2008年1月15日火曜日
古本事情3:わが本はいずこに
● カーブート・セールの看板
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古本事情3:わが本はいずこに
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住んでいるとそこそこ増えるものに本・書籍があります。
新聞一面の下の段に掲載されている図書の宣伝、あるいは週末に掲載される書評などで、読んでみたいなという本がときどき出ます。
ぶらりと立ち寄った書店の店頭に並べられている人気本、棚を眺めていてついつい手が出てしまう本など購入動機はいろいろです。
でもここでは、そういう動機は皆無です。
なにしろ本屋がありません。
それでも本は増えていきます。
どうしても読みたいと思って取り寄せる本、もらった本、人が置いていった本いろいろですが、私にとって最も多いのはガレージセールで購入する本です。
ちなみにWikipediaで「ガレージセール」なるものを検索すると「検索した名称のページは存在しません」と出てくる。
ガレージに日常不要になったものを並べて売る、というのがガレージセールですが、ガレージはあってもそこに品物を並べるために、車を道路に置くと駐車違反に引っかかって、目玉が飛び出るほどの罰金をとられる日本という環境では、まずは無理でしょう。
あわせて「トランク・セール」「ブート・セール(あるいはカーブート・セール)」も検索しましたがWikipediaにはありません。
電子網検索では「ガレージセール」は622,000件も出てくる。
トランクセールはガタンと落ちて1/1000の660件、ブートセールだと1,700件になる。
Wikipediaでは後ろの2つは「フリーマーケット」で出てくる。
『
日本各地で行われる蚤の市やガラクタ市は、1990年代以降若者・ファミリー向けの「フリーマーケット」と呼ばれるものが多くなった。
従来の「蚤の市」は、神社などの境内で縁日に併せて行われることが多いが、フリーマーケットと称する催しは、主に、競馬場やサッカー場などの駐車場、大規模公園などの一角で行われることが多い。
東京都内の場合は明治公園や代々木公園、大井競馬場などで行われるものが規模が大きいといわれる。
日本の場合「a flea market」ではなく、自由参加出来ることから「free market」という意味の単語として誤用される場合が多い。
「free market」とは、本来「蚤の市」と全く別の意味の経済学用語なので注意が必要である。(ただし、主催者によっては「蚤の市」と「自由市場」の違いを認識しつつも、自由参加を強調するために、あえて和製英語的にfree marketと表記することがあるため、現在では、free marketが完全に間違いであるとは言い切れなくなった。)
』
つまり、ガレージセールは日本にはなく、トランク・セールあるいはブート・セールはフリーマーケットとして定着しているということである。
その検索件数の多さからいうと、日本では定着しなかったガレージセールが、外ではの社会文化として生活に染み込んでいるということである。
高度成長期の時代には「人の来たものは絶対に着ない」という結構多くいましたが、昨今では様変わりしているようです。
我が家では、
「ええか、貧乏人はお金持ちのカスリで食べさせてもらっているのだ。衣服などは洗濯してしまえばどれも同じだ。」
という発想でしたので、幼稚園の父母のつながりからいろいろもらいました。
中には「miki-house」が入っていたりで、「おお見ろよ、ミキハウスだぞ」と感激して子どもに着せていました。
またその時代には「出何処のわからない古本は読まない」という人もいましたが、今は大規模な古本屋がデンと構えていますし、インターネットでは古本を探してくれるサービスも大きなウエイトを占めています。
感覚というものは時代と共に変わっていくものだということなのでしょう。
ガレージセールは日常使わなくなったものを整理するためと、引越しのために不要品を処分してしまおうという理由が多いようです。
日本人の場合は、それに帰国セールが加わります。
前二者の場合は居住期間が長いためガレージセールの内容も理解していており、値付けもそこそこです。
帰国セールの場合は高値と安値に極端に別れるようです。
なるべく高く売って日本に帰りたいという人と、日本に持って帰っても運送費の方が高くつくので、捨ててしまうより安値で引き取ってもらって、使ってくれればそれにこしたことはないという人の2つです。
ガレージセールの広告は日本食良品店やレンタルビデオショップなどにある掲示板に貼られていますが、それにつられてある引越しセールにいったことがあります。
まず古本を見てみました。
文庫本で2ドル(\200)、単行本で4ドル(¥400)です。
それだけ見て、すぐにやめてしまいました。
できるだけ高く売ろうという側のガレージセールだからです。
文庫本は50円が標準値、ちょっと出物で100円、それを越したら売れません。
単行本なら100円から200円の間、よくて250円、300円の値付けだともう売れないと思って差し支えないでしょう。
前にも書きましたが文庫本と単行本の違いはここではほとんど意味がありません。
というのは、自宅の書籍棚に並べて楽しむといった趣味はありえようがないからです。
中身がすべてで、面白かったか、そうでなかったか、それだけです。
単行本・文庫本の違いなどは二の次になります。
次のガレージセールでは閉店ぎりぎりでいきました。
売れ残った本を捨て値で買おうと思ったからです。
ところがなんとなんと、「欲しい本がありましたら、ご自由にお持ちください」とあります。
つまり「タダ」なのです。
文庫本は安くて20セント(20円)、時に3冊100円というのもありますが、だいたい50円が相場です。
日本フェステイバルなどの催し物には、多くの人が古本を売りに出していますが、文庫本では50セントの一律です。
それが、いわば相場ということでしょう。
そのセールを監督していた人に聞いてみました。
「誰か、このタダ本を持っていった人がいますか」
「ウーン、2,3冊ぐらいははけたかな」程度です。
「ここにある本、全部ください」 といって、台のスペースにしてあった本までそっくりもらってきました。
引き取り手がなければゴミ箱へいくのがオチですから、引き取られるだけでも本にとっては幸せというものです。
とわいえ、ガレージセールにいって本だけタダでもらってくるというわけにもいかないので、3品ほどの物を25ドルで買いました。
1冊50セントのつもりで買ったとすれば、そのくらいの値段だろうと思ったわけです。
家へ帰ってから調べたところ55冊。
それも単行本と文庫本が半々でした。
好みが違って読みもしない本もあるだろうと思われますが、それはそれで前にも書きましたように、古本コーナーを使って交換すれば済むことです。
この場合、取得する費用は貸本代50セントが加算されます。
てな具合で本が溜まっていくのです。
溜まった本を何とかしよう。
本を売る気などさらさらないし、貰ってくれる人などありようもない。
「ナンマイダブツ」これがお前の寿命だと言って燃やしてしまうのが一番いいが、できれば長生きさせてやりたい。
「韓国人の読書量」と似た水準なら2.5倍の人口比からいって、ハングルより狭いスペースでは日本語の本は肩身が狭くてかわいそうだ、図書館に寄付できれば最高の延命処置だ、そう思っていました。
冊数がまとまったら、電話でもして引き取ってもらえるか聞こうかと思っていました。
ところが偶然にも運良くその機会にめぐり合ったのです。
市立図書館の日本語本は州のライブラリー・サービスが管理しているものですが、これは購入したものではないようです。
というのは、幼児本から日本でしか使えないような料理本、家事の本、株式ハウツーもの、マンガなどがすこぶる多く混ざっているからです。
マンガ本は10巻、20巻といった大部になるのがふつうですが、出ているのは真ん中ごろの2,3冊といったものになります。
考えてみれば、第二外国語図書の購入に予算が割り振られるはずもないのです。
おそらくは、帰国する人が寄贈していった、それが長年にわたって積み上げられ、コミニュテイ・ランゲージの一角を構成するまでに増えていった、というのが最も妥当な予想ではないかと思います。
この本の中には非常に古い本も数多く含まれており、歴史がしのばれるほどです。
ところが不思議なことに、最近のものも数多く含まれているのです。
ライブラリー・サービスが外国語本の寄付を求めているといった情報にはこれまで接したことがないのです。
あるとき日本語本を借りにいく図書館の返却窓口の下にダンボール箱が置かれ、それに「donation books」と書かれた紙が貼ってあったのです。
「オー」と歓声を上げたほどです。
これはこれはと思い、次に行ったとき一冊持込みドネーションしました。
この箱にはじめに入れた本は「 スハイリ号の孤独な冒険―われ単独無寄港世界一周に成功 (単行本) ロビン・ノックス・ジョンストン (著), 高橋 泰邦 (訳) 1969年」です。
ヨットでの単独無寄航にはじめて成功したR.N.ジョンストンの体験記です。
ところがこれ、最初本の運命として、寄贈されなかったのです。
日本語コーナーで本を選び、帰りがけに箱を見たとき、先ほど置いた本が消えていたのです。
私が入れたとき下にあった本が丸見えになっています。
ということは寄付した本は誰かにもっていかれた、ということになります。
ものの10分ほどです。
ここはヨットを持っている人、ボート(クルーザー)を楽しんでいる人が数多くいる場所です。 ヨットの本は人気の部類に入ります。
表紙カバーにはスハイリ号の勇士が映っており、その趣味の人は寄付箱に放り込まれた本ですから、もらって当然、めっけものと持ち帰ったのではないでしょうか。
きっと、豪華なリビングの書棚に英語本と並んでこの日本語訳本が鎮座し、来た人に日本語本があるのだと、吹聴しているのではないかと想像したりしています。
寄付はせっせと行いました。
と言っても週1回ほどに過ぎないのですが。
はじめのうちはボックスに入れるだけでしたが、量が多くなってくると、単行本と文庫本に同じのがあったり、前に寄付した題名を忘れたりしはじめたため、これはマズイと記録をとるようになりました。
その記録で分かっている最終合計は「525冊」、単行本193冊、文庫本332冊です。
なを、この「寄付箱」、カウンターが模様替えになったとき、それと一緒に廃止され、今はありません。
館長が交代し、考え方が変わったか、もう十分役目は済んだという判断がなされたか、この事情はわかりません。
約2年ほどのことでした。
持ちきれなくなったらライブラリー・サービスに運び込もうと考えていましたから、ちょうそこそこの冊数を寄贈できたことになります。
金額的評価では、単行本2ドル、文庫本1ドルとして700ドル(7万円)ほどでしょう。
もちろん、購入金額はそれを上回ります。
寄贈した本はライブラリー・サービスに送られ、登録され、管理コードは貼られバーコードがとりつけられ、そののち図書館に廻ってくるものだと思っていました。
ところが、どういうわけか、その気配がまるでないのです。
相変わらずハングルのスペースに圧倒されています。
寄付を始めてから後に発行された日本語本がコーナーに並ぶようになってきました。
どうもライブラリー・サービスに送られる、というのはこちらの勝手な思い込みだったようです。
確かに寄付箱は市立図書館に置かれたものですから市の管轄で、当然、市に所有権があります。
ということは、あの本はライブラリー・サービスには送られていない、という可能性が大きいということになります。
では何処にあるのでしょう。
新宿の図書館では、新規購入によって押し出された古い本は無償で配布されているということを述べましたが、ここではどうなっているでしょう。
年度の予算がつき、新規に購入されると余り本が発生します。
それは一括してまとめられ、売却されます。
その売却場所が貸し出しシートの裏に印刷されています。
固定場所としてあるようです。
日本語本でこの余り本になったものを見たことがあります。
表紙裏に「CANCEL」ゴムスタンプが押されていました。
でも昨今ではこんなデリカシーに欠けた手法はとらないのではないかと思います。
ライブラリー・サービスはバーコードで管理しています。
本の裏に貼られた図書カードには手書きの貸し出し日時が書いてあることもあります。
地方の図書館ではその程度で間に合うということなのでしょう。
ではわが市立図書館はどうでしょう。
最近、マイクロチップ・システムが導入されました。
ライブラリー・サービスから送られてきた図書はバーコードにかけ、そこから瞬時に市専用の図書カードに組み込んだマイクロチップに書き込みをします。
この図書カードを本の後ろに貼り付けて登録完了ということになります。
「CANCEL」が押された本は、手書きの貸し出し日時が記載されていましたから、非常に古いものということになります。
私が借りはじめたころはすでにバーコード処理で、昨今は磁気マットに本をおくだけで処理が行えるチップ形式です。
我が寄贈本は余り本売却所にあるのか。
行ったことがありませんので何ともいえません。
行く必要がないと思って、行かないでいます。
というのはガレージセールで無償にしてもさばけない本も多いという状況にあって、日本人がわざわざその場所までいって、お金を出して購入するかというと、まずありえないということです。
古本コーナーですら食料品の買出しにいくからついでに立ち寄るのであって、本だけを目当てにはいきません。
500冊というと書籍棚で2つから3つになります。
売れない本にそれだけのスペースを割くというのは考えられません。
とすると、我が本はいずこに。
市立図書館の奥づまった収納スペースの一部にうずたかくホコリを被って積み上げられているのか、あるいは処分されてしまったのか。
寄贈した本かどうかは文庫本では判断できませんが、単行本ならそこそこ認識できると思います。
もしかしたらそのうち「これは私が寄贈した本だ」という本に出会うことがあるかもしれません。
楽しみにはしているのですが。
このところインターネットをやっている関係で読書量はガクッリと落ちました。
また、最近、古本コーナーには行かなくなっています。
というのは、近くにあった日本食料品店が大きくなり陳列棚の品数も多くなって、もっぱらこちらを利用することになったためです。
大半は読みつくし、誰かが帰国に際して置いていったものだけが新たに出るという状態になってしまったため、この古本コーナーを訪れるのはこの方面に用事があった時のみに限られるようになってしまいました。
近くにあるといってもこの食料品店で20キロはあります。
古本コーナーのある食料品店は30キロ以上になります。
昨今のガソリン価格の高騰は、日本と同じ金額になりつつあります。
往復すれば本代よりガソリン代の方が高くなり、安い古本探しのみ出かけていくということは無駄の一語になってしまいます。
うまく何か手に入れば、それでもそこそこ満足できますが、前回と同じものだけなら、空手で帰るということになります。
これはガソリンを捨てにいくようなもの、温暖化の貢献をしているだけのものにもなりかねません。
その後も本の方はゆっくりですが増え続けており、持ちきれなくなったらライブラリー・サービスに持ち込むつもりではいます。
古本事情で書きはじめたのですが、どうも「海外図書館日本語本事情」といったものが色濃くなってしまいました。
<おわり>
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