているかどうかを論拠にした島田論文を、文献を基に研究する歴史の専門家たちは「これだけの人が集まったのなら記録があるはず」と、相手にしてこなかったが、島田説の信奉者は多い。
 佐賀県を訪れたら、県物産振興協会の売店にもやはり英雄の名前入りの陶板額が売られていた。

 新聞広告とは別に「真偽がわからないので、島田論文のコピーとともに販売している。
 不況の日本と佐賀に勇気を与えたい」と話す業者もいる。
 佐賀市の「大隈記念館」では、数年前まで西郷らの名前が入った説明文付きで展示していたから、信じる人が多いのもわかる。
 もっとも、同市文化課は「根拠がない」として、「今は致遠館の写真と紹介している」という。

 この二十一年間、謎の解明は進んだのか。
 先の上野氏は、十年前にフランスで見つかった鮮明なフルベッキ写真を見せてくれた。
 三十年前の著書「写真の開祖 上野彦馬」には、裏書きなどから撮影年月日が判明している写真をもとに、彦馬スタジオの内装の変遷を紹介している。
 慶応年間のスタジオは十人入れば窮屈だったが、明治以降に拡張され、床の中央が石畳に変わった。

■慶応年間にはない石畳と敷物鮮明
 「不鮮明な写真をもとに、いろんな人がいろんなことを言うが、鮮明な写真で、石畳と敷物がはっきりと分かった。慶応年間の写真には、この石畳のスタジオは出てこない」と上野氏は断言する。
 「明治初年撮影」とされている彦馬が撮影した長崎の別の学校の学生とフルベッキの送別記念写真の内装とも一致する(長崎歴史文化博物館所蔵)。

 上野氏は苦笑する。「これだけの人が集まれば、必ず記録があるはずなのに、信じている人たちは『秘密会議だからだ』と言うから、いやになりますよ」

 三年前には、1900年(明治33年)にニューヨークで出版されたフルベッキの友人グリフィス著「フルベッキ伝」の全訳「新訳考証 日本のフルベッキ」(洋学堂書店)が出版された。
 同書で、訳者の村瀬寿代氏は、グリフィスが写真の中に岩倉具定・具経兄弟、大隈重信がいると書いていることから、彼らの足跡を調べ、撮影時期を明治元年10月から同12月の間と推定した。
 以前の記事を思い出して本紙を訪れた慶応大学の高橋信一助教授も「写っているのは致遠館関係者。撮影時期は明治元年10月23日から11月19日」との論考を公開する。
 明治の撮影なら、竜馬や天皇がいるはずがない。

 佐賀の歴史に詳しい佐賀城本丸歴史館の杉谷昭館長は「いろんな推察ができるのが、この写真の面白いところ。まだまだ研究が必要」と話す。
 広告の陶板額の業者も「佐賀藩士の写真なら、研究で明らかにしてほしい。いずれ決着をつけなきゃいけない写真ではある」と主張する。

 肯定派も否定派も「まともな議論」を期待しているようだ。
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 マスコミの反応(2)の週刊ポスト
 2006年4月28日号「研究者騒然の幕末オールスター写真を誌上検証 維新の志士真贋ミステリー」の一部をタイピングします。

<<<<<< 週刊ポスト:維新の志士真贋ミステリー >>>>>>
 若干を除いてたしかに似た顔である。
 小松帯刀、江藤新平、大隈重信は瓜二つだ。
 龍馬、中岡慎太郎にしても、その雰囲気は否定できない。

 さて西郷隆盛を見ていただきたい。
 記憶の西郷とは、かなりズレた感があるはずだ。
 しかし、それをもって偽物だと断言するのは早計だ。
 実は西郷の写真は存在しないのである。
 我々の脳に刷り込まれているあの西郷ドンは肖像画だから、だれもこの写真を否定できない。
  <略>
 この写真の調査は、私はライフワークとして今後も取り組むつもりだ。
 情報をお持ちの方は編集部宛に、ご一報たまわれば幸いである。

 ○文/作家加冶将一(作家)
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 44人でぴったり瓜二つが三人いるという。
 イメージ的に似ているのは22人もいるという。
 これはちょうど全体の半分にあたる。
 こんなことがありうるのだろうか。
 こういう写真はロマンがあって、ウキウキしてきますね。

 羽織袴の若きサムライが刀をもち、四十数人が一同に写っているとなれば、もうそれだけですばらしい写真です。
 その時代の雰囲気を明瞭に嗅がせてくれます。
 まして、維新の英傑のソックリさんがそこそこ登場するとなればドキドキものです。


 当時、写真というのは非常に高価なものでしたから、一般の手に入るものではなく、外国から来た人々の日本訪問の記念に長崎や横浜で売られていたということです。
 その結果、日本にはないその当時の写真が海外に残っているということがあるようです。

 なを、「幕末写真館」というサイトには幕末の頃の写真が500枚ほど収録されており、これは面白いです。ちなみに私がこれを書くために訪れたときの訪問番号はなんと「2,564,306」です。二百五十万回以上クリックされたということになります。

★ http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu.shtml

 幕末写真館というのは「幕末維新館」の一部になるということですので、本体のサイトもあげておきます。

★ http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/3799/ishin.html

 幕末維新館の項目は下記です。
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【追記】

 公立図書館に勤めている親戚のものが「これ、面白いよ」と図書館放出雑誌を送ってきてくれた。
 「歴史読本 2008年3月号 特集 古写真集成 幕末人の肖像」


 ちらりと中をのぞいてみたら、坂本竜馬、土方歳三、高杉晋作といったそうそうたるメンバーの写真が載っている。







 これはすごいとさらにページをめくっていったら、フルベッキ写真が出てきた。
 その論考をスキャンで載せておきます。














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