2008年1月4日金曜日

フルベッキ写真:維新英傑大集合




フルベッキ写真:維新英傑大集合
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 「フルベッキ写真」というのはそこそこ巷では話題になったようですが、残念なことに私はまるで知りませんでした。


 電子網を探察していて、この写真にぶちあたったときは驚愕しました。

 一つには四十四人という数の武士(いわゆる「サムライ」)が刀をたずさえ、攘夷の風が吹き荒れていた時期に魂を吸い取ってしまうといわれている(ちょっと古いですが)、西洋文明の機械の前に姿をさらしていることです。
 これまで、これだけの数のサムライが一同に写っている写真を見たことがありません。

 二つにはそれに記されていた人物名です。
 いわゆるこれがこの写真を有名にした元なのですが、すこぶる著名なところでは、坂本竜馬、勝海舟、伊藤博文、西郷隆盛、西郷従道、大熊重信、高杉晋作、桂小五郎、大久保利通、江藤新平、森有禮、中岡慎太郎、陸奥宗光、大村益次郎などなどです。
 これだけの維新のそうそうたるメンバーが一枚の写真に入っているということは、実にすごい。

 一番左端に勝海舟、同じく右端は陸奥宗光、中央前列に「明治天皇」、中央後ろに西郷隆盛、その前ちょうど真ん中にあたるところにフルベッキとその子どものウイリアム。
 前列中央と右端のちょうど中間あたりに坂本竜馬がいる。
 その対極に桂小五郎とくる。
 オールスター勢ぞろい、歴史好きの私などにはたまりません。

 明治天皇というのはちょっと眉唾でしょう。
 スダレの向こうにいる人が姿を表すわけがない。 
 それも武士姿で刀を抱えている。
 公家さんが刀をもっているはずがない。
 これはすぐに間違いとわかります。

 その間違いを除くと、もしかしたらという期待が高まってくる。
 よく知られている幕末の人物の顔は西郷隆盛。
 ギョロリ目玉でひじょうに広く知られている。 
 全体姿は写真が残っている坂本竜馬です。
 それにもう一人、勝海舟。
 写真ではありませんがアーネスト・サトウの写真をもとに描かれた全体像が残っており、「日本の名著」の口絵で見ることができます。


 勝海舟などはピッタンコですね。
 シャキと背を伸ばし、画像とおなじく杖にするような感じで刀をに手を置いている。
 この写真「勝海舟が志士達を長崎に招集して撮影したもの」だと噂されているだけに、リーダーとして凛としています。

 西郷隆盛は全体を見渡す位置にあって、不屈の闘志をみなぎらせています。

 頭ボサボサ、衣類かまわず飄々としているのが坂本竜馬。
 一般に流布されている写真のイメージに似ていないこともない。

 桂小五郎の写真は知られていませんが、この写真に写っている桂小五郎は確かに芸者にほれられ、それを女房にしたというエピソードをもつニヒルにしてハンサムな若者です。

 大村益次郎、そう司馬遼太郎の「花神」ですね。
 緒方塾の塾頭で夕方物干しに上って豆腐一丁でのんびりのんびりと晩酌をやっていた男。
 なんとなく似ているんですよね。
 司馬遼によりますと頭が大きく、額が禿げ上がり、ひじょうな「ブ男」であったとあります。
 イメージ的にぴったり。
 江戸攻撃の面談を西郷とやったとき、両者とも小一時間まったくしゃべらず、ただ座っていただけだとあります。
 そして先に根負けしたのが西郷。
 日本広しといえども西郷を下したのは大村益次郎ただ一人であったといいます。
 写真の方、まるでサエナイ男、いや圧倒的にサエナイ男として大村益次郎にぴったり合うんです。


 Wikipediaで「グイド・フルベッキ」あるいは「フルベッキ写真」で検索すると下記の内容が表示されます。

<<<<<< Wikipedia >>>>>>
 グイド・フルベッキ
 米国オランダ改革派教会から布教のため上海から長崎に派遣されたが、明治維新前の日本では宣教師として活動することができなかった。
 しばらくは私塾で英語などを教え生計を立てていたが、やがて幕府が長崎につくった英語伝習所(フルベッキが在籍した当時は洋学所、済美館、広運館などと呼ばれた)の英語講師に採用された。
 大隈重信、副島種臣と親交があった。
 また、オランダで工科学校を卒業した経歴から、工学関係にも詳しく本木昌造の活字印刷術にも貢献している。
 来日時、長崎の第一印象を「ヨーロッパでもアメリカでも、このような美しい光景を見たことはない」と記している。
 上野彦馬が撮影したフルベッキの写真が長崎歴史文化博物館に残されている。

 現代において、フルベッキの名を日本に知らしめているのは、所謂「フルベッキ写真」によるものだろう。
 「フルベッキ写真」とは、1865年にフルベッキとその息子を囲んで、明治天皇・桂小五郎・西郷隆盛・高杉晋作・勝海舟・坂本龍馬・大隈重信ら幕末明治を代表する維新志士が、一枚の写真に収まり長崎で撮影されたとされる写真である。
 対立していた尊皇・幕府双方の要人が一堂に会していることから、大きな歴史の謎と一部では言われている。
 しかし、実際は明治維新後に致遠館の塾生とともに撮影されたもので、岩倉具定・具経兄弟(岩倉具視の次男・三男)など一部の人物以外は実際には映っておらず、顔の輪郭が似ているだけの者へ、維新の関係者の名前を強引に当てはめただけとされているのが一般的である。
<<<<<< ☆☆☆☆☆ >>>>>>


 「フルベッキ写真」で検索するとgoogleで1,800件と表示されます。
 なにしろそのデータ量がすごい。
 半端じゃない。
 とてもじゃないが読みきれません。

 まとまっているのが下記のホームページ。

★ http://www.nextftp.com/tamailab/verbeck.htm

 この中には
  1.謎のフルベッキ写真
  2.フルベッキ写真の真偽
  3.マスコミの反応(1) 東京新聞:こちら特捜部
  4.マスコミの反応(2) 週刊ポスト
  5.ブログ【フルベッキ】
 などが取り上げられています。

 マスコミの反応(1)の東京新聞「こちら特捜部 2006年2月5日」の新聞写真からその記事をタイピングしておきます。
 記事文ですので読みやすくするため構成を若干変えてあります。

<<<<<< 東京新聞:こちら特捜部 >>>>>>
 四十数人の若者が外国人教師フルベッキを囲んでいる古い群像写真。
 西郷隆盛や坂本竜馬ら志士たちが集合した記念写真との触れ込みで、忘れたころに世に現れる。以前から、研究者の多くは「英傑大集合などではない」と相手にしていない。
 「こちら特報部」でも二十一年前にその真偽を探った。
 それが二十一世紀になって、またよみがえっている。 (宮崎美紀子)

■マユツバなのに収まらぬうわさ
 「根拠がないのに、うわさは一向に収まらない。
 困るんですよ。
 学者はみんな(英傑大集合は)マユツバだと言っているのに。
 次の次の世代になると、ますます本物だと信じる人が多くなる」
 「フルベッキ写真」を撮影したのは日本の商業写真の開祖・上野彦馬。
 その弟の孫にあたる上野一郎・産業能率大学最高顧問はそう嘆く。

 「フルベッキ写真」が話題になった最近の例は1985年。
 自民党の二階堂進副総裁(当時)が議場に持ち込み、しばし歴史話に花が咲いた。
 「こちら特報部」では、その直後、三回にわたって「追跡・謎の写真」を連載した。
 これは長崎にあった佐賀藩校「致遠(ちえん)館」の生徒とフルベッキの写真で、撮影は1968年(明治元年)から二年の間に撮られ、「英傑大集合」ではないとの結論に至った。
 その際、手がかりを教えてくれたのが上野氏で、同氏は「こんな騒ぎには終止符を」と語ったのだが…。

■明治天皇まで写っている説も
 2002年ごろ、今度はインターネットで高額で取引され、「本物だろうか」との相談が寄せられた高知県立坂本竜馬記念館がホームページで注意を呼びかけた。
 ネットでは今も出回っている。
 ちなみに、二十一年前は、31人の英傑が「判明」していたが、現在出回っているものは44人全員の名が書き込まれている。
 明治天皇が写っているという説も。
 しかもネット時代だけに伝説は、より速く広範囲に広がる。

 さらに2004年12月、朝日、毎日、日経の各紙に「幕末維新の英雄が勢ぞろい」「歴史ファン驚きの写真」と、写真を焼き付けた12万6千円の陶板額の広告が掲載され、「新聞に掲載されたのだから本物か」と謎が再燃した。
 広告文には「本物である可能性が高い」「この維新史の資料が埋もれていたことが惜しまれてなりません」とある。
 広告を掲載した各紙に取材したところ、審査では「広告文に『専門的な研究はこれからですが』とあり『本物』と断定しているわけではない」(朝日新聞社広報部)、毎日新聞東京広告局も同趣旨との判断だったと回答。
 しかし各紙とも掲載後に「本物か」と読者の指摘があり、「実態把握に努めましたが結論が得られず、誤認を与える恐れがあるとの判断に至り」(毎日)、いずれも以後は掲載をやめた。
 日経と朝日は掲載時、真偽に議論があることを知らなかったと説明する。

 一方、この商品を製造した佐賀県の業者は、「フルベッキ氏の子孫からいただいた写真で、初めから全員の名前が記入されていた。立派な研究者が調べたもの。確かに文献では大集合はあり得ないが、文献だけに頼るのは危険」と自信を持っている。

■複数の文献には「佐賀藩の学生」
 フルベッキ写真は、過去にも書物に登場している。
 大隈重信監修「開国五十年史」(明治40年)には「長崎致遠館 フルベッキ及其門弟」のタイトルで、岩倉具視の息子の岩倉具定らが写っていると説明文にある。雑誌「太陽」(明治28年)も、1914年(大正3年)の「江藤南白」も「佐賀藩の学生」と説明してきた。

 ところが肖像画家の島田隆資氏が1974年、1976年に雑誌「日本歴史」に論文を発表。
 島田氏は、複数の西郷の肖像画を比較し、西郷が写っていると断定。
 大久保利通、坂本竜馬、陸奥宗光、高杉晋作ら22人を割り出した。

 撮影時期は、彼らが写っているという前提のもと、維新前の【1865年(慶応元年)】とした。
 他の書物にある「維新後」「致遠館」との矛盾は、維新後に敵味方に分かれた英傑たちが一緒に写っているのは困るという政府の圧力で、致遠館の学生として発表したと片づけた。

 顔が似ているかどうかを論拠にした島田論文を、文献を基に研究する歴史の専門家たちは「これだけの人が集まったのなら記録があるはず」と、相手にしてこなかったが、島田説の信奉者は多い。
 佐賀県を訪れたら、県物産振興協会の売店にもやはり英雄の名前入りの陶板額が売られていた。

 新聞広告とは別に「真偽がわからないので、島田論文のコピーとともに販売している。
 不況の日本と佐賀に勇気を与えたい」と話す業者もいる。
 佐賀市の「大隈記念館」では、数年前まで西郷らの名前が入った説明文付きで展示していたから、信じる人が多いのもわかる。
 もっとも、同市文化課は「根拠がない」として、「今は致遠館の写真と紹介している」という。

 この二十一年間、謎の解明は進んだのか。
 先の上野氏は、十年前にフランスで見つかった鮮明なフルベッキ写真を見せてくれた。
 三十年前の著書「写真の開祖 上野彦馬」には、裏書きなどから撮影年月日が判明している写真をもとに、彦馬スタジオの内装の変遷を紹介している。
 慶応年間のスタジオは十人入れば窮屈だったが、明治以降に拡張され、床の中央が石畳に変わった。

■慶応年間にはない石畳と敷物鮮明
 「不鮮明な写真をもとに、いろんな人がいろんなことを言うが、鮮明な写真で、石畳と敷物がはっきりと分かった。慶応年間の写真には、この石畳のスタジオは出てこない」と上野氏は断言する。
 「明治初年撮影」とされている彦馬が撮影した長崎の別の学校の学生とフルベッキの送別記念写真の内装とも一致する(長崎歴史文化博物館所蔵)。

 上野氏は苦笑する。「これだけの人が集まれば、必ず記録があるはずなのに、信じている人たちは『秘密会議だからだ』と言うから、いやになりますよ」

 三年前には、1900年(明治33年)にニューヨークで出版されたフルベッキの友人グリフィス著「フルベッキ伝」の全訳「新訳考証 日本のフルベッキ」(洋学堂書店)が出版された。
 同書で、訳者の村瀬寿代氏は、グリフィスが写真の中に岩倉具定・具経兄弟、大隈重信がいると書いていることから、彼らの足跡を調べ、撮影時期を明治元年10月から同12月の間と推定した。
 以前の記事を思い出して本紙を訪れた慶応大学の高橋信一助教授も「写っているのは致遠館関係者。撮影時期は明治元年10月23日から11月19日」との論考を公開する。
 明治の撮影なら、竜馬や天皇がいるはずがない。

 佐賀の歴史に詳しい佐賀城本丸歴史館の杉谷昭館長は「いろんな推察ができるのが、この写真の面白いところ。まだまだ研究が必要」と話す。
 広告の陶板額の業者も「佐賀藩士の写真なら、研究で明らかにしてほしい。いずれ決着をつけなきゃいけない写真ではある」と主張する。

 肯定派も否定派も「まともな議論」を期待しているようだ。
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 マスコミの反応(2)の週刊ポスト
 2006年4月28日号「研究者騒然の幕末オールスター写真を誌上検証 維新の志士真贋ミステリー」の一部をタイピングします。

<<<<<< 週刊ポスト:維新の志士真贋ミステリー >>>>>>
 若干を除いてたしかに似た顔である。
 小松帯刀、江藤新平、大隈重信は瓜二つだ。
 龍馬、中岡慎太郎にしても、その雰囲気は否定できない。

 さて西郷隆盛を見ていただきたい。
 記憶の西郷とは、かなりズレた感があるはずだ。
 しかし、それをもって偽物だと断言するのは早計だ。
 実は西郷の写真は存在しないのである。
 我々の脳に刷り込まれているあの西郷ドンは肖像画だから、だれもこの写真を否定できない。
  <略>
 この写真の調査は、私はライフワークとして今後も取り組むつもりだ。
 情報をお持ちの方は編集部宛に、ご一報たまわれば幸いである。

 ○文/作家加冶将一(作家)
<<<<<< ☆☆☆☆☆ >>>>>>

 44人でぴったり瓜二つが三人いるという。
 イメージ的に似ているのは22人もいるという。
 これはちょうど全体の半分にあたる。
 こんなことがありうるのだろうか。
 こういう写真はロマンがあって、ウキウキしてきますね。

 羽織袴の若きサムライが刀をもち、四十数人が一同に写っているとなれば、もうそれだけですばらしい写真です。
 その時代の雰囲気を明瞭に嗅がせてくれます。
 まして、維新の英傑のソックリさんがそこそこ登場するとなればドキドキものです。


 当時、写真というのは非常に高価なものでしたから、一般の手に入るものではなく、外国から来た人々の日本訪問の記念に長崎や横浜で売られていたということです。
 その結果、日本にはないその当時の写真が海外に残っているということがあるようです。

 なを、「幕末写真館」というサイトには幕末の頃の写真が500枚ほど収録されており、これは面白いです。ちなみに私がこれを書くために訪れたときの訪問番号はなんと「2,564,306」です。二百五十万回以上クリックされたということになります。

★ http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu.shtml

 幕末写真館というのは「幕末維新館」の一部になるということですので、本体のサイトもあげておきます。

★ http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/3799/ishin.html

 幕末維新館の項目は下記です。
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【追記】

 公立図書館に勤めている親戚のものが「これ、面白いよ」と図書館放出雑誌を送ってきてくれた。
 「歴史読本 2008年3月号 特集 古写真集成 幕末人の肖像」


 ちらりと中をのぞいてみたら、坂本竜馬、土方歳三、高杉晋作といったそうそうたるメンバーの写真が載っている。







 これはすごいとさらにページをめくっていったら、フルベッキ写真が出てきた。
 その論考をスキャンで載せておきます。














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